一条のブログ

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今日は2件書いておきました。


正月の番組で織田信長が出ていたので、仏罰関連で書きます。


タイトルの内容以外に、仏罰かもしれないと考えられる内外の例をいくつか取りあげたいと思います。なお、それぞれの人数はいろんな説があるのですが、自分が妥当と思われる人数を書いています。


以前の記事でも書きましたが、中国の場合は、チベット侵攻で数十万人のチベット人仏教徒を虐殺した後、10年足らずの間に、大躍進政策の失敗で、数千万人の漢族が餓死しました。


また、2008年3月に、チベットで約1000人のチベット人仏教徒を虐殺した直後のお釈迦様の誕生日(旧暦の4月8日)に四川大地震(マグニチュードは8.0)が漢族を襲い、漢族約10万人が死にました。


どちらも、虐殺されたチベット人の約100倍程度の漢族が犠牲になりました。


なお、お釈迦様の誕生日は新暦を用いる人もいますが、正式には旧暦です。なぜなら、新暦の4月8日は必ずしも大安になりませんが、旧暦の4月8日は必ず大安だからです。


旧暦の4月8日は大安中の大安で、キリスト教のクリスマスに相当します。四川大地震は、四川省でマグニチュード8.0と数字まで一致しています。


次にアメリカの例ですが、太平洋戦争時にアメリカのルーズベルト大統領は、日本への無差別爆撃を許可していましたが、大半の空襲での日本人仏教徒の犠牲者は一回当たり、数百人から数千人程度でした。


しかし、昭和20年3月の東京大空襲では、たった一回で約10万人の日本人仏教徒が虐殺され、その数は、それ以前の空襲とは桁違いでした。


ルーズベルト大統領は以前から病気で体調が悪かったのですが、この超大規模空襲からわずか1か月後に全く別の病気・脳卒中で突然死します。まだ63歳でした。


このことを、仏罰ととらえたかもしれないアメリカ人高官がいます。


それは、スチムソン陸軍長官です。彼は日本のことにかなり詳しい人物でした。当然、仏罰という考えも知っているし、延暦寺を焼き滅ぼした信長が京都の本能寺で焼き滅ぼされたのも知っているでしょう。


当初、原爆投下の筆頭候補地は、京都市だったのですが、彼は「京都には多数のお寺があり、日本人の心の街であり、原爆を投下したら終戦後の占領政策に対する日本人の抵抗が激しくなる」として、京都への原爆投下に強硬に反対しました。


その強硬さは異常なほどで、スチムソン自身が日本に来て占領政策を指導するわけでもなく、うまくいかなくても自分の責任でもないのに、あまりにも異常なほど強硬に、京都への原爆投下に反対していたのです。


京都市は軍事的に原爆投下に最適だったので、彼が候補リストから京都を外させて外国に行っている間に、ある将軍が勝手に京都をまた候補地に入れたところ、帰国後にスチムソンはまた候補から外させました。


またトルーマン大統領が心変わりしないように何度もしつこく京都を外すべき理由を説明しています。


さらに彼は、ルーズベルトの死去後、京都を通常爆弾の空襲候補地からも外させました。


なお、原爆投下を許可したトルーマン大統領は、その後も長生きしています。


これは、ルーズベルトが終戦後の日本の占領はソ連も参加しての分断占領の予定だったのに、赤嫌いのトルーマンがアメリカの単独占領を押し通したからかもしれません。


トルーマンに急死されたら、ソ連も含めての分断占領になった可能性もあり、トルーマンが急死しなかったことにより、結果として日本が分断国家にならずに済んで日本のためになったらしいのです。


でも、原爆投下では生き残った人も多くが障がい者となりましたが、トルーマンも晩年自宅で転倒して半身不随になる不運な事故に遭い、障がい者になってしまいました。


彼は88歳まで長生きしたにもかかわらず最期の8年間は半身不随で悲惨な人生でした。


ところで、織田信長は、比叡山延暦寺に火を放ち、僧侶3000人もろとも焼き滅ぼした。


それから、何年も経ってから、自身が京都の本能寺宿泊時に明智光秀の謀反に遭い、自身が延暦寺にしたのと同じく、寺もろとも焼き滅ぼされました。


信長自身が火をつけたという説もありますが、そうせざるを得なかったという点で焼き滅ぼされたという表現でもいいかと思っています。


でも上記のどれも仏罰かどうかは判断できません。