①はしたない、という価値観
女性として性を受けて育ったのであれば、物心ついた頃から、親からも、そうでない大人にも言われ続けてきた言葉があるのではないかと思う。
それは「貞淑でいなさい。無闇にせっくすをしてはいけない。自分を大切にしなさい」という清純を促す言葉。
私は、幼少期から親の信仰していた宗教の影響を受けていたので、この縛りの観念が強く残っていた。
だが、この類いの言葉は信仰にも年齢にも関係なく未婚・既婚にも関係なく、今でもよく耳にするのである。
随分と緩和して、多様な生き方が認められるようにはなってきたが、未だに女性が恋愛経験豊富であることは「恥ずかしい」ことだと言われている。
男性は、経験豊かな方が、いわゆる格好いい男とされるのに。日本に根強く残る処女信仰。ロリコン文化にも繋がっているのかもしれない。
大人になって気づくのは長いこと「貞淑でないといけない」という思い込みから、自分は貞淑を選択しているのではなく選択させられていたのではないか?
そんな風に、自分自身を客観視してみることも、必要なのではないだろうか?
②自分を大切にする、とは?その意味を問う。
そもそもなぜ女性は貞淑でないといけないのか。自分を大切にするということはわかる。でも貞淑でいることが大切にしているということとイコールなのだろうか?
こちらの答えは一つではない。白か黒かでもない。だけど、自分が「したい、こうありたい」と思う自分の気持ちを大切にすることこそが自分を大切にしていることの一つであると今では思える。
気持ちを押し殺して、こうあるべきだからと抑圧することは自分自身を虐待するに値する。そして、一つ言えることは、自分自身を満たせない人は、他人から何らかの形で搾取するのだ。
確かに誘われるがままに、何も選択することなく簡単に誰とでも寝てしまったら暴力や犯罪行為、性病、望まない妊娠などのリスクがある。
③だからこそ主体性を持って関わる。
女性は何故、選ばれる側で抱かれる側なのだろうか。
本質的に女性は陽と陰で言えば陰で、母性があるし、相手の気質や影響を受けやすいと言われている。
「~は、~を抱いたらしいよ。」「~って~に抱かれてるって噂」というような、さも女性に選択権がないように話されてるのを聞くことはありませんか?
だからこそ、大切なのは、意思を持って相手と関わっていく。主体性を持つということだと常々思うんです。
流されてでは、確かに何の化学反応も生まれない。例えば、何でもいい。
好きだから、身体の相性がいいから、「だから」 つまりは、気持ちよくなるため。相手と繋がりたい。幸せになるため。相手を幸せにするため。スキルを磨くため。
何でもええねん。
「だから、私の意思で、私はこの人を選んでセックスする」と腹を決める。
そして、その時間だけは目の前の人に集中して、五感をフルに使って精いっぱい愛そう。
こうやって、自分自身を主語にしていくことが、善循環を生むし、エネルギーの交換が行われるの。
経験人数が増えても、自分自身の価値が下がる訳じゃない。長く一人の人と付き合うことだけが、最良な訳じゃない。
人それぞれ、魂や精神、心、肉体の成長段階もあるんだよ。
たくさんの男性と関わったからこそ得るもの、解るものもあるし、少なくとも私は40を過ぎてタブーと言われるモノを破り、男性と、セックスと、そして自らと向き合ってきたことを、心の底から正しいアクションだったと、胸を張って言う。
あなたは、どう生きたい?どうありたい?どんな感情を味わいたい?
はしたない、殻を破る自分を許していい。愛していいんだよ。
はしたなくても、孤独にはならない。
主体性を持って思うがままになってみたら、そのあなたに呼応する本音で生きる人々の縁が巡ってくる。
自分の直感や選択を信じて。
かけがえのない、たった一人の自分を愛そう^ ^
今日も読んでいただき感謝します^ ^
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