今更ですけど、録画していたGTOを見ました。


反町くん、すっごい好きなんです、私。


かっこよかった〜。

渋いわ〜。


あんな旦那さん、羨ましい!

自分の旦那さんが反町くんなら、私でもめちゃくちゃ良い奥さんになるわぁ!


と言いながら見ていると、隣でアキラくんも反撃。


お似合いの夫婦〜。美男美女。

奥さんが美人さんだから、旦那もカッコいい。


と…

確かに。


幼稚園から高校までずっと一緒だった幼馴染の親友が4人います。

今もそれぞれ車で10分ぐらいの所に住んでいて、女性陣だけの月1回ランチと、男女コミコミでは年4〜5回ほど飲み会をしています。

最近は家族が寝たあとに、ちょっとファミレスでお茶しようかなど、ちょこっと集まりもしていて、何かとずーっと一緒にいる友達と言うか家族みたいな存在です。


週末、2ヶ月ぶりに飲み会で集まった時、老眼の話から裁縫の話になり、最終的に子供の頃のリリアンとか、はた織り機のようなもので、毛糸をひたすら長く編むおもちゃがあったよねーと話していました。


それから、小学生の頃にみんなで家に集まってそのおもちゃで毛糸を編んでいたときの話になり…


サクラ、編み物に全然興味なかったよね?


最終的にはおもちゃ分解してなかった?


などなど言われてるうちに思い出した。

そうそう、私は編み物よりもそのおもちゃを見てたら、もっとカスタマイズして良い物が作れる気がして分解した。


で、段ボールとタコ糸ではた織り機みたいなおもちゃを作ったのだ。


リリアンは、あの細い紐みたいなのを作ったところで何に使うん?と子どもながらに思っていて、どうせならマフラーにしたくて巨大リリアンを牛乳パックと釘で作ったわ。


結局、どんなものが編めたのかは覚えて無かったけど…


あんた、いつもおもちゃ分解してたよねー…💦


挙句の果てに、おもちゃ買いにいくって言うて、工具買ってもらって喜んでなかった?


などなど言われて、それは全然覚えてなかったけど、今も工具は好き。


電動カッター、電動ドライバー&ドリル、電動ノコギリに加えて、こないだ電動ジグソーを買い替えた。


それを聞いて皆に「変人かっ!」と突っ込まれて大笑い。


昔から変人〜笑


あー、やっぱり幼馴染といると脱け殻になるような感覚。

素に戻れて気持ち良い。


この年になると、さすがに仕事関係の人との雑談で「変人〜笑」とかいうネタで笑うことなんてないから。


お互いのダメダメなところを突っ込みあって笑えるって、やっぱり昔からの友達ならでわです。





 

私には同い年の独身のいとこがいます。

母の兄妹の一人娘。

某証券会社の支店長まで登りつめ、数年前に一戸建ての家を建てて、結婚はせずに両親を呼び寄せて同居しています。


実家が近くて姉妹のように育ち、大学まではとても仲良かったのですが、社会人になってからはお互い多忙を極めていたことや、私が長期出張があったり、いとこの海外赴任などがあり、気がつけば疎遠になっていました。


