カフェインとニコチン

カフェインとニコチン

珈琲を飲む人(西田)と
煙草を吸う人(スタッフ芦澤)の
休日神話的対話

一番最初の投稿「はじめに」を読んでから読んでいただければ幸いです。救われます。

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人を見た目で判断してはいけない

家の軒先から首を差し出して曇天を見上げると、昼とは思えないほど暗い。今日は何もする気が起きないなぁ、と日のない空の下で煙草に火を灯す。

そうしてしばらくすると、私の屋敷の前に一台の車が停まるのだ。
「お迎えに上がりました」と運転手が言う。
「うむ」
私が車に乗り込むと運転手は何も言わずに車を出す。

今日は淑女の皆様とお茶会であり、豪華絢爛な大豪邸へと向かっているのならば気を利かせた空が少しは晴れることだろう。
しかし、それは甘い。
現実はいつもの喫茶店に向かう。運転手は西田氏。そして、茶の相手も西田氏なのだ。まさに曇天。

いつもの席にいつものように着席すると、これまたいつものように西田氏が吠える。
「人は見かけで判断してはいけないのである」
西田氏は結論から先に言って私の「どうしたの?」を待つのだ。
「どうされた、西田氏よ」
「うむ。爽やかイケメンの人がオタクであっても、批判は少ない。しかし、それっぽい人がオタクであったなら、人はそれ相応の批判的な反応を示す」
「それで?」
「それ以外にもある。年寄ほど見かけによる判断が利くのだ。やはり、それだけ長く生きているから内からあふれるものもあるだろう。しかし、若者は全くわからん。阿呆みたいにしているやつが馬鹿みたいに賢いこともあり、地味なやつがギターを持って叫び狂っていたりするのだ」
「つまり?」
「人は見かけで判断してはいけないのである」
西田氏は満足げに珈琲を啜る。
私もようやく煙草に手を伸ばす。そして、思い至った。これは西田氏の渾身のギャグであると。

この元気一杯にカフェインを摂取しながら、私が吐き出すニコチンをにこにこと受け止める西田氏。
見かけで判断してはいけない。彼の肋骨は一本折れているのだ。
人生楽しく

俄然やる気が出ていたのは前回西田氏が書くということになったからであって、今回も私はやる気がない。私が書く以上やる気があることは決してないのだ。皆々様怒らないで欲しい。
そして、西田氏が書ききったのでここぞとばかりに責め立ててくる。

「芦澤氏、書きなさい」

こうして私は西田氏に鞭を打たれてキーボードを叩く。人のブログのためにキーボードを叩く。そして、皆様はこのブログを叩く。嫌なら辞めろ、と。その結果、このブログが簡単壊れて崩れ落ちると共に私は歓喜の表情で怠惰な生活に戻るであろう。
でも、悲しいからやっぱりそれはなし。

「うーむ」

西田氏はアメリカンを啜りながら唸る。何やら考えているらしい。唐突に発せられる珍妙不可思議なトークテーマが今日はまだない。悩む姿ばかりが一人前である。
いつもの喫茶店であり、客は私たちのみ。

「暇だ」と喫茶店に呼び出されて「暇だ」という態度を取られる私の気持ちの行方など知る由もないだろう。別に何とも考えておらんけどね。
私は紫煙を鼻から噴き出して鼻毛を成長させる遊びに忙しいのだ。その後に西田氏に煙を吹きかけて西田氏の鼻毛の成長も応援する。
西田氏は顔をしかめて考え続ける。無駄に彫像のように立派である。そのまま固まってしまえば彼は人々に賞賛を浴びることだろう。そうして鼻毛だけが伸びていくのだ。愉快愉快。

「生きていくとは何なのだろう」

皆様。お待たせ致しました。西田氏の唐突な発言が来ましたよ。

さぁ、ここから私が西田氏の思想や哲学をまとめていくはずなのですが、何せ暇な時間がありすぎて、前述が長くなってしまった。
そして、如何せんやる気が足りん。
「私は楽しく生きていきたいと思うのだ。ただ、そうすると欲深くもなってしまう。私も昔は・・・かくかくしかじか、うにゃうにゃうにゃ」

ああ、悲しきかな。私にもう少しのやる気があれば書ききれていたのだが。本当に残念である。
そうとも知らずに西田氏は流暢に語り続ける。私はキーボードを叩いているふりをしているだけであるのに。ぷぷぷ、愉快愉快。
西田氏の間抜けを見ることが人生の楽しみである。
雨の日

