私が現役エホバの証人だった頃、

終わりの日の先の未来に思いを馳せては、


「楽園に行ったら、言語も一つになるし、皆、兄弟姉妹だし、ゆっくり世界一周しよう」とか、


「時間もたっぷりあるし、若者の身体に戻るし、大きくて自分の理想通りの家を土台から手作りして建ててみよう」とか、


「津波みたいな善人に被害を与える天災は、絶対に起きないから、毎日、海の見える場所で生活してみよう」だとか、


「肉食動物もいなくなるし、大きな庭にたくさんの動物たちを放し飼いしよう」などなどなど、


あらぬことをアレコレと非現実的に妄想しては、それを苦しみばかりのクリスチャン生活の中で、心の支えにして生きてました。



「あの頃の自分て、ホントにアホだったんだなぁ」、と今は思います。


だって、ありえない偽りの預言をベースに、アレコレ考えたりしていたので、全く現実に根を下していないし、計画も未来待ちで棚上げしてて一ミリたりとも行動にも移すことはないし、身体作りをするワケでもないし、絶対に叶わないような、いわゆる妄想ばかりしていたのですから。


それはまるで「学校一の美人と付き合ったら何しようか」とアレコレ考えるのと同じ事で全く叶うはずがない愚の骨頂。


でも、それがホントにできるだろう、と当時は本気で思っていて、それが叶わない世界なんて一切考えていなかったから仕方がないのでしょうね。


そんなアホみたいな妄想ばかりせず、例えば手に職を付けるとか資格を取るとか、ちゃんと地に足ついた行動を少しでもしてたら、良かったのですが、そんな事なんて一切してませんでした。


せめてもの救いは、運転免許や英検とTOEICで点数取るぐらいのもので、後は何の資格もなし状態でした。


そして、こういうかつての自分が思い巡らしていた妄想と現実を見据えた事実と計画に基づく想像は全く違います。


想像とは、ちゃんと現実を見据えて、将来何が起きそうか、自分の状態はどうなっているか、社会はどうなるのか、等、様々な要素をベースにして、冷静になって考えることです。いわゆる「計算すること」とも言えますね。


聖句でも「家を建てるには、まず座って計算し」という言葉があるじゃないですか、大切なのは、アレですよアレ。


なので、あなたが、いざエホバの証人を辞めたなら、まずは比喩的な意味で、ゆったりと座って冷静になって、アレコレ世界や社会を見渡し、観察し、さまざまな知らない世界の書物を読んで勉強し、知識を蓄え、それから自分が何ができるか、何をやっていくかを計画し、最終的に自分の理想とする状態を想像し、それを叶えるべく現実的に行動に移していく。



現実社会できちんと生きていくためには、それが必要かな、と私は思うのですよ。


もっとも、あなたが、jw辞めても、お金も才能も若さもチャンスもあるから大丈夫というなら、私は何も言いませんが、ほとんどの元jw2世はそうじゃないでしょ。だから、あえてお伝えしたいのですわ。