ずっとずっと気にはなっていたのに、ラインで誕生日やクリスマスのメッセージを送る程度になって数年。


そのいとこの両親も年を取り、少しづつ介護も必要になり、それをたった一人で対応していると知りました。


久しぶりに届いたラインには、両親が心配、仕事は役職を引退して、介護をしようかなという内容。


聞けば、介護申請などする暇というか、そもそも良くわからなくて調べる時間がなく、全て実費でヘルパーさんに来てもらっているとのこと。


そうだよねー💦

私が同じ立場でも、きっとそうなってると思うわ。


だけと、なんかモヤモヤするんです。

私の勝手だけど、非じょ~にモヤモヤする。


いとこには、仕事を全うしてほしいというのが私の本音。

本人もそう望んでると思うし。


彼女が若くして海外赴任をしたときのことを覚えています。

今のように携帯電話で気軽に連絡なんて出来なかった時代。


不安だったと思います。

それでも、思い描いた未来に近づくために覚悟を決めて行きました。

その間、私は何度か泊まりに行ったけど帰国する時はお互いにいつも泣いていた。


それから約30年、あちこちに駐在して今の地位を得たからこそ、最後の定年まで花道を通ってほしいなと。


母にこの事をゆっくり話していると、普段はあまり言葉を発しないのですがこの時はっきりと「◯◯ちゃん(いとこの名前)の力になってあげて」と言ったのです。


うん、わかってるよ。そのつもりにしてるから。

母にそう告げると、「良かった、良かった。サクラちゃんがいたら安心。」と言ってホッとした顔をしていました。


一人で介護と向き合っていたいとこの事を思うと、胸が痛む思いです。

愚痴や不満を言う習慣がないから、きっと誰かに頼るということも概念に無かったのかもしれない。

同じ市内に住んでいたのに、今まで何も知らなかった自分にもモヤモヤする。


全面的に私が一緒に対応していくから、仕事は貫いてほしいと伝えると、びっくりした顔をして

「そんなこと申し訳ない、旦那さんにも申し訳ないわ、頼れないよ。」

と、彼女らしい事を言ってました。


それでも、これからどんどん大変になるから、一緒に対応していこうということで話は落ち着きました。


こういうことに私も疎く、頼りないとは思うけど、一緒に悩んだり泣いたりする相手は必要だよねと、勝手に思っています。


同じ思いを経験された方から、とても心に沁みる話を聞かせて頂きました。


その方は、お母様を介護したことを

「今になってみると辛かったけれどとても貴重な時間だったなと振り返ったりしています。」

と、話されていました。


そして

「介護が長引くのと、病気で心の準備のできないままにお別れするのとどちらが良いとも言えないと思えますし…」

ということも。


そうだった。

父が突然亡くなったとき、どんなに辛かったか。

こんなに辛いなら、介護でも何でもするからずっと長生きして欲しかったと思っていたのに。

忘れていたわけではないけど、現実しか見えてなくて、母に淡々とした態度を取ることがあると振り返りました。


その方は

「介護している中では色々な時があると思うので、いつも完璧でなくても良いし、できる範囲で良いと思います。

何をどうやっても後から後悔は感じるものだと思います。

なので、無理のない範囲でその時できることを精一杯やればよいと思います。」


そう教えて下さいました。

應援していると声をかけてもらえて、ちゃんと向き合う覚悟も出来たように思います。


昨夜、母のところへ行ったとき、玄関まで異臭がしていました。

母は自力で頑張ろうと思ったけど、出来なかったようで、それが結果として更に状況が悪くなるっていう…


大の方のそそうです。

ベッドから、部屋の床から、服もトイレも全部が大惨事…


その時、その方からかけていただいた言葉を思い出して、よし!と気合いを入れました。


まずは母のシャワーと着替え。

別室でフルーツを食べるように用意しておき、その間に寝室のシーツをお風呂で流して洗濯。

毛布類はコインランドリーへ持って行き乾燥。


コインランドリーから戻ると弟が来ていて、1階の部屋すべてを手慣れた様子で殺菌していました。

その後2人で部屋と手すりなど全てを消毒して、コインランドリーへ毛布を取りに行きベッドのセット。


ごめんね、ごめんね

と繰り返し言う母でしたが、もう謝らなくて良いから、気にしなくて良いからと声をかけて帰りました。


夜中自宅に戻り眠りについた頃、母からの電話。

こんなときいつもびっくりする。

何もなかったことを確認して、電話を切りました。

今朝早くに弟が見に行ってくれて、問題なしとのこと。


前述の方の言葉がなかったら、また私は泣いていたなと思います。

でも、今回は大丈夫だったんです。

母が自分で何とかしようとしていた思いや、弟があまりにも手慣れた様子で対応していた姿を見て、私は何も知らなかったのだと感じました。


母は一人で頑張って生きようとしていること。

何も言わないけど、弟は何度もこういうことを経験していたのだということ。


私には、自分の家族と母を中心とした実家の家族があり、きっとこれはとても恵まれているのだなと思いました。


頑張るというより、母に寄り添う介護が出来るように心がけたいと思いました。

完璧じゃなくても、せめて精一杯後悔しないために。

父にできなかったことを、たくさん母にしてあげたい。


まだまだ少しでも長く、私達のそばにいてほしい。

願いはそれだけです。



親のことで愚痴りたくない…

病気だから

仕方がない


でも


私をヘルパーと間違えてる時があって、なんかもう情けなくなってきた。


娘のこと忘れるなんてとか、いちいち間に受けて感情を揺さぶられてる自分が大嫌い。


いつもは「バイバイ」と言いながら、手を握り合うのに、こんな日はプイと帰ってしまう。


廊下をすり足で音も立てずに、スリッパをスススーっとして進んで、そっと帰って来てしまう。


一刻も早く実家から離れたくなる。


悲しみと怒りと絶望と入り混じっていて、でも一番腹立つのは私自身に対して。


なんで、他の姉弟のように平常心でいられないのか。


自宅で実親の介護をしている人って、本当にすごいと思う。

これが例えば旦那だったら、ある意味他人なので、もうちょと器用に対応できると思う。


一番大好きな肉親の介護ほど、心がしんどいのだと思う。


最高に楽しかった〜。

私が一番行きたがっていたからなぁ💦


とは言え、無事に帰国してホッとしました。

なんせ、今回は2家族7人を引き連れて、合計8人の旅行。


子どもたちに怪我がないように

はぐれないように

トイレ大丈夫?

