剣道には基本技のほかに、試合や実戦で使われる「微妙な技」、つまり繊細で高度な技術が求められる技がいくつかあります。こうした技は、相手の心理や動きを見極めることが重要で、一瞬の駆け引きで勝負が決まることが多いです。いくつか紹介しますね。

1. 剣先の攻めによる崩し技

・剣先の抑え(押さえ技)

 相手の竹刀の剣先を軽く押さえ、自由を奪って攻め込む技。力で押すのではなく、相手のバランスを崩すように行うのがポイント。

・剣先の浮かせ

 剣先を細かく動かし、相手の剣先を浮かせて隙を作る。相手が剣先を戻そうとする瞬間に打ち込む。

2. 仕掛けと応じ技の駆け引き

・出鼻技(でばなわざ)

 相手が打とうとした瞬間、その動きを見切って先に打つ技。たとえば「出鼻面」や「出鼻小手」などがある。相手の動きを見極める洞察力が求められる。

・相面(あいめん)

 お互いが同時に面を打ちにいった際に、相手より早く・正確に打つ技。体の構えや剣先の角度が重要になる。

・崩しからの引き技

 相手が前に出ようとする力を利用し、間合いを保ちつつ引きながら技を決める。「引き面」「引き胴」など。

3. フェイントや誘導を使った技

・捨て技(すてわざ)

 わざと空振りするような動きを見せ、相手を誘い出して打ち込む技。たとえば、少し大きめに動いて相手を安心させ、次の一手で本命の打ちを決める。

・返し技(かえしわざ)

 相手の打ちを受けて、その反動を利用して逆に打ち返す。「返し面」「返し胴」などがある。

・抜き技(ぬきわざ)

 相手の打ちをギリギリでかわし、すかさず打ち込む技。「抜き胴」などが代表的。

4. 相手の気を削る技

・間合いの詰め方

 絶妙な間合いを取ることで相手を圧迫し、焦らせる。プレッシャーをかけてミスを誘う。

・気勢(きせい)による牽制

 掛け声や気迫を前面に出し、相手に威圧感を与える。特に試合の場面では、これだけで相手のリズムを崩すことができる。

剣道はただ力や技術だけでなく、心理戦や駆け引きも重要です。微妙な技を使いこなせるようになると、試合でも優位に立てるようになりますね!

 

「およそ剣道に志す者はその心を正しく苟も技巧に慢心し、私心を挟みて浮華軽佻に流るるがごときことあるべからず。

私心を去り、小我を捨て、正道をこれ道として勇猛邁進する心ありて、剣道の達成は初めてこれを望むべきなり。」

 

望月正房範士

 

剣道範士八段。群馬県出身。1913年(大正2年)5月~1992年(平成4年)6月22日。1927年(昭和2年)、同郷の野間清治が社長を務める大日本雄辯會講談社に入社。少年部社員として勤務するかたわら、野間道場にて師範の持田盛二・増田真助の指導を受ける。

 

1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧試合の府県選士之部にて優勝。同指定選士之部に出場した増田真助師範とともに、師弟そろっての優勝を果たす。

 

持田・増田両師範亡き後は長く野間道場の朝稽古を主導し、その伝統を守った。

 

(Facebook等ネット情報から引用)

 

 

 

愛をもって全てをつつみ、気をもって全てを流れるに任すとき勝たずして勝つ・・・つまりは自他一体神人一如、宇宙即我なる愛のむすびそのものの勝利となる。すなわち己れ一個の勝ち負けははるかに超越した武産の神の絶対の勝ちがそれであり、武の道とはそこに到達することをもって至上とする。

相手があり、敵があって、それより強くなり、それを倒すのが武道であると思ったらそれは間違いです。

真の武道には、相手もない敵もいない。真の武道とは宇宙そのものと一つになることだ。宇宙の中心に帰一することです。剣道では強くなろう、相手を倒してやろうと錬磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一すること、帰一しようとする心が必要なのです。

言行録 

剣道範士八段 - 居合道範士九段 児嶋克先生

(大正13年~1924年 ー 令和6年~2024)

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CYHDWYL5

 

 

胴技について

 本題にかえりまして、前々回は、試合の長時間化の問題を取りあげました。戦前の大会などでは、勝負に要する時間は非常に短く、その当時において、思いのほか長時間に及んだ試合では、「15分にも及ぶ長い熱戦が…」などと異例にあつかわれていました。ところが最近では、30分以上も平気で戦っている試合も珍しくありません。そして、試合時間を長びかせている原因は、「防御一辺倒の姿勢」と「粘りつく鍔競り合い」にある。さらにこの二つの行為が「真剣勝負の精神」を損ねている元凶であると申しました。

