こんにちは!
笠原啓子です。
今日はお知らせです。
私に興味を持ってくださっている方、
私のことが好きと言ってくださる方、
私を応援してくださる方へ
新しいサービスを始めます。
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まずは、今までの私の人生をチラ見!
お付き合いくださいませ (*´∀`*)
私は今、51歳です。
京都で生まれ育ち、ずっと京都に住んでいます。
高校までを男女共学の公立校で過ごし、高校卒業後は女子校の短期大学で社会福祉をなんとなく学びました。
高校で吹奏楽に出会い、トロンボーンの音色、音楽の美しさ、奥深さに魅了され、高校の3年間はわざわざ進学クラスを選択したにも関わらず、どっぷり部活にハマって青春したお陰で、常にクラスでの成績はやばかったです。それまで優等生だった私は、高2の時、初めて親の落胆した顔を見ました。
高校卒業後も熱は冷めず、一般の吹奏楽団に所属し、なんと、一昨年前まで続けていました。
吹奏楽と出会ったお陰で、私の人生において、音楽はかなり大きな存在となりました。
短期大学では、幼少期から自宅で祖母の介護をしている母を見て育った影響で、社会福祉を専攻します。
しかし、福祉施設での実習を体験して、「私には人の人生は背負えない」と怖くなり、当たり障りのない一般企業に営業補佐事務員として就職します。いわゆるOLです。
親には、何のために短大に通わせたんだと言われましたが、冗談だったのか本音だったのかは、今となってはわかりません。
就職した会社は、ザ・昭和。「女子は雑用係」みたいな会社で、そのくせ残業ばかりの毎日。好きな吹奏楽の練習にもなかなか行けず、ストレスばかりが溜まります。
今の夫とは社会人になってから付き合いました。一緒に吹奏楽をしていた仲間です。
トレンディドラマチックに周囲との人間関係のもつれもあったり(笑) 一度は別れを切り出して別れたと思っていたのは私の方だけだったようで、その後からの猛烈な(しつこい…笑)アタックと、仕事を辞めたいタイミングも重なり、「愛されて結婚するなら幸せかも」と思い直し、2年足らずで仕事を辞めて23歳で結婚します。
最初は専業主婦を楽しんでみようかとも思ったけれど、どうにも退屈な毎日が耐えられず、パートで働きに出ます。スーパーのレジなどもやりましたが、家事や家族に差し支えのないように、土日がしっかり休めそうな病院で働きたいと考え、このタイミングで医療事務の資格を取り、医療の世界と出会います。
25歳で長女、27歳で次女を出産。
結婚する時の約束で、次女の出産直前に夫の実家で夫の両親と同居を始めます。
不安もありましたが、「なんとかなる」と思っていたし、ずっとそう言い聞かせ続けたけれど、6年目に限界を迎えます。
姑・親族とうまく付き合えない、家の風習にいつまで経っても馴染めない、子育てに対するプレッシャー。自分を責め続ける毎日で、いつしか笑うことができなくなっていたし、人と話す時は手が震える現象が…。
離婚を覚悟で夫に別居を切り出しました。夫も一緒に家を出ることになり、まるで夜逃げのような状況で家を出ます。夫の両親、親族からの言葉。この辺りから夫に対する罪悪感が生まれたかもしれません。
それでも、やっと自由を手に入れた気持ちでした。実際には私にとっての「自由」とは、こんなものではなかったのだけれど、この頃の私はまだ本当の自分に気づいていません。
子育ても人並みに色々ありましたが、親や周りからの指摘、兄弟夫婦との比較、ママ友との上辺の付き合い、自由奔放で親の思い通りにならない娘。一時は我が子が憎くもなりました。
そしてそんな自分を責め続けます。
ある日、自由に生き続ける娘を見ていて気づきます。
「私もこの子のように自由に生きたかったんだ」
枠にはまらず、自由でわがままで、そんなんじゃ社会に出てから大変…そう思って一生懸命枠にはめようとしていたのに、次々に私の枠を飛び出し夢を叶えていく我が子。大変になるどころか、一番輝いて見えました。よくぞ大人たちのプレッシャーに負けず我が道を進んでくれた。やって教えてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
長女は同棲を経て結婚しました。まさか、我が子の同棲を許す日が来るとも思ってなかったけど、私は長女の人生を尊重したかった。
長女の結婚式の1ヶ月前、夫が東京出張中に脳出血で倒れます。電話で一報を聞いたとき、不思議と妙に冷静で「あー、私の人生こうきたか」と考えながら東京へ向かう準備をしたのを鮮明に覚えています。妙に冷静なのは、病院で仕事をしていたせいかな。
