今年から小学校の教科書が大幅に改訂されましたが、来年度から中学校の教科書が全面的に改訂されます。今回の改訂で「詰め込み教育」と呼ばれた時代より、内容はともかく、教科書のページ数は上まわるとのことです。

新教科書、新学習指導要領の注目点
①内容も難化しますが、ページ数が激増します。数学→現行の教科書の33%アップ(ゆとり時代の63%アップ) 理科→現行教科書の45%アップ(ゆとり時代の77%アップ)
②主要5教科の授業時間数が、全体で23%のアップ。特に英語の時間が増加します。中3の主要5教科の授業時間数は1.4倍になります。

各教科の注目点
英語 ①文法力の重視 形容詞、副詞、目的語、補語などの文法用語が教科書に記載されます。②単語数が900語から1200語に 今まで高校で学習した単語を中学で学ぶことになります。
例 accept,add,apply,bury,confuse,depend,destroy,develop,etc
数学 数学は学習する事項が激増するわけではなく、内容が深化、計算が複雑化するという感じです。要するに難しくなるわけです。単なる計算問題でも、複雑になると、計算力のない生徒は何回計算しても、なかなか正答にたどりつけないものなのです。
理科 教科書の分量が激増するわけですから、以前にくらべ、相当大変になります。一昔前、入試の花形だった「イオン」も完全復活となります。
社会 これまでの地理の教科書は、「調べ学習」と称して、ほんの一部の県や国を散発的に学習するという異常な教科書でしたが、今回の改訂で普通の教科書にもどります。歴史では、「世界史」が復活します。地理でも歴史でも、暗記する内容が格段に増えることになります。










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1936年2月26日未明、陸軍皇道派青年将校22名が下士官、兵を率いて武装蜂起、斎藤内大臣、高橋蔵相
、渡辺教育総監を射殺し、陸軍省、
参謀本部、国会、首相官邸などを
占拠し、陸軍首脳に国家改造の断行
を要求する。二・二六事件である。

青年将校たちの多くは、極貧の東北
農村の出身で、身の回りの娘たちが
売春宿に売られる現実をまのあたりにして、この国がどうかしてしていると考えたのも当然だったろう。こんな状況を天皇陛下が何もなさらないのは、天皇のとりまきのせいで、彼らを排除することが、国家のため、陛下のためと信じていた。
そして、彼らが求める国家像は、北
一輝のめざす社会であった。北一輝とは、辛亥革命に日本人として参加した経験を持つ思想家で、著書「日本改造法案大綱」で、次のことを主張した。華族制度の廃止、私有財産の制限などの他に、女性に財産権を与え、それにより女子の人身売買を阻止しようとした。女性に参政権どころか人権も満足に認められない時代にあって、画期的、先進的思想だったといえるだろう。そんな北の考えに心酔した純朴な青年たちが大胆な行動を実行に移す。そして、彼らの革命はどうなったのか?
最初は、軍の上層部も彼らの意見に聞く耳を持っていた。ところが、ある人物が烈火のごとく怒って、事態が一変する。その人物とは、ほかならぬ昭和天皇であった。天皇は、自ら近衛師団を率いて反乱軍を鎮定すると息巻いていたという。軍首脳も
弾圧に転換し、28日には奉勅命令が下り、青年たちも革命が失敗したことを悟る。天皇のため、民のために革命を起こしたつもりが、国家に対する反逆者に成り下がり、彼らは自殺を決意する。彼らが死のうとした、その時、軍から人数分の棺桶と死体処理のための看護婦が送り付けられる。自決の旨を伝えてもいないのに何故ときくと、そろそろ自殺する頃だと思った、と云われる。青年たちも、ここまでコケにされては、死ぬに死ねない、軍事法廷で徹底的に戦う覚悟で、投降する。
その後、彼らは、弁護人もつけられない暗黒裁判で、死刑判決を受け、
代々木の練兵場で銃殺にされた。彼らは、最後、口々に「天皇陛下万歳」を唱えたという。

青年将校たちが最後まで立て籠った場所が第一師団の第一連隊と第三連隊である。第一連隊は、今は六本木のミッドタウンとなり、第三連隊は、現在は、国立新美術館となっている。波のようにうねるカーテンウオールで覆われた美しい、この美術館は、日展などの公募作品を展示したり、外国の美術館の作品を期間限定で公開したりする企画展示の美術館だ。名画鑑賞の後、天空のレストランでフランス料理を楽しめる、そんな素敵な美術館となっている。


PS 北一輝は事件に直接関わっていないのに、死刑判決を受けて、銃殺にされた。彼は、死に際に、天皇陛下万歳を唱えることはなかった。






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刺青(いれずみ)師のドリオリは、ある赤貧の画家の才能に惚れ込み、彼の生活の援助をする。ある晩の酔狂で、自分の背中に、自分の彼女の絵を、刺青として描かせる。女は自分に似ていないと憤慨するが、ドリオリは、鏡越しに見る傑作に満足する。
そして歳月が流れ、ドリオリは浮浪者としてパリの街をさ迷っていた。
すると、華やかな画廊で、今は亡き
有名画家の展覧会が行われていた。
ドリオリが養っていたあの画家だった。彼は画廊に入り、自分はその画家のパトロンだったと言うが、浮浪者の言葉など誰も信じない。ドリオリは、自分の言うことが正しいことを証明するために、背中をさらす。
画家の若い頃の貴重な作品をみて、
一同仰天する。
と、その時、ある紳士がドリオリに
話しかけてきた。生活の面倒を見さ
せてほしい。ただし、リゾート地で
その背中を観光客に見せることが条件だと。ドリオリが快諾したのは言うまでもない。
その後、観光地でドリオリの姿を見かけた者はいなかった。そして、新聞にニュースが発表される。画家の若い頃の傑作が発見されたと。新聞には額縁にはいった絵の写真が添えられていた.....

その画家というのは、スーチンだ。
上野の国立西洋美術館に、スーチン
の「狂女」という作品がある。さすがに皮膚に描かれた絵ではないが、
すごい傑作である。


上記の物語は、ロアルド・ダールの
短編集、「予期せぬ出来事」のひとつだが、彼自身、番組で実話だと言っていたが、真偽のほどは、定かでない。







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