- 前ページ
- 次ページ
【竹島を考える】竹島問題を膠着させた政府の“ウィンウィン外交” 韓国攻略は「歴史の事実」で戦略的対応を 下條正男・拓殖大教授
韓国の教育部が昨年11月28日に公開した国定教科書の現場検討本は、朴槿恵(パク・クネ)大統領に対する即時退陣要求とともに、今や風前の灯となった。
朴政権が従来の検定教科書から国定教科書に切り替えた背景には、日本との歴史教科書問題の影響を受け、民族主義的傾向を強めた盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代からの検定教科書がある。大韓民国成立後の歴史に対して批判的で、北朝鮮に対して好意的な記述があったからだ。
そのため、保守系の李明博(イ・ミョンバク)大統領時代にも国定教科書復活に向けての動きがあった。それが実現したのが、今回の国定教科書の現場検討本である。
執筆陣は「ニューライト」系研究者
一般論として、国定教科書というと、「国家権力によって統制された教科書」とのイメージがあるが、韓国の場合は少し事情が違っている。それは、国定教科書の執筆陣の大半が「ニューライト」と称される学者たちであったこととも関係している。
韓国にも「歴史認識」をめぐって「革新」と「新保守」の対立があり、歴史教科書問題が存在する。その始まりは、大韓民国成立後、日本統治時代の朝鮮史研究を植民地史観と批判する民族主義的な「歴史認識」の登場による。
特に1980年代、日本の歴史教科書を「歪曲(わいきょく)教科書」と指弾する過程で、韓国では建国神話を「歴史の事実の反映」とするまでになった。
さらに日本の朝鮮統治を「収奪」と決め付け、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代の「セマウル運動」(農村振興運動)についても、農村支配の手段とするなど、政治臭が強く出ていた。
従来の民族主義的史観と一線画す国定教科書
そこで2006年、ソウル大学名誉教授の安秉直(アン・ビョンジク)氏が「ニューライト財団」を設立して、2008年に『代案教科書韓国近現代史』と『韓国現代史』を刊行したことから、歴史教科書をめぐって「革新」と「新保守」の対立が表面化した。
中でも「ニューライト」系の人々は、「日本による朝鮮統治には、朝鮮半島の近代化に寄与した部分もある」とし、従来の民族主義的な史観とは一線を画していた。
今回の国定教科書の現場検討本では、その「ニューライト」系の主張が大幅に取り入れられ、朴槿恵大統領の父君である朴正煕大統領時代のセマウル運動を高く評価した。
これに対して反対勢力の陣営では、朴槿恵大統領に対する罷免要求と国定教科書とを結び付け、「現場検定本は『親日』的だ」として、採用に反対したのである。
竹島問題が最終段階に到達した証
ただ竹島問題に関する記述では、韓国内の民族的感情を意識して、現時点での韓国側の研究を大幅に採用している。
日本側の文献である『隠州視聴合紀』、『元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書』、林子平の『三国接壌図』、『公文録』所収の「太政官指令」、島根県が作成した『礒竹島略図』、1905年刊の『朝鮮全図」を根拠に、「日本の文献も独島(竹島の韓国側呼称)が韓国領であることを示している」としたのである。
だが皮肉なことに、これは竹島問題が最終段階に到達したことを示す証となった。島根県の「竹島問題研究会」が持続的に竹島研究を行い、韓国側が竹島を韓国領としてきた文献をほぼ論破した結果、韓国側に残されたのは、日本側の文献を論難する以外に術がなくなったからだ。
それに、現場検定本が挙げた日本側文献では、竹島を韓国領などとはしていない。韓国側では、現場検定本を「親日的だ」と非難するが、そこに挙げられた日本側の文献に証拠能力はないのだ。日本側は、この現状をどのように認識しているのか。
官民協力体制の構築が先決
日本政府は昨年12月22日、来年度の予算案編成で、初めて5億1千万円を「領土・主権・歴史調査研究支援事業費」に充てた。
しかし今、日本政府がすべきことは、竹島問題研究会が10年余りで韓国側の主張を論破した事実に鑑(かんが)み、韓国側に外交攻勢をかけて、侵されたままの国家主権を回復することにある。
官民協力体制の構築が先決
日本政府は昨年12月22日、来年度の予算案編成で、初めて5億1千万円を「領土・主権・歴史調査研究支援事業費」に充てた。
しかし今、日本政府がすべきことは、竹島問題研究会が10年余りで韓国側の主張を論破した事実に鑑(かんが)み、韓国側に外交攻勢をかけて、侵されたままの国家主権を回復することにある。
それには研究支援よりも、官民が英知を集めた協力体制の構築が先決である