お腹空いてない?

喉乾いてない?などなど

気にすること盛りだくさんで😅


そんな旅行は、朝3:00出発から始まりました。


早朝便の飛行機だったので、夜中に出発。

弟家族を迎えに寄ってから空港へ。


夜中なのに、ジュニア、甥っ子、姪っ子4人はもう既にテンション高い😊

3人が年子で日頃から仲良しで、小さい頃から何度も一緒に旅行へ行っているけど、海外旅行に一緒に行くのは初めて。


子ども達にも、一人一つキャリーバッグを持たせて、最後まで責任を持って自分の荷物を管理するようにしました。

そのキャリーバッグでさえも、キャッキャッと喜びながら引いてる〜。


チェックイン、イミグレを抜けて、キラキラのショッピングエリアへ。


この景色大好き!

免税店やカフェ、ハイブランドショップなどが、ズラーーーっと並んでいて。

あぁ、これから海外へ行くのか〜って、ワクワクしてきます。

特に買うものもないけど、ふらっと見渡してそれだけで堪能できる。


子どもたちとパパ達がお腹を空かしているので、ラウンジへ移動。

この時点で搭乗まで1時間弱。

ラウンジ内のブュッフェで、各自好きなものを食べていました。


早朝だと、さすがにアルコールは飲めないわ〜。

と、パパ達も珍しくコーヒーを飲んでました。

私と義理の妹は、フルーツやプチケーキなどを子どもたちが持ってきてくれたので頂きました。


出発まで、ラウンジでのんびり過ごしました。


来週からの旅行に備えて、語学の学習をしてます笑。


英語圏ではないので、と言うか、ぶっちゃけ英語も通じる国だけど、せっかくなのでその国の言語を少しでも使いたくて。


もう、ホントに初歩の初歩の言葉だけ。


だけど、その初歩の初歩の言葉で私が話したとして、相手から返事を現地の言葉で返して来たら、完全にアウトっていう…💦


いや、そもそも現地言葉で話しかけたら、絶対に現地言葉で返してくるよね。


で、そうなったら、そこからは英語でお願いしますと、わけのわからん事を言わねばならないけど。


それでも、やっぱり現地言葉で話したいのですよ。


移動の時間や自宅に帰ってから、ずーっとイヤホンでYouTubeを聞いている毎日。


さてと、どこまで通用するかな。

まぁ、楽しめれば良いのですよ。

何事も形からってことで。


進学塾へ変わってから、周囲の厳しい環境に馴染めず、勉強嫌いになってしまったジュニア。

なによりも、私が厳しすぎたことが一番の原因でした。


4年生になってからの勉強嫌いは、とてもダメージが大きすぎて…病みそうなほど私は悩んだけど、塾を辞めて出来る限り放置するようにすごしていました。


通知表は、よくできる、できる、もう少しの三段階。

3年生まではほぼ全部、「よくできる」でした。

4年生になり、「よくできる」は1個だけしかも体育、おまけに「もう少し」が1個、ほとんど「できる」ばっかり。


三学期になり、ゆるく勉強をしていきたいと本人から言い出したので、優しい家庭教師の先生にお願いしました。

時事ニュースを教えてもらったり、宿題などを一緒にしたり。

それでもジュニアが勉強に前向きになりつつあったので、黙って見守ることに徹した三学期。


そして、今日持って帰ってきた通知表。

そこにはジュニアが復活しつつありました!

