今回の入院で、自分の気持ちを振り返りました。


私は在宅介護を決めた時に自分の後悔がないようにしたいと思いました。

母の為になる事は何でもしよう。完璧とは言えなくてもそれに近い事をしようと。


でも、母の認知症の進行で完璧とは程遠い介護になり、仕事のスキルなど何の役にも立たないお粗末な対応しかできませんでした。


私にできる事といえば感情的にならずに最低限の身の回りの世話をして、妄想とは言え母の意思を受け入れる事でした。


本当なら継続的な治療をし、完治ができないとしても悪化させない状態にしたかった。


治療拒否をする母に泣いてお願いをしたり、本気で怒ったり、強引に治療を受けさせようとしたりしました。


でもダメでした。


もう諦めというか、それが母の望む事なら受け入れるしかないと思うようになりました。


その結果が今回の入院に繋がったわけです。


だから、仕方ないと思う気持ちの方が強く、これも母が自分で決めた道と思うようにしています。


今は母の状態よりも費用や行き場の事ばかりを心配しています。

状態は母が自分で選んだ道なので、先の事を考える方が大切だと思ってしまいます。


母の事だけを考えたら在宅しかないのかな?と思ったりもしました。


でも、それは綺麗事。


私の中にやっと落ち着いた生活を壊してまで母に尽くしたい気持ちはなかったです。


認知症の妄想とはいえ、治療を拒否して悪化させたのも、私に攻撃的になって介護拒否が強くなったのも母の意思というものですから。


それに、憎まれながら看取る精神力は私にはありません。


たらればだけど、母が認知症じゃなかったら、母が妄想のない認知症だったら、今のような状態にはなっていないと思います。


でも現実は、母は妄想のある認知症で、自分は医者だと言ったり自分で治せると言ったり、治療をしてくれる医師に暴言を吐いて殴りかかろうとして何もさせないようにしていたわけです。


私は母の認知症を受け入れて、妄想の意思を受け入れて、今の状態を受け入れるしかできません。


母への愛情とか優しさとか、そんな綺麗なものは私にはないけど、現実の母を受け入れて最期まで1人で背負う覚悟はできています。


その覚悟は、普通の親子とは違うけど私にとっては親孝行というものです。


自分の手で介護をしなくても、悩んで考えて最善の道を見つける努力はするからね。


その結果、苦しませる事になったとしても今度は母が受け入れて欲しい、、、