日韓間と同じ状況を日台間でも繰り返す
だがその前に、日本政府には考えてもらわねばならないことがある。
まず、島根県議会が2005年に「竹島の日」条例を制定しようとした際、日本政府が条例制定を阻止しようとした事実。さらに、「竹島の日」条例の成立と前後して外務省のホームページで、竹島は「我が国固有の領土」とし、「韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠のない不法占拠」と書き換えるなど一貫性がない点である。
一地方自治体である島根県が、10年間にわたって取り組んできた竹島問題は、政府が棚上げしてきた外交懸案である。島根県が動かざるを得なかったのは、1998年11月、竹島問題を棚上げして締結した「日韓漁業協定」で、日韓が共同管理する暫定水域が設定され、日本漁民が大きな被害を受けたからだ。
さらにこれと同じ状況は、尖閣問題と関連した「日台漁業取り決め」でも繰り返されている。尖閣諸島は歴史的に、台湾の一部であった事実も、中国の領土であった事実もない。
その事実を明確にしなかった日本政府は、台湾の漁民と共同で漁撈(ぎょろう)活動をする「取り決め適用水域」を設定し、「日台漁業取り決め」を結んで、中国を牽制(けんせい)しようとした。だがそれは、沖縄の漁民から漁場を奪うことであった。
国家主権に関わる問題に引き分けはない
島根県にできたことが、日本政府にはなぜできないのか。島根県の平成28年度の竹島領土権確立対策事業費は2912万円。今回、日本政府が29年度の「領土・主権・歴史調査研究支援事業費」としたのは5億1千万円である。島根県の約17倍だ。
これは、予算の多寡が問題ではないということだ。要は、戦略的な対応を持続的に取れるかどうかである。その点で、日本政府と島根県の取り組みに違いがあるとすれば、外務省の高官らが当然のように「外交はウィンウィン」と発言してきた政府の姿勢だ。
竹島問題研究会が主張し続けたのは、歴史の事実である。国家主権に関わる問題に「引き分け」はないからだ。これは不謹慎な喩(たと)えとなるが、外務省高官らの論理に従えば、北朝鮮に拉致された人々のうち半数を奪還できればウィンウィンとなる。
そんな外交姿勢が招来した結果が、竹島や尖閣問題での共同管理水域の設定である。
日本がすべきなのは韓国側の攻略
今回、奇(く)しくも国定教科書現場検討本で明らかになったのは、竹島問題が最終段階に到達したという事実である。その事実は、韓国で政権が代わり、国定教科書が無視されても変わることはない。
あと、日本がすべきなのは、いかに韓国側を攻略するかということである。そのために必要なのは、民間への研究支援ではない。日本政府の17分の1の予算でも対処ができる、島根県が設置したような持続可能な研究組織である。
駐韓大使が一時帰国、それでも日本は慰安婦像増殖を止められない
ダイヤモンドオンライン by 降旗 学
今月六日、政府は駐韓日本大使及び釜山総領事両名を“一時帰国”させる旨を発表した。釜山の日本総領事館前に“慰安婦像”が設置されたことに関しての対抗措置として、である。
また、大使の一時帰国に併せ、釜山総領事館職員の現地行事への参加見合わせ+日韓通貨スワップ協定の中断+日韓ハイレベル経済協議の延期の措置がとられることも明らかにされた。
大使を赴任地から引き上げさせるなんてのは本来なら異常事態なのだが、五年前(当時の李明博大統領が竹島に上陸した際)にも駐韓大使が一時帰国した経緯があり、こと韓国においては起こりがちなことではある。が、今回の措置は異例と言っていいほど厳しいものだった。
そのため、「韓国には日本相手なら、合意の“ちゃぶ台返し”など『何をしても許される』という考えが根底にある」(産経新聞)そうだが、今回の措置には韓国に動揺が見られるという。
〈釜山の慰安婦像設置をめぐっては、昨年一二月二八日に市民団体によって一旦設置されたが、設置先の釜山市東区庁が撤去。東区庁に抗議が殺到したとして区側が一転して設置を容認、三〇日に再度設置され、三一日には除幕式が行なわれていた。これは外国公館前での侮辱行為を禁じたウィーン条約を無視する違法行為にあたる〉
経緯を説明する産経新聞は、こうも書く。
〈韓国外務省はソウルの像については「民間が行なっていることで、あれこれ言えない」と繰り返し、釜山の像については「自治体が判断する問題」と責任を放棄した〉
一昨年末、日韓両国は元慰安婦問題を“最終的かつ不可逆的に解決させる”とした合意を表明した。大事なことだから繰り返すが、慰安婦問題に関してあれこれ言うのはこれが最後で、もう二度と蒸し返さないと両国は約束したのである。