 窓を少し開け、雨音に左耳を傾けては「我無敵」と言わんばかりの表情で屋内に居ることへの優越感に浸る。続いて右耳から聞こえる呼び出し音に意識をシフトする。数回のコールで出た相手は出る前から察知はしていたのだろう、意識的なのか無意識なのか、気怠そうな声で「はい、もしもし」と発すが、これは彼にとって平常運転なので僕は気にしない。むしろ安心感さえ覚える。
 「たまにはごちそうするよ」

 ついに店員から砂糖とミルクの有無を聞かれることはなく、注文が終わる。 
 「雨だねえ」
 唐突に言い出した僕の言葉に対して
 「ね」
 という生返事を煙と共に口から吐き出すは芦澤先生。
 「雨だからというわけではないけど、寝てたのよ」
 「ええ、それなら別によかったのにぃ」と一応申し訳なさそうな振りで返す僕。
 「いや、いいよいいよ」と煙草片手にゆっくりと珈琲をすする様は、いつかの僕をチェスでチェックメイトに、将棋で王手に追い込んだ場面を彷彿させる。僕の負けである。足掻くわけではないが負けてあげているのである。チェスも、毎回。

 3回に1回はこんなやりとりで始まる僕らの非活動的な打ち合わせという名の、ただの休息は今日もいつもの喫茶店にて。参考までに、この会は僕の電話がなければ始まらない。もっといえば僕が誘わなければ芦澤先生は動かない。この逆は過去に前例が、ない。
 席について1時間弱、本連載のタイトルの「カ」の字すらでてこない、と思いきや、芦澤先生が次の煙草を咥えようと口を開けたついでに言う。
 「いつまでやるのだい?」
 「なにが?」
 「この連載」
 「????」
 思っていたよりも早かった。いずれ来るとは思っていたがまだ開始3ヶ月目でもう来るとは。誰かが「恋人たちの倦怠期は3ヶ月ごとに」と言っていたような。しかし万年倦怠感、倦怠王の彼からはいつ切り出されてもおかしくはないというのは始める前から分かっていた。
 というかそもそも僕らは恋人ではない。断じてない。僕は女の子が好きだ。って論点はそこではなくて。。。
 、、、雨か?雨だからか?確かに雨の日は不思議と倦怠感に覆われるときもあるな、、、もしや、これ完全にバッドエンドフラグか?いつ選択を間違えた?
 脳内で「あしざわメモリアル」のログをたどる、、、、いや、ふざけている場合じゃあない。だがふざけているとわかってほしい。
 そして彼がトイレに発ったその間に会話ログを細かく見直し、僕が選択したのは
  
  「馬鹿野郎、始まったばかりだぞ」
 ▶︎「次は僕が君からのお題で書こうか?」
  「そうだね、このへんでやめとこうか」

 芦澤先生が席に着く。その瞬間に決定ボタンを押す。少しばかりの沈黙。・・・決まった。バドエンド回避か、、、?
 「・・・ほう・・・俄然やる気が出てきた」と芦澤先生。
 「それはそれは(勝った、攻略したぞ芦澤パターン!)」
 「じゃ【雨の日】で」
 お題早っ。そして適当にも程がある。しかし言い出した以上「うん」と答えざるを得ない。というか丸投げするつもりだこの人。出てきたやる気はどこへいったのやら。
 「じゃそろそろ行きますか。あと支払いはすませておいたからね。」
とだけ残して芦澤先生は上着を羽織りながら店の扉の鈴を鳴らす。
 僕の負けである。
ラインとメール

まだまだ寒い日が続く中、まだかまだかと人々は手さぐりに春を求めている。私の鼻は敏感に春の気配を感じ取りむずむずしておる。
別に人よりも自分の能力が優れているといっているわけではないぞ。重度の花粉症である。皆々様、そうそう怒るでない。

