♪〜叱った後の 母のような
夕暮れ時が 僕は好きです
心なしか ふるえているのは
風のせいだけではないようです
「 今日この頃 」 永井龍雲
さまざまな方がそれぞれに、大切なお母さんの
歌を歌って、
それを聴く方も、それぞれの想いに、好きな母の
歌もあるのでしょう。
母親と言う者は、子供を産む時点で大なり小なりの苦労と神聖なる喜びを与えられるものなのかもしれません。
母親の人生の何かを、多少なりとも犠牲にして、生まれ来る我が子に幸多かれと祈るものかもしれません。
私の母は、幾つになろうと喜んで迎えられる帰る実家のある恵まれた人だと思っていたので、
私は母の人生を、好きな人に愛されて一緒になれて子供を産んで生きて行く上の苦労や悩みもなどとあまり気にも止めずにいました。
商売をする家の上がりも下がりもする人生も、母親の性格が柔らかく明るいのものだったのが、
悲しみや苦しさを感じさせないものだったのかもしれないのに。
下がれば底に手が付く。
子供は何を見ていたかというと、親には親の人生がある。
子供が立ち入れない、親には親の人生がある。
何故かそうすんなりと、思ってしまった。
発売されて何十年も経って、初めて聴いた時、
その後に続く歌詞に、この作者のお母様は、お父様を強く愛してお父様について行かれたのではないか、その瞬間は人生の輝きとも言える喜びに溢れお幸せだったのではないか。
その後の苦労はお父様のせいでもお母様のせいでもないし、上手くいかない歯痒さをぶつけ合う夫婦も居るだろうけれどそれが強すぎる愛情故の場合もあるだろう。
そう考えてしまったのですよね。
日々の暮らしはお父様とお母様の子供にはわからない一瞬の愛しい絆や、お母様の人生は愛する人のこんなにも優しい御子息の歌に残る幸せも与えられる人生ではなかったですか?
そう思ってしまったのですね。
すみません。
申し訳ない事でした。
苦労や辛い思いをしている人の中にあっては、明日はないに等しく苦しいものなのですね。
私がそう言う思いをしたかしなかったは別にして、
この歌は、
私の足りなさを教えてくれる歌でした。
この永井さんの人の心の奥く深くを見るような憐憫や優しさは何処から来るのか、
ご自分の心を切り刻むように痛々しくも清いものだと頭の下がる思いです。
この詞の中の女性に対する素直な愛情も寂しいくらいに綺麗で。
この歌の前に頭を垂れて、人の人生を思っています…。
この歌の深い優しさの下(もと)に、もっと私が優しくなれるように。
