前略 X様

方々手を尽くして警察にまで相談したが、結局土日の朝からの騒音と重振動を伴う工事を中断させるには至らず、自宅からの避難を余儀なくされた。
お陰で予定していた休息を取れず、しかも余計な費用がかかったが、もちろんここは中国だから、階下の住人が謝るわけでも補償してくれるわけでもない。
腹立たしく悔しいが、三十六計逃げるに如かず、それが中国の常識だと警察を含む全ての中国人に開き直られたので仕方が無い。
普通の日本人なら病気になるまで我が家に居座るかも知れないが、中国人は違う。

そういう逞しさ、したたかさが有るからこそ外国に移民しても中国人は日本人と違って簡単には死なない。
しかしその逞しさやしたたかさは、普遍的文明的な都市生活に必要な道徳観から見ると単に野蛮な田舎者の発想である。
中国人には伝統として公共という概念がほぼ無いと言って良い。
それ故、中国の都会は魔都になるか、官僚的恐怖支配をして秩序を保とうとするしか発展のしようが無い。

こういう連中が日本に大量にやって来て、中国風の常識的世界をあちこちに作るのは考え物だ。
やって来ても良いが、そこに「中国」を作らせてはならない。
そして組織や集団としての「中国」と対決する為には、無論日本的なやり方ではダメである。
圧倒的パワーか、或いは銭金で以って有利な条件を勝ち取らねば、舐められてどんどん後退させられる。

だが単に力ずくでは日中戦争と同じ愚を見る。
彼らを完全に降伏させようと思って戦うと、帝国陸軍と同じ憂き目に遭う。
そうではなくて、戦略的目標を達成する為には我を見失って深入りせず、面倒でも向こうが根負けするまでしつこく文句を言い続け、何らかの補償を要求し、それを得て納得するべきなのだ。
それがイギリスにはできたのに、日本にはできなかった。

「中国」と対決する際には、中国人の思考パターンを先読みしなければならないのは無論だ。
彼らにはシンメトリーとか、首尾一貫とかいう考え方は有るのでパターン認識は得意だが、前提を疑ったり因果関係を深く考える伝統は無い。
それ故、科学的な真実というもの、客観的な事実というものには余り興味が無い。
だから中国では日本流にものの道理というもので以って説得しようとしても無駄である。

そうではなくて、損得勘定や面子としてにこういう形なら双方納得できる、というような感じの落とし所を常に考えて相対していく必要が有る。
もちろん中国ではこのようにしなければならない、という話である。
日本においてまで、彼等の身勝手な中華道徳に付き合う必要は無い。
日本ではもちろん、中国人に対して「日本流に合わせろ」、と文句を言い続け、時には法を以って厳罰に処す必要が有る。

それは普通の日本人にとって非常に疲れることだ。
中国人の醜い部分を肌で感じた日本人が中国人一般を日本から追い出そうと考えるのも無理からぬところがある。
だが日本人はキレてはいけない。
キレれば日中戦争と同じく、最後は負けだ。

日本でもかつて騒音オバサンの事件があったが、中国はそこら中がああいう感覚の連中だと思った方が良いのかも知れぬ。
日本なら、ああいう非常識な田舎者も最後は警察に捕まって、裁判で被告席に立たせることもできる。
どうしても仕方の無い騒音なら、自ら近所に前もって知らせたり、お詫びしてまわる人もいるだろう。
そういうことは中国では期待できないというのは理屈ではわかっている。

わかっているが、我慢できないものは我慢できぬ。
久しぶりに中国から逃げ出したいと思った日だった。
まあしかし、日本にいたら、阪神が負ける所ばかり見せられて、それはそれで気が狂ったかも知れぬ。
弱り目に祟り目で、不平不満や愚痴しか思いつかぬ。

早々