実は今もこの時期は苦手・・・。
自分の誕生日は、多分 今 の私の中では、
生と死について、一番向き合えるタイミングなのかもしれない。
生まれてきてよかったのか。
大切の人と誓った未来に描いていたのは、どんなことだったんだろう?
タイムラインを自由に行き来することができるタイミングだからこそ、
葛藤が起こりやすい。
いかに普段の 私 が、そこに蓋をしているのかを思い知らされる。
誕生日は、そこにちょっとした刺激を与える。
一年分のデータを、ひょいっとまとめて36歳の私としたフォルダを整理して、
タイムラインの中に次の新しいフォルダを形成させる。
この一年で、どれだけ成長できたんだろう。
あの日から何年たったんだろう。
ポジティブな内容を引き出せるのは、
ネガティブな私が、まだ先があることを信じたいという確固たる証拠の上に成り立っているのかもしれない。
だから、ネガティブがあるからポジティブに協力もできる。
なんていうことを、頭では理解できているんだけど、
実生活では、その切り替えがうまくいかなくて悶々としてるわけ。
蓋を閉めて、なかったことにしていることで、
普段の生活を乗り切っている 部分 は、自分の見えないところにいつもは置いている。
普段の視野が、水平な世界観だとしたら、
人生を振り返るタイミングは、垂直な世界になるのかもしれない。
そんな世界の中に、靄のかかった空間がある。
すっきりとした日々を過ごしたいと思うからこそ、
そこにある存在感にモヤモヤする。
あの時、ちゃんと向き合っておけばよかった。
見送ったあの時に、私は伝えたかったことをちゃんと伝えられたのだろうか?
今もまだ、
答えのない彼への問いかけを続けている私がいることを、
やっと認めることができた。
裏切られた気がしたから、赦せなかった。
赦すことを認めちゃったら、立ち上がれなくなりそうで怖かった。
ただ、ただ、意地を張って、必死でもがいているだけだったし、
それを誰にも悟られたくもなかった。
甘えられない辛さに初めて気づいた。
手に入らなかった幸せの空間だけが、ずっとそこに在り続ける。
失くしたからこそ手に入れた幸せも沢山あるけれど、
代わりにはならないことも知った。
消えない傷だけを残して、姿を失くした彼を責めるつもりはないけれど、
どうしたって、
その傷が無くなることもない。
毎年アップデートされていく私の時間の積み重ねた中で、
少しずついい距離の置き方が見つかっていったらいいなと思う。
このままでいいと思う部分も、このままじゃよくないって思ってる部分もある。
矛盾しているようで、バランスを取ろうともしている。
今のままでいいとも思わないけど、でも今の私にとっては最善の方法なのかな。

