こんにちは!
 
みなさんに沢山お話ししたい事ばかりで
次々と違う記事でごめんなさい。
 
今日は、先日お伺いさせて頂いた
鹿島神宮のお話のつづきですハート これねてへぺろ⬇️
 
 
ガイドさんが一番のパワースポットキラキラキラキラと、教えて下さったのは、、
 
 
奥宮の後ろにある ご神木キラキラ
 
 
光り溢れる写真。
わーん。ステキすぎる・・・
 
光りの写真家 千津先生が撮影して下さいましたの。
嬉しい瞬間を捉える天才!!
 
ガイドさんがこちらのご神木に、『耳をつけてごらん』と言われて
そっと、樹に寄り添わせて頂きましたら・・
 
なんと!
『シューシュー』と、大きな音が聴こえるではありませんかっラブラブラブラブ
 
これはね。木がお水を吸い上げている音なんですって。
こんなに大きくてはっきりとした音を聞いたのは初めてでしたので
神聖で命の営みのありがたさを実感キラキラキラキラ
午前中までが一番大きな音がするそうですよ。
もう既に3時位になっておりましたが、しっかりと聴こえましたハート
こんな素敵な体験は、ガイドさんがいて下さったからこそ。
ありがたや〜。
 
 
   大鯰(おおなまず)の碑
 
鹿島神宮と言ったら、要石 が有名ですよね。
小道の途中で、武甕槌大神がナマズの頭を押さえている石像がありました。
 
  ※写真はネットからお借りしました。
 
昔は、地震は地中の大ナマズが暴れて起こると信じられており、
香取神宮の武甕槌大神(タケミカズチ)と、香取神宮の経津主大神(フツヌシ)の2柱が
天照大神の大命を受け関東平野を平定に来た際に、地震が頻発し人々が困っていたので
地中深く石棒を差し込み、武甕槌大神は大ナマズの頭を押さえ
経津主大神が尻尾を押さえ込んだと伝えられています。
その石棒が、要石だと呼ばれているそうな。
 
 
 
しっとりと落ち着いた小道の先にある要石
 
 
 
 
鹿島神宮の要石は、凹形。
中央がポチッとへこんでいますよね。
小さそうに見えますが、掘るに従ってどんどん大きくなり
その深さを知る人はいないそうなの。まじかーっ!!
かの、水戸黄門仁徳録に『七日七夜掘っても掘っても掘りきれず』との記載があり
地震押さえの伝説の証とも言われているそうです。
 
この要石、地中で香取神宮と繋がっているそうな。
香取神宮は、丸くなっている 凸型なんですって。
今度お伺いするのが、楽しみナリよ。
 
 
こちらも素敵な光が溢れてましたラブ
 
 
 奥宮のお写真です。
このご神威と品格がみなさんに伝わるといいな。
 
今回ガイドのおじさまに、沢山お話を御聞きしましたの。ガイドになった経緯もお聞きしてびっくり・・
 
実は、この茨城の地には縁もゆかりもなかったけど元々は鉄鋼マン。 
S金属さんご出身だそうで、北海道から転勤でこの鹿島に移り住んできたそうな。
まじかーっ。やはり、鐵のご縁がここにもあったとは・・わくわく。
 
そして、ご縁があってこの鹿島神宮の歴史や北海道の歴史について深く學び、人々に伝えるのを生きる使命だと思われているそうでした。ステキ。
 
この香取神宮は、現在、『東国三社』の一つと言われとても有名ですが、
実はかつて『常陸国の三社』(東国の三守護神)の一つ『鹿島神宮』『吉田神社』『静神社』が有名だったそうなんです。
 
この、常陸国(ひたちのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つで『東海道』に位置し大きな役割を担っていたんですね。
その一宮、『鹿島神宮』、二宮『静神社』、三宮『吉田神社』
 
『静神社』は阿波忌部族の繫がりが深く、そしてまた、鹿島神宮境内には、『高房社』という名前で静神社がお祀りされていたり、鹿島神宮の奥宮には静神社の木が用いられているそうな。。なんとも鹿島神宮と静神社の繫がりの深さが伺われます。
 
そして、この静神社の御祭神は、なんと、建葉槌命(たけはのずちのみこと)
織物の女神さま。日本で初めて織物を織った女神さま。阿波忌部族といったら、麻なんです。
 
そして、建葉槌命さまの別名は、『倭文神・しずかのかみ、しどりのかみ』といわれ、倭文(しず、しどり、しずり)とは、梶の木や麻などで織った古代の織物なんですって。
全て、阿波忌部族に繋がります。
 
※阿波忌部族研究家の林博章先生の 倭国創生と阿波忌部よりお借り致しました。
しっかりと、倭文神社(静神社)のことが記載されています。
 
 
関東平野は古来から渡来した民族が稲作を広め『蝦夷』と戦いながら勢力を広めて、大和朝廷の基地ともなったそう。この『蝦夷』とは。丁度節分の時期でしたので、すごいタイミングでガイドさんからお話をお聞きする事になるなんて、、
驚きましたが、運命ってこんなことなのですよねハートハート
 
この、『蝦夷(えみし)』渡来人の先住民で『毛人(もうじん)』とも呼ばれており
毛深くて大きな体格で、大和朝廷からみて、東国(あずまのくに)に住む人々を指しました。
日本書紀には、都加留(ツカル)・麁蝦夷(アラエミシ)・熟蝦夷(ニギエミシ)の3蝦夷が書かれています。
 
鬼と言われて、追いやられてしまった民族。
とても興味深くて、もっとお話を聴きたかったのですが時間が足りなくてまた次回ゆっくり御逢いしに来たい!!
 
続きます!