国内には、慰安婦問題や賠償責任は一九六五年の日韓基本条約で解決済みとの見地から合意すべきではないとの反対意見もあったが、両国は合意に踏み切り、日本は元慰安婦支援を目的に設立する財団に十億円を拠出し、韓国は大使館前に設置された慰安婦像撤去に向けた“努力をする”ことを確認しあった。
昨年七月に財団は設立され、その一ヵ月後に日本政府は十億円を拠出した。日本は合意に従ったが、韓国はどうか。
大使館前に設置された慰安婦像撤去に向けた韓国政府の“努力”はさっぱり伝わってこず、大使館前のみならず、今度は釜山の総領事館前にまで新たな慰安婦像が建てられることになった。さらに言えば、日韓合意からのわずか一年で、韓国国内には新たに六体の慰安婦像が建てられたのだという。
〈韓国外務省は、「外交公館の保護に関する国際儀礼や、慣行の面からも(設置場所を)考える必要がある」と表明し、日本の公館前に慰安婦像を置くことが国際儀礼に反していることは理解している。だが、強い反日世論を前に、像撤去にまで踏み切れていない〉(産経新聞)
その韓国外務省が「日本政府が釜山総領事館前の『少女像』に関して決定した措置に対し、非常に遺憾に思う」(朝日新聞デジタル)とコメントしたから大笑いだ。
ちなみに、産経新聞は戦時中の記録(政府調査「従軍慰安婦」関係資料集:日本人捕虜尋問報告第49号:米軍作成)をもとに、慰安婦の平均年齢が二十三歳を超え、十九歳が一人のみだったことから“慰安婦像”と表しているが、朝日新聞他は韓国政府及び市民団体が称する“少女像”を使っている。
韓国では七〇年前の二十三歳を“少女”と呼ぶらしいが、彼らが“少女”にこだわるのは、いたいけな乙女が日本軍人に蹂躙されたと思わせたほうが対外的にもアピールしやすいからだ。
たとえば一九九二年、東亜日報は“日本軍が十一歳の韓国人少女を慰安婦にして弄んだ”といった記事を載せ、後に、それが故・吉田清治氏の証言(軍命を受け、済州島で朝鮮人女性を狩って慰安婦にしたという嘘:朝日新聞が報じる)をなぞっただけのでっちあげだったことが発覚した。だが、吉田証言や朝日新聞の大誤報同様、東亜日報の嘘も韓国民の反日感情を煽るのには十分だった。だから、慰安婦像は“少女像”でなければならないのである。
そして、韓国は、いつもゴールポストを動かしてきた。最終的かつ不可逆的と決めても、また裏切った。大使を一時帰国させる等の厳しい措置には、日本政府のそうした苛立ちが背景にあるのかもしれない。
だが、振り返れば、一九八七年、盧泰愚大統領時の民主化以降、日本は韓国の歴代大統領に裏切られ続けてきた。たとえば、盧泰愚大統領の跡を継いだ金泳三大統領(当時)は、慰安婦問題でこう表明した。
「物質的な補償を日本側に要求しない」
そして、慰安婦ら戦争被害者には韓国政府が支援すると言い、実際に五〇〇万ウォンの一時金と生活補助金、医療支援、永久賃貸住宅などの支援を行なっている。
雪解けは早い時期に訪れるはずだったが、それを阻んだ人物がいる。ほとんどの人は知らないだろうし、韓国人も知らないだろうが、その人物こそが村山富市総理(当時)だった。この人は、一九九五年の国会で“明治政府による韓国併合は合法である”と述べたのである。
二十世紀初頭の国際法に則れば村山氏の主張は誤りではないが、この発言は日本の植民地支配を“違法”と位置づける韓国民の感情を逆撫でした。結果、金泳三大統領は慰安婦問題に関し、日本政府への協力を拒否するようになる(慰安婦が“性奴隷”と訳され、クワラスワミ報告が国連人権委員会に提出されたのは翌九六年)。
次の金大中大統領(当時)は小渕恵三総理(当時)と「21世紀に向けた日韓パートナーシップ」を宣言するなど日本の謝罪も認め、一昨年の“日韓合意”同様に慰安婦問題は蒸し返さないと約束したが、盧武鉉大統領によってその約束は反故にされた。
退任した後、在職時の包括収賄を疑われ事情聴取を受けた直後に投身自殺をしたこの元大統領も、二〇〇三年の就任当初こそは「私たちはいつまでも過去の足かせに囚われているわけにはいかない」と前向きだった。
が、二年後の“三一節”(日本統治下で起きた韓国の独立運動を記念する祝日)には、豹変とも思えるこんな演説をした。ちょっと長いが、実に愉快なことを言っているので抜粋する。
「(前略)国の自主と独立の権利を明らかにした三・一精神は、現在も人類社会と国際秩序の普遍的原理として尊重されています。また、上海臨時政府から今日のわが政府に至る大韓民国正当性の根源となりました。このような三・一運動の偉大な精神を引き継ぎ、二度と一〇〇年前のような過ちを繰り返さないことが愛国先烈に対する道義であり、三・一節に新たにする我々の誓いであります(中略)
フランスは反国家的行為を犯した自国民に対しては峻厳たる審判を下しましたが、ドイツに対しては寛大に握手し、欧州連合の秩序を作ってきました。昨年、シラク大統領はノルマンディー上陸作戦六〇周年記念式典にドイツ首相を初めて招待し、『フランスの人々はあなたを友だちとして歓迎する』と友情を表明しました。
