火崎勇 ビーボーイノベルズ 陸野千景子 ☆☆

親の遺産で悠々パトロン生活送る退廃者 × 人の愛情を知らない親を亡くした少年

過去の贖罪を求めて人を愛したい男と愛を求める少年


親の遺産で悠々自適のその場かぎりの薄っぺらな人間関係を重ねてきた男、冬柴(攻)は、

ある日、友人の甥っ子 果南(かなん 受)を預けられる。

最初は深く人とかかわりあうことを嫌い、いらだつ冬柴だったが、

自分からは決して話しかけない、寡黙で不器用な少年が気になり、気がつけば瞳は彼を

みつめ、心の奥には彼の愛を求める情熱がわきあがってきて・・。

まるで、お互い欠けたピースを埋めるかのようにケダモノのように、

手に入れたばかりの愛に溺れていく二人だが!?


けっこう 深いですよ

「いたいけなケダモノ」ってお洒落で耽美ないいまわしですが

愛とはなんぞやって

考えさせられた作品でした

それは、男×男 でも

男×女でもいっしょですよね

永遠のテーマです


彼らは おやじ(といっても28歳 イケメン男子ですが)と未成年 それも同性

という事で、世間の理解を受けるのは難しい愛の形です

(じっさい、友人で果南の叔父である真鍋には絶対反対の姿勢で、一度は無理やりひきはなされます)

真鍋には真鍋の理屈があります

「今はただ愛を知らない子どもが冬柴から受ける初めての愛になにも知らずひきずられているだけ、

 もっと広い世界を知ったら別の愛をみつけるチャンスがあるかもしれない・・・」

(これって、未成年者との愛が犯罪として世間で認識される理由なんでしょうね)

たしかに、冬柴もそこを恐れています

果南が 本当に自分を愛しているのか

それとも、「誰か」の愛を欲していて、その「誰か」は別に「俺」じゃなくてもよかったのか?!

また、 果南を学生生活に向かわせたら、自分以外の人に関心が向くのではないか?!

現実世界では 「愛こそすべて」というわけにはいかないのですよね。


それにお互いトラウマをもっていて

冬柴→(過去の過ちから子どもを亡くしている)

果南→(親から放置されていて愛に飢えている)

真鍋はこのことからも

「お互い、同病憐れんでいるにすぎない」と言います

この言葉に冬柴も深く悩みます

本当にお互いでよかったのか、たまたまだったのか


そんなことは日常の恋愛風景の中でもあたり前にあることですよね

顔が好みだから、運動ができるから、いい車もってるから、

世の中には様々な理由で付き合いはじめる恋人がいます。

それでも 当人同士がこれが愛だと思えて幸せなら

それでもいいんじゃないかな

きっかけは あくまでも 入り口にすぎないんだから


2つのタブーのある恋だから冬柴を苦しみ

そして深く「愛」について考えたんでしょうね


果南が大人になるまで待てるか

そして果物南が広い世界をみてもそれでも俺を選ぶか確かめよう

悩んで、我慢のしずぎで折れて、管巻いて、堕ちて、

少しずつ自分らしさも失ってしまいます


そして 最終的には

冬柴言うところの「ケダモノ」=(愛に忠実な者ってことだと思いますよ)になって

果南をさらいにいきます

そして、それは果南も本当に望んでいたこと

なら いいよね!


大人の愛っていろいろ考えすぎて ニッチもサッチもいかなくなっちゃって大変だね~

周りの大人たちがだんなに非難してもされても

二人が幸せならそれが一番!


深~く余韻に浸る作品なので

個人的にはもっと繊細なタッチのイラストレーター希望でした