前略 X様

オリンピックが終わり、中国は情報統制を再び強化している。
この僕の殆ど誰もチェックしていないブログのページですら、中国から更新はできても一般読者として見る事が出来なくなっている。
どういう理由で当局に検閲されているのか知らないが、少なくとも中共は僕の書いたものに気が障ったか、或いは中国人に読ませたくない何か不都合な事が書いてあると思ったわけで、或る意味では名誉な事である。
大袈裟な言い方をすれば、こんな世界から無視されているような言語空間に対してさえ、当局は恐れを抱いているのであるから、天晴れと言うべきかも知れない。

世間は百年に一度の不景気が突然やって来たということで騒いでいる。
僕の勤める会社でも工場の農民工を切らなければならない事態に追い込まれている。
だが工会は「農民工なんて、クビになったら故郷の農村に帰るだけなんだから、過剰になったらどんどん切ればいいんだ」と言う。
日本の労組も基本的には正社員の利益を代表しているのだろうから、不景気になったら期間工や派遣社員なんてどんどん切ってしまって、少しでも自分達のボーナスが減らないようにして欲しいと腹の底では思っているのだろう。

中国の農民工の場合、都市での仕事を無くして故郷に帰ると農作業が待っているが、飢え死にすることは無いし、住む家が無いという事は無い。
ところが日本の都市生活者の期間工や工場の派遣社員はそうではないらしいということが日本のニュースからは察せられる。
彼らには最早帰るべき農村も無く、支えてくれる家族や一族親戚も乏しい、というトーンである。
もしもそういう人が実際に多くて、日本の治安状況を揺るがしかねないのであれば、そういう失業者を収容する場所を一時的に役所が用意してあげる事にも意味が有るだろう。

だが日本のマスコミは例によって信用できない。
今から十数年前、僕が香港に住んでいた時に、たまに帰国すると青いビニールシートで作られたテントが村のようにあちこちに有って驚いたものだが、既に日本ではそういう状況が再び出現しているのだろうか。
そういう風には報道されていないところを見ると、もうそれが当たり前になってしまったのか、それとも派遣切りの初期段階である為に、まだそこまで状況が深刻化していないという事なのだろうか。
いずれにせよ、派遣切りに遭って即座に住む家を無くした人が次々と凍死する、というほど深刻な状態ではないのではないか。

でも日本発のニュースを見ていると、そういう風に感じられてしまう。
そしてそういう風に感じさせて、そういう人達に援助の手を差し伸べることが政治の急務であるという世論形成をマスコミが目指しているように見える。
政策の優先順位付けはマスコミが主導して行なおうとしているのだろうが、マスコミが導こうとしている政策の優先順位というのは、一体誰がチェックしているのだろう。
本当に、総花的で拙速な景気、失業対策の優先順位が日本全体にとってそれ程高いものなのだろうか。

それを議論している暇が無いほど急激に経済情勢が悪化したから、麻生政権にも打つ手が無く、民主党は徳政令的救民策をゴリ押ししようとしているのだろうが、それがマトモな事かどうか、1日で良いから立ち止まって考えてみてはどうか。
例えば、昭和の始めにあった大恐慌と比較する話があちこちに見られるが、大恐慌とは何であったのかという話から始めるのは迂遠に過ぎるのだろうか。
大恐慌は、過剰生産によって引き起こされたという言われ方をする事がある。
何に対して過剰なのかというと、バブルが崩壊した時の人間の欲望の大きさに対して生産能力が過剰なのである。

それは今回も全く同様なわけで、現在の世界が保有している生産能力は、全ての人が「お腹いっぱいではないが、当面は足りる」という水準に比べて著しく過剰なのである。
そしてその過剰な分の需要を満たすために雇われている人が、こういう調整期に真っ先に整理されてしまう労働力である。
人間の欲望は気分によって過大になったり萎んだりするので、財やサービスを提供する企業は、その落差の調整をどのようにして行なうかという事を常に考えなければならず、その調整方法の選択肢を管理する為に政策や法律が存在する。
工場の派遣切りがそれ程恐るべき非人道的な行為なのであれば、製造業にそのような選択肢を与えてしまうという政策がそもそも非人道的なのである。