われわれ韓国民も、フランスのように寛大な隣人として日本と一緒にやっていきたいという願いを持っています。これまで、わが政府は国民の憤怒と憎悪を煽らないよう節制し、日本との和解・協力のために積極的な努力を払ってきました。実際、韓国国民はよく自制し、理性的に考え、分別を持って対応していると思います。
私はこれまでの両国関係の進展を尊重し、過去の歴史問題を外交的な争点にしないと公言したことがあります。そしていまもその考えは変わっていません。過去の歴史問題が提起されるたびに交流と協力の関係がまた止まって両国間の葛藤が高まることは、未来のために助けにならないと考えたからです。
しかし、我々の一方的な努力だけで解決することではありません。二つの国の関係発展には、日本政府と国民の真摯な努力が必要です。過去の真実を究明して心から謝罪し、賠償することがあれば賠償し、そして和解しなければなりません。それが全世界が行なっている、過去の歴史清算の普遍的なやり方です(後略)」
まるで“お前が言うな”の見本みたいな演説でツッコミどころ満載だが、後略の部分で盧武鉉大統領は、一九六五年の日韓基本条約には“個人の請求権は含まれない”と仄めかした。するとその年の夏、慰安婦は日韓請求権の“対象外”とみなされたのである。
さらに、憲法裁判所は、韓国政府が元慰安婦らの個人補償を日本政府と交渉しないのは“憲法違反”にあたるとの裁定を下した。これにより、盧武鉉政権は、日本政府は慰安婦個々人への賠償責任があると決めつけてしまった。
韓国という国は、国家間の取り決めを裁判所の判断で無効にできる国なのである。
ついでながら記させてもらえば、この盧武鉉という元大統領は、ドイツを訪問した際、ドイツの常任理事国入りは支持するが日本の常任理事国入りは反対する、ナチスドイツを批判するように一緒に日本も批判しないかと持ちかけて一蹴されるのだが、こういう姑息なことをやる大統領だった。
次の李明博大統領に至っては説明するまでもないだろう。大統領就任が決まった直後、彼は“日本に謝罪、反省は求めない”と言っていた。
「謝罪、反省の問題では日本も形式的にやってきたのは事実で、そのため韓国国民にそれほど感動を与えることができなかった。しかし、自分としては成熟した両国関係のために謝罪や反省は求めない。日本も要求がなくてもそういう話ができるような成熟した外交をすると思う」(産経新聞)
さらに、野田佳彦総理(当時)との会談でもこんなことを言っている。
「歴代の韓国の大統領は任期後半になると、『反日』を使いながら支持率を上げようとする繰り返しだった。私はそういうことはしたくない」(読売新聞)
その舌の根も乾かぬうちに竹島に上陸したのは記憶に新しいところだ。
そしてさらに、私はあえて“この男”と呼ばせてもらうが、この男は天皇陛下の訪韓にも言及し、「韓国を訪問したいのなら、独立運動で亡くなった方々に対し心からの謝罪をする必要があると日本側に伝えた」と言い募った。
ばかりか、陛下を“日王”と呼称したりもした。日王とは、侮蔑的な呼称なのである(それ以前は“天皇”と表記していた韓国メディアも、まるで申し合わせをしたかのように、一九八九年からこぞって“日王”と記すようになっている)。
盧武鉉元大統領が姑息なら、この李明博という男は卑劣だった。日本には反省も謝罪も求めないと言ったこの男は、手のひら返しまで披露した。
「慰安婦問題について、韓国の求める誠意を示さない限り、同年に駐韓日本大使館正面に建立された十三歳の少女慰安婦と称する像の他にさらなる銅像の建立がなされる」(中央日報)
こう言って野田総理を恫喝した。
韓国は大統領が代わるにあわせてゴールポストも動かしてきたが、最終的かつ不可逆的と決めた合意もまた、弾劾訴追を受け職務執行権限が停止されているとはいえ、朴槿恵政権下でひっくり返された。
日本政府の“お人好し”にもほどがあるというものだ。
だが、慰安婦像をめぐる論争に、残念ながら日本は勝てないだろう。理由は、何度騙されても今度こそは韓国を信用してしまう日本政府はお人好しで、外務省が無能だからだ。
駐韓日本大使館の正面に慰安婦像が設立されたのは李明博政権時の二〇一一年一二月のことだ。一九九二年に始まった挺隊協主催の“水曜デモ”実施一〇〇〇回を記念して作られたのが慰安婦像である。
その間、一九九六年にはクワラスワミ報告が国連人権委員会に提出され、二〇〇七年にはアメリカ下院議会で対日決議案(慰安婦問題の対日謝罪要求決議)が採択された。二〇一四年にはフランスの国際漫画フェスティバルで慰安婦の悲惨さを描いた漫画が展示され、昨年はユネスコの記憶遺産に慰安婦関連資料が申請された。
外務省は、そのどれを制止、訂正させることができたのか――?
