先日は1時間に10回も切断され、もはや諦めの境地を見ている。
人類は納期とか締め切りに寛容になる時を迎えたのだと思う。
切断繁がりで
少し前まで、 人間関係リセット症候群を患っている人に振り回されていた。
黙ってフェードアウトしてくれれば大してダメージもなかったのだが、わざわざご報告頂ける 迷惑 親切なタイプだったので非常にタチが悪い。
「気に障ることをしただろうか…」
「あの時の会話が傷つけただろうか…」
「この前の態度が悪かったのだろうか…」
もともとの私の性質上、そんなことを延々と考えさせられてしまい、囚われる。
囚われて、疲弊する。という悪循環。
何人もの人に相談したら、「来るもの拒まず、去る者追わず」という孟子の逸話を教えてくれる
変人博識な友人がいた。
人の縁は、親兄弟でもない限り、強固に繋がり続けるという方が珍しい。
わざわざ切ろうとしなくても、切れるものは切れてしまうので、ほとんどの場合は何かアクションをする必要はないと思う。
良く「付き合う人は選んでよい」と書かれているブログを目にする。
これには同意。私も付き合う人は選んでいる。
しかし「要らない縁は積極的に切るアクションをしろ」と書いている方は知らない。
「自分の中の区切り」 は必要かもしれない。
しかしそれでも、自分の中の区切りを相手にも押し付ける必要は全くないだろう。
というか、自分の区切りを他人に押し付けるというのは、単なる身勝手。
そこに「自分らしさ云々」などという理由は付くはずもなく、どんなに頑張っても正当化され得ない。
そう考えていると、私も私で
「他人の身勝手に囚われ続ける必要もない」
と思え、解放された気がした。
感情論に終始しても、毎回ゴールが見えるとは限らない。
感情の問題を感情だけで解決しようとしても上手くいかないなら、囚われ続けるよりも淡々と感情論ではなく合理性で割り切る。
「with(〜と)」という言葉が最近はSNSで話題らしいが、あえて締め切りとか諸々含めて「with not(〜なしで)」