 これに対して、いわゆる「三所避け」戦法に対しては、「左胴技を奨励すればよい」ということがよく言われます。また実際に左胴技を駆使した試合もよく目に触れるようになり、有効打突の要件・要素にかなえば一本と認められています。しかし″これを当然の道理としてよいものか″という疑問を投げかけたのが前々回までのあらすじです。

 ご存じのように「剣道試合・審判規則」では、胴部の打突部位を「右胴および左胴」と記され、ルールの上では分け隔てなくあつかわれております。しかし、われわれが今まで培ってきた剣道観では、どうしても右胴を「順」、左胴を「逆」と考えてしまうところがあります。

 一方、野球やゴルフの例をあげるまでもなく、棒あるいは得物を右手前左手後に持って″振る″という身体技法としては、左胴打ちのような右からの振りの方が自然といえます。打ちの正確さと打撃力の強さを考えれば当然のことでしょう。また、剣道の経験が全くない人に竹刀を持たせ、胴を空けて打たせようとすると必ずといってよいほど左胴を打ってきます。このように自然というか本能のおもむくままでは、右手と左手が交差する、右胴打ちのような振り方にはなりません。われわれの持っている胴技の順逆観は、剣道を習い始めた当初から、右胴打ちばかり練習させられたためではないでしょうか。そして知らず識らず、練習をしない左胴打ちに違和感を持つ″習性″がついたものと考えられます。

 また昔習った先生から、「侍は左腰に刀を差しており、鞘があるので切れないから、技として教えなかった」という話を聞いたことが思い出されます。私どもはこの話が妙に腑に落ち、右胴が「順」で左胴が「逆」という考え方が″刷り込み″となって深く刻印されています。しかし最近になって、「左胴を逆胴と言い出したのはそれほど古い話ではなく、むしろ戦後になってからだ」ということを聞くにおよびました。そういえば刀の操作においても右上からの「袈裟懸け」が切り下ろしの主流であったことなども合わせて推察すると、″左腰に鞘″の話はどうもこじつけのような気もします。

 では、なぜ、本能的というか殺傷力が高い武術的な振りで発する左胴を「逆」といい、その反対の非武術的な振り出しの右胴を「順」とわきまえるに至ったのでしょう。

 筆者は、これが現代剣道、いや、これからの剣道を考える上で、最大の″キーポイント″であると思うものです。

 それを語る前に、剣道の近代史を紐解き、現代に至るまでの変遷を見てみましょう。

 幕末から明治へ、侍の時代が終焉し、維新政府による諸制度の改革と欧化思想のなかで、″廃刀″の世となります。剣術は旧時代の遺物とみられ、衰退の一途をたどります。おりしも明治10年(1877)の西南の役における警視庁抜刀隊の活躍が、剣術再評価の先がけとなった話は有名です。その後、武術の教育性が認められ、明治28年(1895)に武術の全国的な普及と発展のため、京都に武徳会が設立されました。そして明治44年(1911)には、中学校の正科教材に採り入れられ、徐々に一般国民の中に浸透していきます。そのような進展のなか、「剣術」から「剣道」へ名称変更し、「術」から「道」への質的変革の過程を経ますが、昭和20年(1945)の敗戦により一時期中止やむなきに至ります。

 

 

 

「先・先々の先」復習と補足!

剣道では、この「先・先々の先」の理解が非常に大事です。

「先」とは、相手の機先を制し、自ら先に打ちを出し勝とうとする身構え・気構えであり、精神要素です。

しかし、打ち気が強すぎるとお相手が守りを固めたり、、こちらが打とうとする所を狙われる事となり、なかなか安易には打たせてくれません。

「先」は、いつでも一挙動で打てる心と身体の準備が整っている状態。

そこからお相手をどう崩し打つ機会をつくるか(先に打たなければ打たれるのでは?、ここが打つチャンスだ!、打たれるのでは?と手元を上げ面を防ぐところなど)を工夫してください(^o^)/

「先々の先」とは、相手の技の未発未萌(みはつみぼう)のところに、こちらから打ちを出し勝ちを得ることである。

すなわち、相手がこちらを打とうとする兆しを打つことです。

相手が準備できていないところに技を出すのは、ただ先(さき)に技を出しただけです。

互いに相対し、行くぞ(打つぞ突くぞ)と構えたところを一つ目の先と数える。

こちらの先を乗り越えて相手が打とうとする先を二つ目の先と数える。

そしてその先の兆しをとらえ打ちを出し勝つことを「先々の先」と言います。

一足一刀の生死の間合いで、「打つぞ」という気当たりを見せる。または「ふっ」と攻めを緩めることで相手は「打たなければ打たれる。」「今がチャンス」と心が動くのであり、そこを間髪入れず・石火の機で一挙動・一拍子の技を出し勝つことが大事です。