さて、私と西田氏は相も変わらず花粉と縁のない屋内の喫茶店に鎮座する。飽きもせず、煙を吹き、優雅に苦い汁をすする。老後ならまだしも二人とも二十代である。実に見苦しい。
「ラインとやらとメールの差を考えた」
西田氏は唐突に物申す。あっそ、と無下にしてもよいのだが、如何せん機嫌を損ねると面倒である。これを読んでいる方の心中を察する。本当に面倒だが致し方あるまい。
「詳しく申されよ」
私はため息交じりに言う。すると、西田氏は鼻をならして意気揚々と語りだした。
「メールや電話番号は懐に入れる感じがあるのだ。それに引き換えラインとやらは距離感がある。故に私は想い人とはメールでやり取りをしたい。ラインはナンセンスである。やはりラインは軽いもので、メールの方が近い距離なのだ。電話番号やメールアドレスはちゃんと知っておきたい。強い言い方をするならば携帯電話はアプリを使う手段ではなく、携帯電話として使いたいのだ。つまりだ。結論を言うぞ。よく聞け小僧。簡単な連絡手段ではなく一通一通手紙としての重さを持っておかねばならんのだ。ラインはチャットの様に利便性は高いのかもしれんが、自分の文を読み直し、相手に送るという手間を省いておる。そんな心ないもの、私は嫌なのだ。ま、誰に押し付けるわけでもないし、使いもするがね。これは私の持論である」
なるほど、どうでもいい。言いたいことは分かるが、言いたいことが分かっただけである。共感や反論というものが一切ない以上、退屈なお経を聞かされていたのとなんら変わりはないのだ。
「南無釈迦牟尼仏」
と、私は適当に返してみた。
「まぁ悟りを啓くほどのものでもないけどねっ」
明後日の方に向かって都合よく解釈した西田氏はニコニコと珈琲をすする。

人の話を無下にした方がよかったという後悔は生まれて初めてである。

時をかけられない二人

ひな人形が主役を終えて押し入れにしまわれる頃、私と西田氏はいつもの喫茶店にしまわれた。否、自ら進んで入り浸っている。
誰かに惜しまれつつ主役を降板するひな人形以下の実に稀有な存在である我々は、今日もすこぶる元気である。煙草もうまい。
湯水のごとく時間を無駄に使う西田氏と私は今日も実のない話に花だけは満開に咲かせようとしている。
「タイムリープはいいですなぁ」
またしても西田氏は唐突に言う。
「そうだね。勿論経験はないが、いい物語が多い。特に恋愛を絡める青春ものが好みである」
「それもよいな。時をかける少女とかね。だが、タイムリープしてみたい」
朗らかな顔で天井を見上げる西田氏は阿呆そのものである。そうして、摘み上げた豆菓子を床に落として西田氏は我に返る。
「タイムリープは一回きり、その時間は十二時間。さぁ、芦澤氏はどこに行き、何がしたい?」
西田氏は少年のように問うてくる。豆菓子を拾いながら。
「私は江戸時代がいいですな。江戸の暮らしを見てみたい。そういう西田氏は?」

それから二十分後。
「私も江戸がいいですな」
あれはできない、これはできる、あれはいい、これはだめと曖昧な理論を更にこねくり回して堂々巡りを堂々とやってのける。そののちにせっついてようやく出た答えが私と同じである。

読者の皆様にはその二十分をタイムリープして頂いた。皆様の貴重な時間を無駄にはできないであろう。
時計の針が止まるような不毛な時間を過ごすのは私一人で十分だ、十二分だ、、、にじゅっぷんだ!
「いいですなぁ」
「いいですなぁ」
私たち二人は馬鹿みたいに時に想いを馳せる。
しかし、私は思うのである。今私たちの時代にタイムマシンがない以上、可能性として残るのは未来人が来ることである。そして、時をかけることのできない我々二人と出会わなければならない。そうして、出会った女性は物語のご都合主義にのっとれば恋に落ちると決まっているのだ。
実に素晴らしいではないか。これこそ恋愛ものタイムリープである。そういえば我々の前に突然現れた女性は・・・、いや突然でなくとも現れた女性は・・・、女性は・・・・・・女性・・・。おっと、今回はここまで。この続きはまた別の機会に。

