大好きな三峰神社さま

 




何年か前に、ふと。心を引きつけられたご縁で

これまでに2回、御伺いさせて頂いております。

 

関東平野を包み込むお山に

いつも護られている安心感がありますよね。

 

ありがたや〜。

 

 

じっくりと三峰神社さまのことを調べたことがなかったのですが

見つけちゃいましたよ。素敵な記事を。

 

『三峰神社と歴史的考察』by 岩井國臣さま

     ➡️    三峰神社と歴史的考察

 

 

和のスピリット、ヤマトタケル、千葉、麻、インディアン、

ホツマツタエ、役行者、忌部族、秦氏、、

なんと、龍角寺も出てきたり、、龍龍

色々興味深い内容ばかり。

 

 

 

三峰神社の境内の中にひっそりと佇む、日本武尊像。

日本各地に様々な伝説が残っていますが、秩父と同様に、房総半島にもその伝聞が数多く残っています。

 

 

古墳時代の房総半島は、『捄国』(ふさのくに)

古くは、捄=麻 がよく育ったことに由来して

現在、『総』が麻の意味だと言われていますが、

実は後世の当て字だったのを知って

びっくらこいたアルネ!


 

総 = 麻  

は、間違いらしい。

総には、麻の意味はないのです。。

 

本当の歴史って、

どうなのでしょうか?、、、

 

 

本来、『古語拾遺』によると、天富命が阿波(徳島県)から黒潮に乗って渡来し、

日本各地を巡りながら、阿波と同じ気候である捄国(ふさのくに)に辿り着き、

麻を栽培し成功したので忌部(斎部)の一部の居住地には、

本来の阿波(あわ)の國に敬意を持ち、あわの名を取り、

漢字を安房(あわ)としたのが起源だとされています。

 

 

そして、三峰神社さまのHPには、

 

『降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しまし た。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遺わされ「大明神」の神号を奉られました。』

 

日本の古来から信じられて来た信念は、アニミズム、どんなモノにも命が宿り、天に近い磐座や巨木などに霊性を感じ祀り上げた、森羅万象の世界、、なハズですが。偶像礼拝に変わっています。

 

そして古来、『中臣氏』と『忌部氏』で神事を祀ってきましたが

中臣氏による日本の神事掌握により、忌部氏が地方に追いやられてしまい、


諸国の神社祭祀を画一化し、中央に鏡、両側に榊、酒、水、塩などを奉り

麻を束ねた大幣(おおぬさ、今は紙で作られた 紙垂)で空間を祓い清めることを確立したのはこの頃だそうです。


この葛城連好久公が、 阿波忌部族 の 『忌部好久公』と、どうやら関連付けれるらしいのです。



忌部氏と言ったら、麻ですね!霧

 

 

麻は魔を祓う、神具です。

そして、今日は満月。

 

不要な思いや人脈を払拭するのに、絶好のタイミング。

 

三峰神社は、阿波忌部と麻に繋がるだなんて。

 

不思議だけれど、不思議じゃない

この世の摂理。


今日は沢山の人生の縮図を感じました。


やっぱりタダでは済まない

麻の祓いは強烈でした。


以前、深川不動尊で

刀を頂いたからなのか、

闇の祓が出来るようにもなったらしい、、


ホントかな?


続きます🐲