そのような非人道的な選択肢が日本の製造業に与えられてしまったのは何故か。
日本の製造業の経営者達が、そうしなければ日本国内に製造拠点を残し、存続させられないと考えたからである。
そしてそれは製造業のコスト面から経営を見た場合、至極尤もなことである。
規則正しく正確で常に改善を志向する単純作業労働者は、日本人でなければいけないわけではない。

だから不景気の時にそういう単純作業労働者が整理されてしまうのは仕方が無い、と考える。
単純作業労働者は機械と同じ生産手段なのだから、需要が無いのに巨額の費用をかけて会社全体の経営を危うくするわけにはいかない。
問題は不景気の時でもそういう整理された労働者を受け入れられる仕事場を用意していないという事だろう。
同じ会社内で配置転換できれば一番良いのだが、単純作業労働者は単純作業しかできないか、或いはそう看做されているからそういう仕事をしているわけなので、単純作業の需要が無くなれば同じ会社に留まることは難しい。

結論としては陳腐だが、先ず企業は、せめて正社員の雇用は維持しなければならない。
だが企業努力には限界がある。
やはり政治だ。
政治はこれ以上悪くならないようにしなければならない、というだけでは不足だ。

根本的な解決策は、理想的には単純作業労働者を受け入れられる産業作りだ。
そういう企業家を生み出せるような環境作りだ。
後々に害が少ない景気の呼び水だ。
しかしこれらは皆、机上の空論である。

単純作業労働者は設備ではなくて人間なので、経済合理性の示す全体最適に向かって職場を転々としてくれるわけではない。
その点、中国の農民工の方が、日本の期間工に比べて遙かに合理的な行動を取るので、恐らく日本よりも中国の方が景気回復は早いのではないかと思う。
日本は遅れて景気が深刻な後退をし、回復するのも最も遅くなるわけだ。
それが嫌なら、みんな仕事や住む場所を選んでいる場合ではない。

グローバル経済というのは、自分の働く場所、国や地域を決めることができるのは経済的強者の特権であるという経済だ。
僕だってそうだが、本当は阪神間のどこかに住んで、月に一度くらいは甲子園で野球を見たいのだが、それが叶わぬからこうして中国で仕事をしている、という部分もある。
だがバリバリ働こうとすればするほど、客は世界に求めざるを得ないから、自分の住みたい場所でゆっくり暮らせない。
そして日本人が世界の客の為に働いて稼いで円が高くなれば、外国から多くの出稼ぎが日本にやって来るのは止むを得ない。

彼らは日本人ではないが、日本に住むからには日本の流儀を守ってもらわねばならぬ。
ところが日本には彼らを受け入れる準備が今もってできていない。
ビジョンも戦略も当面の方針も合意されておらず、従って法律もシステムも整備されていない。
この状態で高い円がこれ以上続けば、日本に居る単純作業に従事する外国人は、戦前の朝鮮人と同じ目に遭うだろう。

不景気、治安の悪化、排他的ナショナリズムの過激化、と一直線に進む者も多いだろう。
ナショナリズムが日本が国家として自立する為のパワーになれば良いが、今の日本で排他的ナショナリズムを最も強烈に持っているのは実は外国で生活した経験の無い引篭もりであろうから、そういう建設的な仕事には力を活かせまい。
そうして国民感情が一度、そのような暗い傾きをし始めれば、ギョーザ問題に見られるように止めることは難しい。
日本は一国を挙げて引篭もりを選択するのかも知れない。

それは日本だけではないかも知れない。
あの大らかなタイ人が、あのような引篭もり的ヒステリーを起こすとは思わなかった。
残念ながらタイ人は今後しばらくの間、国際的にバカにされ続ける悲惨な選択をした。
それが天安門のように国家の指導者によって直接的に引き起こされた事態ではなかっただけに、猶更悲惨である。

しばらく書いていなかったので、話題の焦点を絞れず思いつくままに書いてしまった。
いかんなあ、不景気は。
ろくな事を思いつかない。
40代になって、気力も体力も衰えてきたのが辛い。

早々