半分が「よくできる」、残りは「できる」。


あぁ…頑張って結果が出た。

良く頑張った、本当に良く頑張った。 先生にも大変感謝です。


これを自信に、前向きに強く育ってくれたら良いなと思います。


親である私が遠回りをさせてしまったから、私が学ばないといけないことが沢山あると痛感しました。


良い最終日です。

良く頑張りました。


今日はアキラ君が仕事だったので、ジュニアと2人で父のお墓参りに行きました。


雨風がきつくて、めちゃくちゃ寒かった〜。

それでもジュニアが率先して、バケツにお水を入れて運んでくれたり、お花のお水を入れ替えてくれたりして、父も喜んでくれてるだろうなぁと思うとジーンとしました。


父はジュニアが小さい頃一緒にお祭りへ行くと、足を踏まれたら危ないからとジュニアを肩車して歩いてくれていました。


私の小さい頃の写真にもあったなぁ。

人混みではいつも肩車をしてくれていたわ。

弟が生まれてからは、弟が肩車されていて、私と姉が父にぶら下がるようにしてはしゃいでいた記憶がある。


祭の出店の食べ物は「不衛生だからダメ」と、母が一緒のときは食べさせてもらえなかったけど、父と出掛けた時は買食いしまくっていた。

ジュースも食べ物もあまり食べられなくて、でも持って帰ったら母に怒られるから「内緒な」と行ってポイっと捨てていた父。

それでもいつも、私達が欲しいと言うとホイホイ買ってくれていた。


親になって思うと、そりゃ母に怒られるわ〜💦って。

ホントに単なる甘やかすだけ甘やかす親だった…。


お墓参りの後に実家に寄ると父方の従弟がきてくれていました。

父は生前、「子どもたちの活躍が俺の自慢。」と言っていたと教えてくれました。

「何にも活躍なんてしてないけど…」と言うと、父からすれば私達が結婚をして家族を持ち、仕事を頑張っている姿や、友達に恵まれて楽しそうにイキイキしてることが嬉しいと言っていたみたい。


普段から、「うちの子どもたちはイキイキしている。」とよく言っていたらしい。


姉だけはちょっとタイプは違うけど。

小さい頃から「おりこうさん」な人。

勉強もスポーツも出来て、誰からも好かれる人。

メガバンクの支店長になり、社会人になってからもいつもてっぺんにいる。


一方の私は、前に書いたように勉強もスポーツも中の中。

時々中の上だったり、中の下だったり笑。

中学生の頃の反抗期もなかなか強烈で、なんだかんだと姉がいつもかばってくれていた。


弟は今のジュニアとそっくりで、勉強そっちのけでザ体育会系の野生児。

大学もそっち系。

今は父の会社を継いでいる。


父はもっと生きたかったと思う。

「ママを頼みます。」と弟へ言っていたそう。

母を私達に託して逝ってしまった。


もう会えないのかと思うと、今でも心臓がドキドキと早まるし苦しい。

後悔がいっぱいあって、取り返しがつかないと思い知っては苦しくなる。

何一つたったの一つも親孝行していない。

最低な娘。


やっぱりお墓参りはまだツラい。

一生ツラいのだと思う。


せめて母には後悔したくないから、出来る限りのことをしたいのに、これもまた時間に追われて大したことかできない。


「大切に育ててくれたのに、丁寧な対応ができなくてごめん」と言うと母は「そんなこと言わなくて良いよ。幸せよ。」と言ってくれてわんわん泣いてしまった。


やっぱりお彼岸とお盆は私はツラい日です。

今期も1年が無事に終わります。

家族みんな、良く頑張ったと思います。


アキラ君は仕事と大学の両立の1年。

毎日毎日、仕事と勉強と子育てに全力を尽くしてくれて、尊敬と感謝しかありません。

大学の単位取得は目標を下回ったそうですが、それは仕方がないよと言ってます。

のんびりで良いと思ってます。


ジュニアは塾と受験を辞めると言い出し私はパニックになりましたが、結局本人がなんとなくゆるく勉強をしたいと言い出したので、家庭教師の先生をお願いしています。

意外?とみるみると成績が上がり、それが自信へと繋がりつつありますが、進学塾でこっぱみじんになった気持ちはまだ引きづっているみたい。

受験へもまた前向きになってくれたら良いなとおもうのですが、こればっかりは…なんとも。

相変わらず、勉強が終わるとサッカーボールを持って全速力で皆が集まるいつもの公園へ行きサッカー三昧です。

もう最近は半袖で出かけてて、単なる野生児にしか見えません…。

学校のマラソン大会で優勝、縄跳び大会で優勝、サッカークラブのリフティング記録会で関西地区優勝と、勉強以外では華々しい成果。

だけどそれは私にはできないことなので、本当に良く頑張ったと嬉しかったです。

なによりもジュニアの誇らしげな笑顔に安心したと言うか、泣けてくるというか。

終わりよければ全て良しです。


私の仕事は、ここ数年で一番充実していました。

全力で目標へ向かい、達成できた事、まだ取組中の事、様々です。

そして年末に認証されたガバメント系の仕事は、この先の私達にとって大きな第一歩となりました。

後継者ができて少しづつ引退していこうと思っていたのですが、やっぱり仕事は楽しすぎて辞められない笑。

これからは、時短勤務と私にしかできない裏方の仕事に専念しよう。

根っからの営業好きなので、身の丈にあったことから少し超えて取り組んでみようかな。


もうすぐジュニアが春休みに入ります。

待ちに待った半年ぶりの海外旅行!

今回は、私の弟家族も招待して大人数での旅行。

コロナ解禁となり、我が家の海外旅行も解禁。

これからは思う存分行きたいと思います。


エアーとホテル、空港の駐車場の予約は済。

海外用esim発注済。

クレジット会社へ渡航の連絡済。

まぁ、あとはパスポートさえ忘れずに行けば大丈夫かなと。


それよりなにより、子どもたちが体調を崩さないことを祈るばかり。

頼むよー!