深夜に東京の病院に着いて、生きてる夫をみて安堵したのも束の間、その数分後には、左半身が全く動かない何を話してるのか聞き取れない夫を横目に、一人で医師からの説明を聞きながら色んな思考が駆け巡っていました。
介護、長女の結婚式、仕事、家のローン、いやその前に明日からの生活…。正直、「生きたからには要介護とかあかんやろ、働いてくれ!」と心の中で叫んでました。「何が何でも回復させる。」そう思っていました。怖い嫁です。
後遺症が残ると言われていたのですが、3軒の病院、3人の医師から「奇跡としか思えない」と言われるほど、本当に奇跡的な回復をみせてくれた夫。1ヶ月後の長女の結婚式も介助なしでバージンロードを歩いていました。
この経験で、「強く望めば叶う」を強烈に実体験することになりました。実際には、ただ望んだわけではないです。そう決めてから、色んな人の力添えやご縁、応援されるような状況が繋がっていった結果でした。
そしてこの経験は、私の意識をゴソッと動かしました。
明日、何が起こるかわからない。
今日の日常が明日も続く保証はない。
ならば、今日がどれほど尊くて奇跡で有難いことなのか。自由に動けるとはどれほど尊いことなのか。
一日も無駄にはしたくない。
今を真剣に精一杯、人生楽しく自分に正直に生きたい。夫にもそう生きてほしい。
動ける時間・体・環境が与えられているならば、しっかり使って自分にも周りにも貢献したい。
それが5年ほど前です。
病院では13年以上働きました。
病院での経験は、私が沢山の人生観や価値観に触れて考えさせられる時間でした。
そんな中、ふと自分の周りを見渡した時に、不安に支配されている人がどれほど多いのか。笑顔になれない人がどれほど多いのかに気付きます。そして、私もその一人だったということ。
私はこんな面白くない人生はいやだ!
心底そう思い始めたら、出会う人が変わりました。
出会う人が変わると、自分を取り巻く世界が変わりました。
もっと自由でいい。
そう言われた時、涙が止まらなかった。
私は本気で自分の人生を生きようとしてる人達に囲まれるようになりました。きっと、私自身が本気で自分の人生を生き始めたから。
私の本気の人生は、心から泣いて、心から笑えて、時間も心も経済も豊かであること。そして、そんな人が増えたらいいなぁと思うし、そんな人達に囲まれて過ごしていきたい。
2020年の2月に個人事業主として、Office Nicoを開業しました。何の事業計画もなかったけど、人生でこんな経験ができるのも面白いなーと思ったから。一人なら思いつかなかったけど、面白いよって教えてくれたり、やってみせてくれる人が周りに沢山います。
これからは、本気で人生を楽しめる人を増やしていきたい。そのための空間や世界をOffice Nicoで創っていくと決めました。
私は今なお、より本来の自分を生きようと、
どこまで本来の自分を追及できるのか
日々、実験を続けています。
今は孫もいます。今のところ夫と次女と暮らしています。家族との関係性を見直しながら、いつか一人暮らしをしてみたい。
自分も家族も含め、より自分らしく生きる人が増えてほしい。本音で生きることが許される空間、世の中、世界を創っていきたいなぁと。
そんなとてつもなく大きなことを考えながら、目の前のことに本気でグルグルしながら、人生って不思議で面白いなーと、楽しい日々を重ねています。
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とりあえず51年間生きてきました。
51年も生きてると、色んなことを経験しました。
親であること、娘であること、女であること。
嫁姑問題、夫婦のこと。
家族の一員の顔と社会の一員の顔。
自由・お金・健康。
人との出会い。スピリチュアルとの出会い。
様々な経験を元に、私なりの哲学も築かれました。
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そこで! サービスのご紹介です。
こんな笠原啓子とじっくり腹を割って話したい方はいませんか??あんなことや、こんなこと、質問してみたい人はいませんか??
私の体験談、得た気づきは惜しみなくお話しできます。どんな状況からも一緒にポジティブを見出しましょう。
ただただ雑談して、一緒に笑ってください。
元気になりますよ。
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一対一だと、ボロボロ本音を出してしまう京都人です。
一緒に話すことで、
意識のベクトルをチューニングしましょう。
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