さて、三の曲輪、秩父曲輪、角馬出、空堀、二の曲輪を見てから、本曲輪へやってきました。
とにかく広くて。
すでに夕刻。
群馬県の宿へ行かなければならなかったので焦っていました。
参照
二の曲輪の隣りに本曲輪(写真手前)
二の曲輪に隣接して城山稲荷神社もありましたが、時間がないので割愛しました。
とにかく、この本曲輪のスケールにびっくりしました
一段高い御殿曲輪の手前が空堀で囲まれています。
右へぐるりと見ています。
御殿曲輪が狭くなっていきます。
あそこから登るのかな。
行ってみます。
御殿曲輪
鉢形城跡 説明板
「北条氏康の三男氏邦を鉢形城主に迎え入れ、(中略)天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、上杉景勝、本多忠勝、真田安房守らに四方から攻撃され、三カ月の戦いの後、落城しました。」
まさしく四面楚歌だったんですね。
この形状の御殿曲輪なら、そうならざるをえないかもしれないですね。
御殿曲輪でもさらに一段高い南端の曲輪から見下ろした景色
空堀になっていますね。
北の笹曲輪方面への崖添いの道
行きませんでした
眼下に荒川
対岸は玉淀河原
右に見えるのは正喜橋
すでに夕刻
土塁からおります。
じっくり見る余裕がなかったので、写真をぐるりと撮影しました。
右から左へ
崖側に土塁
本曲輪方面を見る
奥に見える一段低いところが本曲輪
本曲輪が見えてきました。
下ります。
右上が御殿曲輪
左下の間際は空堀跡