ひとつもないではないか。外務省HPのどこを見れば、世界に流布された慰安婦に関する情報は偽りで、実際はこうだった、という発信があるのか。本来なら、トップページのいちばん目立つところに慰安婦関連のコンテンツを置くべきだろう。
大使館正面での慰安婦像設置がウィーン条約に違反していることは韓国外務省も認めている。だから、慰安婦像は近いうちにもどかされるだろうが、それはあくまで“移設”であって、撤去ではない。違う場所に移されるだけだから、慰安婦像がなくなるわけではないのだ。
日韓合意からの一年で慰安婦像は六体も増設され、韓国国内だけで四〇体近くを数え、これに中国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ等々の国での設置を加えると七〇体ほどにもなるのだという。
世界中に慰安婦像を設置しようと躍起になる人たちの活動と思惑が、私には元慰安婦を癒すためにやっているのではなく、日本に対する嫌がらせをしているようにしか思えない。慰安婦像は、日本を悪者にするための手段ではないのか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170109-00010005-agora-int
韓国外交はなぜ最悪なのか分かる解説 --- 八幡 和郎
少女像問題について安倍政権が強硬な対抗措置をとったのは、たいへん良いことだ。大事なことは、朴槿恵退陣後の新政権が合意見直しを要求してくることを牽制し封じることだ。そして、そのことについてアメリカを味方にしておくことだ。バイデン副大統領と安倍首相が電話会談したことは、とても大事だ。
また、この措置について日本の政治家は一致して政府を支持すべきだ。そういう意味で石破氏が「感情のエスカレートはよくない」などと少しブレーキをかけるようなことをいうのは、もし、次期首相を狙うならセンスが悪すぎる。ちょっと、この人を次期首相にはしたくない感じだ。
しかし、それにしても、どうして、韓国の外交は酷いのか、拙著「誤解だらけの韓国史の真実」(イースト新書)(http://amzn.to/2j4tbk6)で解説したことがあるので、その要旨を掲げておく。
“「半島の人々は外交上手なのか下手なのかなんとも評価しづらいのですが、時代を超えた特徴があると思います。外交上手のように見えるのですが、結局のところは、損しているのでないかということです。」”
“「日韓併合など、日本がいろいろ申し訳けないこともしたことがあると思う一方で、それではどうすればよかったのか、回答を見いだしにくい原因でもあります。」”
“「一言で言えば稚拙な外交なのですが、もう少し分析的に見ると、
(1)無礼である
(2)相手によって不公平
(3)目先の成功にこだわる
(4)政治家や官僚が国益より自分の利益のために外交をすることを容認しがち
(5)媚びると図に乗るが徹底して強く出ると弱い、
ということが目立つように思います。」”
“「(2)は日本へだけの行動については仕方ないと思っても他国への対応との違いがありすぎると許せないことです。日本に歴史問題であれだけ抗議するなら、中国やソ連にはどうしてしないのでしょうか。」”
“「(3)は、小さな鬱憤ばらしになっても長期的観点、あるいは、経済などほかの分野への悪影響を軽視することです」”
“「(4)は嘘がばれたり強気すぎる対応であとで問題が出ても社会的に糾弾されないことです。・・・反対に、現実的な対応で結果的には国益を増進する決定に関与した人物への過酷な評価があります。」”
“「(5)は、媚びたり理解を示したりすると図に乗るが、本格的に叩きのめされると意外に反発は収まることです・・・・日本は下手に出すぎて問題をむしろ拡大しがちなのに、中国などは思い切り屈辱的な目に韓国をあわせてかえって上手に屈服させてきました」”
“「日本にとっては、韓国・朝鮮のこういうところを変えさせようとしても、時間もかかるわけですから、とりあえずは、そいうものだという前提で、上手に賢く立ち回ることが賢明だと思います」”
“「歴史観についていえば、以上のような韓国・朝鮮の人たちの考え方の特徴を踏まえれば、日本人の媚韓姿勢は百害あって一理ないと思います。・・・向こうが好き勝手なことを言っているのに、遠慮しても尊敬もされないし、図に乗られるだけです」”
“「韓国・朝鮮の人が過度な自己主張をしたとしても、それはご愛敬というところもありますが、それに日本人が同調するのは、半島の人々に誤ったメッセージを伝えることになります」”
“「リベラルとか左派とか言うのは、インターナショナルな普遍性をもつ思想ですから、自国はもちろん、外国の国粋主義的思想や主張に扈従するのでは左派でもリベラルでもないはずです」”
