マリインスキーの入団が決まって、


ワガノワを卒業して日本に戻ってきました。


新聞の取材やら雑誌の取材やら、


NHKの特集にも出させて頂き、


そしてあの情熱大陸からもオファーを頂きました。


せっかくオファーを頂いのですが、


マリインスキーまで行って、取材をするということで、


それが可能かどうかも全く分からず、


とにかく何もかも分からない状態だったので、


その時はお断りしました。



うぅ、悔やまれるぅぅ笑い泣き






日本に帰ってきてから数日経って、



そーいえば、いつマリインスキーに行くの?


娘「9月じゃない?」


じゃない⁈⁈


何日に行くの?


娘「知らない、言われなかった」


は???


どーすんの???


お手紙でも来るのかな????





待てど暮らせどお手紙の一枚もない。


8月の中旬になってもお手紙も連絡も何一つなし。




マリインスキーさーーん、うちの子ほんとに受かってますかーーー???


いつどこに行けばいいんですかーー??


住むところとかはあるんですかーー???


おーーーーーーーーーーい!!


放置プレーにも程があるじゃないんですかーーーーい??




一抹の不安。。。




マリインスキーほんとに受かってんの?


紙に張り出されただけで合格の通知もないけど、


ほんとに合格の張り紙だった??


追試とかの張り紙じゃないよね⁈⁈


新聞にもテレビにも出て、ほんとは受かってなかったとかないよね⁈⁈


もし受かってなかったら、誰も知らない田舎で、


息を潜めてこっそりと生きるしかないで??



シャレにならない。


どこに連絡とればいいんだろう。



マリインスキーに電話かけても、チケット売り場とかにかかっちゃわないかな目


かかったところで喋れないけど




どこに聞いていいかも分からず、ダメ元で、


マリインスキーの公演を主催しているジャパンアーツさんに連絡をしてみたら、


親身になって相談に乗っていただいて、


ワガノワバレエ学校の日本語通訳の方を紹介して頂きました。


そしてその通訳の方に、マリインスキーに連絡を取ってもらって、


行く日にちや住む場所などを聞いてもらいました。


(その後住所が二転三転して不安しかなかったですけど)


とりあえず受かってることも、行く日にちも住所も分かった。




あれ?当日はどーやってどこに行けばいいのかな??



ロシア語も話せないしタクシーは危ないし。

(娘はまだロシア語をほとんど話せなかった)


住むところにも連れて行ってもらえるのかな??


ロシア語喋れない日本人が突然行って、


警備の人に入れさせてもらえないとかない??




またもや問題発生。


くーーーー、改めてなんて日本は親切な国なんだ

笑い泣き笑い泣き笑い泣き



娘はちょうどその頃ロシアに行くために、


ロシア語を個人の先生に習ってて


授業の時にその事を話したらしいんです。


そしたら後日、その先生が、


実家がサンクトペテルブルク(マリインスキーのあるところ)だから、


家族に頼んで、空港まで迎えに行って


マリインスキーまで連れて行くと言われて笑い泣き笑い泣き笑い泣き



世界は優しい♡♡




てんやわんやの末、娘の誕生日の97日に出国し、


無事に入団の運びとなりました。





振り返ると。。。


無駄に思えた私立の中学も、


もし近所の公立に通っいたらバレエと両立もできて、


普通に高校も通って、望んでいた日本のバレエ団を受けていたと思うし、



大事な時に、通っていたバレエ学校が合わなくて、


バレエ難民になったことも、


それがあったからこそ、


あの先生に出会えてワガノワに行くことが出来たし、




コンクールに出て全然結果が出なかったことも、


そのおかげで自分の弱点を見つけて、克服することが出来たし、



全てに意味があったんだなと、


全てはここに繋がっていたんだなって、


改めて思いました。




「人生はベストな事しか起こらない」




辛かった過去はその時だけで見ると、とても辛いけれど、

 

振り返ってみると、人生のターニングポイントになっていたりする。


プラスな事もマイナスな事も全部、


その人にとってベストなタイミング起こるんだと、


つくづく実感しました。

 

 


だから、もし今が辛くて苦しくても、

 

その出来事が、無駄ではなかったと思える日がいつか来るから、


いつか光に変わるから、


 今日を 今を 一生懸命生きましょね!


大丈夫!!!