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今日もありがとうご財増す🌈
ニャリーン♬
(近所の野良猫だお❗️)
スピリチュアルの師からお話を聴かせて頂いた時、
『この人、傲慢だな』
と、確信しました。
同時に
宇宙意識(神様)も同じく傲慢だな、と。
勿 & 論、
師、ご自身も神様もそれは重々ご承知。
そして、
それに氣づいた僕も傲慢。
いえ、
自慢にもなりませんが、
僕の方が遥かに傲慢です。
所詮、
ヒーラーなんてのは傲慢の象徴なのかもしれません。
僕自身、
ヒーラーを目指していることこそが傲慢であると。
残念ながら、この事実を常に強く認識しておかないと、とんでもない目に遭うと思いました。
傲慢だからこそ、それ以上の感謝と謙虚さが必要なのだ、と。
いえ、
感謝と謙虚さというよりも、自分がただただ傲慢であるということを自覚し続けることが大切だな、と。
それにしても、
僕自身、恥ずかしいです。
自分で言うのも何ですが、
自分の人間性を考えたら、ヒーラーを目指すだなんておこがましいにも程があると。
6月からヒーラー養成講座が再開される予定とのことですが、
僕は受ける資格すら無いように思えてきました。
でも、
自分で自分をヒーリング出来るようになるためだったら、受けさせて頂くのはギリギリ赦されるのかもしれない。
その前に受講を受け入れて頂けるか分かりませんけど。
『誰かのために』と謳い、
ヒーリングしたり、教えたり、導いたりするというのは、
本当に傲慢なんだなって。
言い換えれば、
ヒーラーというのは
自分が誰よりも一番傲慢であることを、
自分が誰よりも一番自覚していなければならないのだと。
そうでなければ、ヒーラーを名乗ることも、目指すこともやめたほうが佳いと思いました。
あまりにも危険ですもの。
僕は、
実は怖いものに成ろうと目指していたのだな、と氣づきました。
端から見させて頂いてきて、
ヒーラー(スピリチュアル)というのは素晴らしいという幻想に心踊らせてきましたが、
実際の内側を見てみれば、
実はドロドロの、傲慢で、醜い自分との向き合いの連続で、精神的にも肉体的にも疲弊してしまう世界なのかなって。
それでも立ち上がり続けるという強力な意志と覚悟が伴わないと踏み込んではいけない領域なのだと。
客としてヒーラーに相談しに行ったり、学びに行ったりするというのは、何と氣楽なことだろうと。
天然な人は、自分が天然であることに氣づかず、そう言われても否定するように、
傲慢な人間というのも、自分が傲慢であることに氣づかず、指摘されても傲慢であることを認めようとしないのかなって。
なんだか・・・自分の人間性を考えさせられます。
今日もありがとうご財増した🌈
バイニャラ♬