別に何かに気付いたわけではない、負け惜しみでもない。悔しくもない。慰めはいらん。
あんぱんまん

「・・・あんぱんまん」

春の陽気はまだ最盛を迎えてないにも関わらず春一番を先取りして「アンパンマン」とだけ呟いた西田氏の呆けを皆々様と盛大にバカにしたいと思う。ばーーか。
「アンパンマンを見ていたかい?」
西田氏は至って冷静である。私は煙を細く吹いて電球に当てるという遊びをしながら「見てないよ」と答えた。Soクールである。
「自分の顔を千切って渡すという発想はすんばらしい。そして、初めて見たそのぶっとんだ仕草に口を開けたものだ」
西田氏は一人頷き、話を続ける。
「そして、アンパンマンは何者なのだ?」
西田氏は一丁前に腕組みをして、さらに続ける。
「顔が変わる瞬間彼は一時的に首なし人間になる。それは肉眼では確認できないかもしれないが、必ずあるものなのだ。その一瞬アンパンマンは意識を失っているのだろうか」
私は適当に相槌を打ちながら灰皿に吸殻を直立させる遊びに夢中である。
二本目を直立させたとき、ぶつぶつと言っていた西田氏は私の前にふわりと紙を差し出した。
「芦澤氏はアンパンマンが描けるかい?」
私は風圧で倒れた煙草に無念を抱き、涙を拭う。
「描けるとも、勿論だ。格好良く描いてやろう」
私が描き、続いて西田氏が描く。
「して、芦澤氏はミッキーマウスも描けるかい?」
西田氏は尚も私を試す。
「横顔を描いてやろう」
私は難易度の高い角度を選び、西田氏は逃げ腰で正面絵を描く。芸術に対する我々の姿勢は対立している。
西田氏は適当に描き流す。プロならまだしも素人がそれをやるとは芸術への敬意が欠けていると私は思うのだ。
一方で芸術に明るく、技術も伴っている私は絵への敬意の念を忘れずに、堅実に写実する。その差が顕著に表れている良い一枚である。皆さまにもこの差を是非一見して頂きたい。


あんぱんまん


追伸 勿論笑うという行為は御法度である。
お寿司が食べたい。

「こうも毎回向かいから吹き付けられる紫煙に顔を歪めていては寿司でも食べたくなるな」
西田氏は例に倣って唐突に言い放つ。
「すまんね」
私はそういって西田氏に煙を吹きかけては満足している。実に不健康で愉快である。
「構わんが、寿司が食べたくなるな。禁煙席で」
「そんなに言わんでもよいではないか」
そういって煙を燻らしていれば私はどこでも満足なのだがね。
そうこうしていると、気づけば回るお寿司屋である。禁煙である。くるくると回り続ける皿を見ていると実に楽しいものだ。電車に乗って景色がスライドショーされているような錯覚に陥る。
テーブル席について数皿食べると西田氏は言う。
「私は一つルールを決めている。それは同じものを食べないということである。無論、それを他人に強要するつもりはさらさらないよ」
それは、サーモンを食べ続ける私への当てつけか?
そうして西田氏は多種多様なおさかなを口に放り込み、私はサーモン一種類のみをひたすらかきこんだ。もはや回る皿などには目もくれず電子パネルを操ってほしいものを意のままにお取り寄せしている。
積みあがった、皿を横目に二十代の平均はどれぐらいなのだろうという話になる。あれやこれやとはなしてみたもののお互いに友人が少ないためサンプルが足りない。この話はここらでお開きにしよう、と二人で傷を舐めあった。
「さ、そろそろお愛想にしようか」
と西田氏は立ち上がる。
会計で一人一枚の野口様を提出すると、じゃらじゃらと小銭が返ってくる。
「小銭は君にあげよう」
太っ腹な私は西田氏に小銭を渡す。
「では、これで珈琲をご馳走しよう」
と、西田氏はさらに太っ腹な提案をよこした。実に素晴らしい野郎である。
しかし、突然「寿司が喰いたい」という西田氏の声が耳に入る。

気が付くといつもの喫茶店で西田氏は向かいの席に座っていた。どうやら私は眠っていたようだ。
「寿司ならもう食ったよ」
私は寝ぼけ眼で煙草に火をつけて言い放った。紫煙の向こう側で西田氏は「何言ってんだこいつ?」といった顔で呆けている。その後すぐに煙が目に入り涙目になる。
ははは、実に不健康で愉快だ。
「これは君が言い出したことであるぞ」
そういって私は西田氏に伝票を押し付けた。
「?」
今日もいい天気である。
いいね機能

