昨日のメンタルのクラスは、衛藤先生の『ゲシュタルト療法』でした。
すごいすごいと聞いていたクラス。
クラスの内容は、もちろん、みなさんの今後受けるときの
楽しみのために書きません。
ただ、自分の中の最大の気づきについてだけ、書きたくて。
私は、子どもの頃「母のようになりたくない。」と思っていました。
全て父の言いなりで、あやまってばかりで、オドオドしていて、
いつもしんどそうで、いつも家にいました。
子どものためにと自分のことはいつも二の次。
それを感謝するどころか、もし結婚してもあんな風には
絶対なりたくないと思っていたのです。
子どもながらに母が犠牲者のように見えていたのです。
いつも心配と我慢してばかりいるんだと思っていたのです。
結婚して、子どもを産み、それでもやりたいことがたくさんの私は、
母に子どもたちをみてもらってセミナーやスクールに通ってきました。
お願いすると、嫌な顔ひとつせず、
学生の頃から変わらず母はいつもこう言います。
「ねえちゃん(私)が、色々勉強したり経験したことを
聞かせてもらうことが楽しいねん。自分では、ようやらんことやから。」
そして、今では、
「孫の顔をみることが生きがいやから、
頼ってくれるんがうれしいねん。
ねえちゃんの役に立てることがうれしいねん。」と。
遅い時間までメンタルのクラスに通えるのも、
夢に向かって行動できるのもそうやって、
いつも影になって応援してくれる母がいてるから。
私は、子どもの頃から母のように
誰かの犠牲になって生きたくないと思ってきました。
でも、母は言います。
お母さんは犠牲になっていないんだって。
お母さんは、うれしくてやっているんだって。
お母さんは、あんたら(子ども&孫)が幸せやったらそれでいいねんって。
昔から何度も言われてきたけど、
ほんまにそうなんかなぁ・・・と腑に落ちなかった。
でも、昨日、衛藤先生がお話してくださった
『衛藤先生でも勝てないすごい人』のこと。
すごい人やったんやわ。ウチのお母さん。
私には、なれないと思う。すごい人。
私は、子どもたちに
「かか(私)みたいにやりたいことを一生懸命して
毎日楽しそうに生きてる大人になりたい。」
と感じてもらいたいのです。
そういう姿を見せることが、一番いいんや!って。
相変わらずやりたいことばっかりやっている。
母は、それをみてどう思っているのだろう。
きっと、どんな私でも
「ねえちゃんやったら大丈夫や」と受け止めてくれるんだろう。
私は、母みたいに自分のやりたいことを
我慢することはできないかもしれない。
それでも、自分の子どもたちには、どんなときも
「あんたらやったら大丈夫や」と言ってあげられる
母親でありたい。
お母さんのように。
そうだ。
どこに焦点を当てるかで180度変わる。
母のようになりたくないと甘ったれてた私でも。
母は、私を育ててくれたんだ。
私は娘たちを育て、いつか彼女たちは巣立っていく。