“「帰化している人もしていない人も含めた、広い意味での在日の人たちの前向きの役割を期待します。どこの国でも、移民というのは、双方の国のかすがいであり、友好の担い手です。ところが、原状では、日本に好意的な人は沈黙したり、ルーツを隠す傾向があり、逆にかなり多くの人が一方的に韓国・朝鮮側に与して発言されているように見えます。これでは、両国のかすがい、潤滑剤どころか不和のたねを増大させてしまいます。
私は在日の人々というのは、もはやそれ自体が世界に誇るべきエスニック集団だと思います。李明博前大統領は大阪生まれですし、金正恩第一書記の母親も大阪生まれです。
戦後の長い時期、韓国がいまのように豊かでなかったころ、日本の、とくに関西周辺の在日社会は、世界で最も豊かで充実したコリアン社会だったと思います。よく似た存在は、ニューヨークのユダヤ人くらいかもしれません。」”
“「朝鮮焼き肉でもそこで生まれたものですし、芸能界における在日の人々の勢力をみれば、日本文化の発展に非常な貢献があったと思います。パチンコでも彼らの世界が育てた娯楽であって、在日文化は日本文化ともコリアン文化とも別の価値を世界でもっています。
もちろん、近代の日本人や政府が、親日的な韓国・朝鮮の人々に対して暖かかったかといえばそうではありません。古くは金玉均が上海へ出向いて暗殺されたのは日本での待遇が悪かったのも理由でしたし、戦後、在日の人に国籍選択の自由を与えず、自分で日本人だと割り切っていた人まで切り捨ててしまいました。また、近年の親日派への弾圧で被害を受けた人への対策も取っていません。
言論でも反韓国の姿勢を明確にすると保守派が仕事を与えてくれますが、中途半端な日本への理解を示すくらいでは、韓国や在日の社会から抹消される一方、日本は助けてくれないという嘆きを良く聞きますし、それがゆえに、沈黙したり、本国での居場所を亡くしても割り切って日本の保守派に媚びを売る人もいます。
そういう原状を、克服して、日韓・日朝の未来志向の可能性を求める行動が出てくることがあるといいと思うと言うことで本書を締めくくります。」”
ちなみに、新著「世界と日本がわかる 最強の世界史」(扶桑社新書)(http://amzn.to/2gCygB9)でもけっこうたくさん韓国のことを扱ってみます。この愛すべきだが厄介な隣人のことを世界史のなかで位置づけるのも一興かと思います。
八幡 和郎
テレビも「もりど」と言っているし、
「豊洲もりど 」問題とおもいますね。
しかし、
「もりど」と言ういいかたは、建設業のかた逹が使う業界用語で、正確には「盛り土=もりつち」が正しいと言うことです
「慰安婦性奴隷」を捏造した日弁連、戸塚弁護士は国民に釈明・謝罪せよ!
捏造強制連行に捏造性奴隷を上乗せし、日韓両政府の善意を悪意に変え、日韓関係を破壊し、日本国民に冤罪をきせ、日本国民の人権を蹂躙したのが、日弁連だ!
「河野談話」が杜撰な調査に基づいたものであることはすでに指摘されていました。そして強制連行を捏造するための日韓の「談合」であったことも明らかになりました。しかし、この国民を欺いた許しがたい談話にも、問題解決をめざす日韓両政府の一抹の善意が感じられます。もし、慰安婦問題が現在のように世界的な日本中傷の道具になっていなければ、その一抹の善意はいかされていたことでしょう。
日本弁護士連合会(日弁連)は1992年に戸塚悦朗弁護士をして、「慰安婦性奴隷」の国際的認知を目的に、国連人権機関にロビー活動を開始しました。当時日弁連会長だった土屋氏とともに、国連への働きかけは驚くほど執拗であったと報じられています。その結果、1996年、不公正で偏見に満ちた「クマラスワミ報告書追加文書」が人権委員会に提出されました。慰安婦性奴隷の捏造が完成したのです。
捏造強制連行に捏造性奴隷をうわのせし、日韓両政府の善意を悪意に変え、日韓関係を破壊し、日本国民に冤罪をきせ、日本国民の人権を蹂躙したのが、日弁連なのです。
日弁連とは一体誰のために存在しているのでしょうか。
韓国で慰安婦問題を喧伝しているのは挺身隊協議会という団体です。これは北朝鮮の組織と言ってもいいくらいの従北勢力です。結局、日弁連は人権擁護を唱道しながら、最悪の人権侵害国である北朝鮮を利する行為を続けてきたのです。
「河野談話」の正当性は崩壊しました。従って、「河野談話」の捏造屋上屋である「慰安婦性奴隷」も崩壊しました。
国民の人権を蹂躙した日弁連に釈明・謝罪を求めるとともに、この実態を国連人権委員会に報告したいと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140713-00000504-san-soci
産経新聞の連載小説「アキとカズ」は終戦後、樺太に残され、ソ連(当時)によって、故郷へ帰ることが許されなくなった人たちをモデルにしている。
1990年前後から本格的に、政治問題、外交問題化した「サハリン(樺太)残留韓国人問題」を知っているだろうか?