とある日の西田御殿にて、某ソーシャル、顔の本の機能についてのお話になった。びーじーえむは吉澤嘉代子様の「ストッキング」である。実にすんばらしい。いいねである。

本日はお茶と禁煙なのだ。私は他人様の家では我慢できるいい子なので。
「やってはいるものの、更新はしないものである」
西田氏は唐突に発言をする。早くも狂気の沙汰である。意味不明である。
「なにが?」
「フェイスブックである」
「何ゆえ何ゆえ。持論をお持ちか」
「うむ。今回は対比物としてツイッターをあげよう。まず、私の中でフェイスブックはパソコンでいう内臓のドライブであり、ツイッターは外付けだと思っておるのだ。内臓の物には余計なものは入れず、外付けには不要ではあるかもしれないが様々なものを入れることができる。つまり、フェイスブックは自分の顔を背負いすぎているものであり、まだ匿名性の高いツイッターの方が気が楽にできるものなのだ。ここまではよいか?」
「うむ」
全くよくないが、阿呆のような顔をしてとりあえず首は縦に振っておいた。
「フェイスブックにネガティブなものは少ないのだ。なぜなら、自分の顔になるからである。故に、猫も杓子も楽しい思い出をさらけ出しているのだ。それに比べ、ツイッターでは愚痴も批判も様々である。実に気楽。愉快愉快」
「では、西田氏は楽しい思い出をお持ちではないということか?」
私は恐る恐る尋ねる。
「貴君。君は実に不愉快な質問を投げるものだね。だが、決して間違っているものでもないということが輪をかけて不愉快である。だが、決して全くというものではない。些細な幸せや楽しみは誰にでもあるというもの。敢えてあっぷろーどする必要はないと言っているだけである。勘違いするでないぞ」

西田氏の持論が終息へ向かう頃、鳴り響いていた嘉代子さま「ストッキング」は終わってしまっていて「キルキルキルミ」が始まった。

「あー、ダメな子ね」と始まる名曲。実にすんばらしい。いいねである。

ばれんたいん

春を目の前にぶらさげて寒い日々を駆け抜けておる。諸君、いや、皆々様はいかがお過ごしだろうか。
私と西田氏は ばれんたいん という出来事について話をしようではないかと向かい合っている。
煙草とカップを持ち合って前日に投げた豆を貪り食うは二月四日のこめだこーひさんである。
「ばえんぱいんぺー?」
豆を食う西田氏は発音すらできない始末である。
「うむ」
西田氏はさっと携帯をとりだしグーグル先生で調べ上げると得意げに説明を始める。
横文字が多すぎて何がなんだかわからんのである。結局歴史などどーでもいいのである。要はチョコレートを頂けると光栄だというものなのだ。
脱線していた話を現代に戻す。
「西田氏はもらうのか?」
腕を組み、しばし思案する。
「妹・・・」
「すまんな、聞くのではなかった」
「気にするでない」
「芦澤氏はチョコがお嫌いだものね」
「そうである。必要ではないのだ。決して強がっているのではない」
そういってさみしい二人は義理の頂き物の自慢を始める。実に腑に落ちない時間が過ぎ、西田氏はお返しについて語りだす。
「手作りで頂いたものへのお返しは何が良いのだろうと考えたことはないか。そして返すものへの境界がわからんのだ。一重にチョコといえども義理から本命まである。更に言えば義理未満のものもあるだろう。大多数の中の一人としておこぼれを拾ったのか、義理ながらもリストに入って貰うべくして手にしたのか、数多の男どもを蹴落として大本命を射止めたのか。それによって変わってくると思うのだ」
「して、現実にはどう処理をしたのだ?」
「義理の手づくりに手作りで返した」
「うわぁ・・・」
「だめだろうか」
「だめだろう」
そうして二人は討論を進める。そうして十分が過ぎたころ一つの結論にたどり着く。
「義理は廃止にしよう」
はじめに

この文章は西田氏のものではない。芦澤が書いているものである。
偉そうな文とは違い実につつましく生きておる。
西田氏は「ブログ続かない。たいへん、たいへん」と阿呆のように叫んでいたので、「何か書きたい、たいへん、たいへん」と阿呆の顔をして何もしていなかった私に話が回ってきた。
故に文責は私にある。可哀想な西田氏は批判しないでほしい。もっと可哀想な私はもっと批判しないで頂きたい。ただ、内容の西田氏の発言の責任は西田氏にある。思う存分責め立ててほしい。
とりあえずファジーロック、もとい、ファジーロジックのスタッフとして頑張る所存である。(芦澤)


 ・・・というわけで、僕の連載始まります。僕の。
 僕の文章ではないから、僕の連載ではない?
 そんな気持ちは全くないといえば嘘になるけれども、これは芦澤先生単独では成し得ないものであるということだけは明確にここに記そう。
 もしもそんなことを呟く方がいらっしゃるのであれば、僕はその人に問いたい。

 「今回の曲は初めて作詞作曲に挑戦しました☆」というアイドルの功績はいったいその曲の何割を占めているのだろうか、と。(西田)