ふと思い出した事。


母の退院の時に特養の相談員さんが


「特養に寄って行きますか? ここだと(病院)ゆっくりと会えなかったから、特養で話しでもします?」


めちゃくちゃ気をつかっていただいたお言葉でしたが、病院の方と同様に私には重荷になる言葉。


なので、母の状態に目配せしながら私とは一緒にいない方が良いと伝えました。


「一番身近な人で一番世話をしてくれる人に当たりが強くなるんですよねぇ。誰よりもお母さんの為にかのんさんは色々としてくれているのにね、、、」


と、相談員さんは理解して言ってくれました。


在宅介護をしている時にも母に関わる人達に同じような事を言われました。


特に訪問看護師さんは精神科勤務をしていた人なので、認知症というより精神疾患に近い母の症状を理解してくれていました。


在宅の限界を強く言ってくれて精神科入院を勧めてもくれました。


「妄想は一番身近で受け止めてくれると無意識ながら思える人に言う事が多いです」


と言われました。


良く言えば、無意識ながらも一番世話をしてくれていて何を言っても見捨てないと思われている。


悪く言えば、どんなに傷つけてもいい人だと思われている。


というものなんでしょうね。


今は在宅をしていた頃より気持ちの余裕があるので、色々な人から言われた言葉の意味が理解できます。


でも、気持ちの余裕がない時は言われる言葉が重荷になり、何もわかってもらえないと思ったものです。


そして、認知症の症状だとしても傷つけられた記憶は簡単に忘れるとはできないものです。

少しは優しい目線で見る事はできるけど、やはり母に会うのは怖いし一緒に居るのは苦痛になります。


母が色々な事を忘れてくれて私を見知らぬ人と思ってくれたら、私もその母を受け入れる事ができると思う。いや、その方が優しくできる。


だけど、母の妄想は頑ななので一度そう思い込むと消えないんですよ。

歪んだ妄想は10年くらい消えないものもあるし、自分は正しいと思う性格が妄想を正当化させる事に拍車をかけているところもあります。


なので、離れて長い時間が経ちますが、いつまでも私と母は同じ場所に気持ちが留まっている感じです。


忘れる事は辛いものかもしれないけど、人によっては忘れる事で穏やかになれる事もあると思う。

母の場合は、歪んだ妄想を忘れれば本当の意味の穏やかになれると思うんですよね。


たぶん、母の妄想は消えないでしょう。

自分の不幸を私のせいにしないと自分が惨めになってしまうし、思い込んでいる私への敵意を変えるのは自分の考えが間違いだと認める事になってしまうから。


認知機能の低下が緩やかで自分の意思が強くでる認知症は厄介です。


自分が色々な攻撃にあっていると思い込む妄想は、自分を守る為に他人を攻撃するようになります。それを一番喰らう介護者はたまらんです。


特養の相談員さんとのやり取りで、


「今までご家族に言っていた言葉を私が言われる立場になっちゃいましたよ」


と、笑いながら言いました。


言う側は、気遣いや優しさから言葉を届けるものですよね。

でも、その届けられた物が嬉しいものとは限らないものです。


その立場にならないとわからない事はたくさんあります。介護をする立場になっても、それぞれの気持ちが同じとは限りません。


届け物は相手を見て送りましょう。


その人が必要と思っているものを知るには簡単ではないです。自己満足の押し付けの届け物は迷惑にしかならない物になっちゃいます。


言われる側になった私は、言う側になった時には迷惑な届け物はしてはダメだと学びました。


その学びが届け物を慎重に選ぶという事にも繋がるようにもなりました。


今だから言えるのは、辛い経験も学びにすれば他人より知る事が増えたと思えます。


まっ、その学びを知らない方が幸せですけどね。

うん、知らなくていいかも 笑