「戦争中、日本は『4万3千人』もの朝鮮人を樺太に『強制連行』して、炭鉱などで苛酷な労働に就かせ、終戦後は終戦後、日本人だけは樺太から引き揚げたのに、朝鮮人は『置き去り』にされた」として、当事者らが日本政府の責任を問うた問題である。
もちろん事実ではない。とりわけ『』の部分は、悪質なウソである。
「自虐的」な日本人国会議員、弁護士、知識人、メディアがまず、こうした悪質なプロパガンダであおり、野党や韓国政府が飛びつき、政治問題、外交問題化させてしまったのだ。
(1)連載小説でもたびたび登場するように、樺太に渡った朝鮮人は『強制連行』ではない。高賃金にひかれて自ら海を渡ったのだ。樺太の場合、昭和19年9月から朝鮮人に適用された「徴用」もほとんどない。
なぜならば、そのころになると樺太周辺の制海権が怪しくなり、島内の炭鉱は閉鎖。そこで働いていた朝鮮人労働者の多くは、九州などの炭鉱へ配置転換になっているからだ。
(2)このため、同年6月に2万8千人いた樺太の朝鮮人は終戦時には多く見積もっても「1万5千人」。『4万3千人』という数字は戦後、ソ連が現在の北朝鮮地域や大陸から連れてきた新たな朝鮮人(つまり日本とはまったく無関係)を含めた数字である。
(3)終戦後、朝鮮人だけを樺太に『置き去り』にしたのはソ連である。すでに冷戦下の東西対立が始まっており、ソ連は、アメリカ軍政下にある朝鮮半島の南部分(現在の韓国)への帰郷を許さなかった。日本人が引き揚げた後の樺太経営のための労働力に朝鮮人を充てる狙いもあっただろう。いずれにせよ、日本は当時、「占領下」にあり、米ソ間で昭和21年に結ばれた引き揚げ協定に口出しはできなかったのである。
だが、政治問題、外交問題化したとき、日本政府は“お家芸”で幕引きを図ろうとする。事実でもなく、責任もないのに、謝罪し、「人道的見地」からの支援(つまりカネだ)によって丸く収めようとした。
樺太に残されていた朝鮮人が韓国に帰るための旅費、韓国に永住帰国したときに住む高級アパートの建設。事情で樺太に残り続ける朝鮮人には、韓国の親類に面会するための旅費、ホテル機能もついた会館の建設、移動のためのマイクロバス…。まさしく、いたれりつくせりの手厚い支援は膨れに、膨れ上がって現在まで約80億円に上る。
事実でもなく、責任もないのに、謝罪し、「人道的見地」からの支援によって丸く収めようとした-構図はそっくり「慰安婦問題」にもあてはまる。国民の血税をドブに捨てる国賊行為に他ならないではないか。(「アキとカズ」作者、喜多由浩)
----------------------
死んでしまった、死に損なっているじじい達元議員は、なんの反論もせず、韓国、北朝鮮の言いなりであった。財産を没収して日本国民に謝罪をしてもらいたい。こいう議員が今の韓国、中国の問題を孫たちへ押し付けているのだ。
>国民の血税をドブに捨てる国賊行為に他ならないではないか
その通りだ!!その上に最近、もっと金をよこせと樺太に居る朝鮮人が行ってきているらしい。帰国するための金をよこせ、暮らしがよくないから金をよこせと、これもまた韓国と同じできりがなく、際限なく要求してくる。こういう民族には簡単に謝罪をしてはいけない。
裏切り者河野洋平は、検証について間違いがないと認めたようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
河野洋平元官房長官の「いわゆる『河野談話』検証結果の公表を受けて」とするコメント全文は以下の通り。
今回、検証チームの皆さんが短期間の中で精力的に作業に当たられたことに対し、敬意を表したいと思います。
今から21年前、私が宮沢内閣の官房長官として、宮沢総理をはじめ関係部局と相談しながら、国内外の多くの資料、旧軍人や慰安所経営者など幅広い関係者の証言、そして元慰安婦の方々の聞き取り調査などをもとに作成したものが、いわゆる「河野談話」であり、当時、私自身、日韓関係の大きな問題を乗り越えるために懸命の努力をし、その結果が「河野談話」だと思っています。
すでに安倍総理ご自身が「河野談話の見直しは行わない」と発言されており、私としては今回の検証チームの報告が出たことで、新たに付け加えることもなければ、差し引くこともないと考えております。
私は、当時いわゆる慰安婦と呼ばれた人たちが総じて自らの意思に反して働かされたということに対して申し訳ないという日本人の気持ちが、今も変わってはいないと思っています。
日韓関係の厳しい環境が続く中、私としては日韓双方の指導者の大局的な判断により、一日も早く両国の関係改善がなされることを切に願っております。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140620/plc14062016230011-n2.htm
政府は20日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の作成過程について、有識者による検討チームの報告書を公表した。報告書では、当時の日韓両政府が談話の文言を原案段階から入念にすり合わせていた経緯を明らかにしており、談話が事実上、日韓の合作であったことが証明された。
衆院予算委員会からの検証要請を受け、加藤勝信官房副長官が同日の予算委理事会に報告書を提出した。菅(すが)義偉(よしひで)官房長官は記者会見で、韓国側へ報告書の概要を伝えたことを明らかにした上で、「談話を見直さないという政府の立場に何ら変わりはない」と述べた。
報告書によると、談話作成に関し、5年7月の日韓外相会談で、武藤嘉文外相(当時)が「文言は内々に事前に相談したい」と申し入れたことを受け、事務レベルで文言調整が始まった。慰安所設置や慰安婦募集の際の軍の関与について、韓国側が「軍の指示」と表現するよう要求し、最終的に「軍の要請を受けた業者があたった」と修文するなど、文言のすり合わせが詳細に行われた。
談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査をめぐっては、韓国政府が反日団体である「太平洋戦争犠牲者遺族会」と「挺身(ていしん)隊問題対策協議会」に協力を打診していたと指摘。談話の原案は聞き取り調査が終了する前に作成済みで、裏付け調査も行っておらず、談話の直接的な根拠ではなかったことも明らかにした。
政府は、談話の発表直前、日韓両政府のすり合わせについて「マスコミに一切出すべきではない」と提案し、韓国側も了承した。
報告書には、河野氏が談話発表の記者会見で「強制連行の事実があったという認識なのか」と質問され、「そういう事実があった」と発言したことも明記。「一連の調査で強制連行は確認できない」としていた政府の認識と矛盾する発言だったことを強調した。
元慰安婦に「償い金」を支給したアジア女性基金に関し、事業終了までに韓国の元慰安婦61人に1人あたり「償い金」
200万円を支給したことも明示した。
■河野談話 平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。閣議決定はしていない。慰安婦募集に関し、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。
-----------------------------
日本の政府は日本国家を裏切り、日本人を辱めている。本当に腹立たしい限りで、河野も武藤も国家反逆罪で牢屋にぶち込んでやりたい。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140604/dms1406041140003-n2.htm
私が今でも不思議に思うのは、「朝鮮人強制連行」が虚構であることを知っている人はいくらでもいたはずなのに、日本社会がその誤謬(ごびゅう)を訂正しようとした形跡が見当たらないことである。これが火種になって、今日これほどの大問題に発展するとは思わなかったということなのだろうか。
そればかりではない。1982年には、教科書の検定基準に、中国・韓国などとの戦争の記述に配慮せよという趣旨の「近隣諸国条項」と呼ばれる一項が加えられた。その運用の指針として、文部省の内部文書では、「神社参拝」「創氏改名」などと並んで、「強制連行」も検定意見を付けない事項、言い換えれば教科書の著者の書き放題を認める事項に入れられていたのである。
それによって80年代以降の歴史教科書で「朝鮮人強制連行」は定番のアイテムとなった。
後に「詐話師」として虚名をはせる吉田清治氏が慰安婦を奴隷狩りしたと「告白」した本を刊行したのは83年のことだ。題して『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)。韓国・済州(チェジュ)島の貝殻工場での奴隷狩りの場面は次のような調子である。
《「体格の大きい娘でないと、勤まらんぞ」と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つけて、慰安婦向きの娘を選びはじめた。若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は木剣で台を激しくたたいて威嚇して、台を回って行って娘の腕をつかんで引きずり出した。山田が肩を押さえて床に坐らせると、娘はからだをふるわせ声を詰まらせ、笛のような声をあげて泣きじゃくった》
こうして吉田氏は済州島で205人の慰安婦狩りに成功したと懺悔(ざんげ)しているのだが、これは完全なつくり話であることが9年後に暴露されてしまった。
しかし、その9年間は、吉田氏の創作が事実として信じ込まれていた期間となる。吉田氏は全国を講演して歩き、韓国まで行って土下座した。韓国では、吉田氏の劇画調のストーリーに合わせたテレビドラマが制作・放映された。「現代のベートーベン」と持ち上げられた佐村河内守氏の作曲者偽装騒動もひどかったが、吉田氏もそれに勝るとも劣らない大成功を収めたのだ。
肝心なことは、初めに「朝鮮人強制連行」という実体のない言葉がつくられ、その言葉が喚起するイメージに合わせて「事実」の「創作」が行われたことだ。
強制連行の対象を一般の労働者から慰安婦に広げたところが吉田氏の独創的なアイデアであり、これをほとんどの日本人が信じ込まされたのである。
■藤岡信勝(ふじおか・のぶかつ) 1943年、北海道生まれ。北海道大学大学院修了後、北海道教育大学助教授、東京大学教授、拓殖大学教授を歴任。現在、拓殖大学客員教授。95年、歴史教育の改革を目指して自由主義史観研究会を結成。97年、「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加し、現在同会理事。著書・共著に『「自虐史観」の病理』(文春文庫)、『教科書が教えない歴史』(産経新聞ニュースサービス)など多数。

