「広島会衆集団排斥事件」の次に読んだのは、レイモンド・フランズの「良心の危機」だった。この本が他の“暴露本”と一線を画している理由は、著者が元「統治体」のメンバーであったという事実だ。統治体とは、エホバの証人の組織の頂点に君臨し教理や組織構造、手順やその他のシステムの決定を行う合議機関だ。(複数の人間で構成されるという意味においては、建て前上は合議制になっているが同著によればこの合議体は正常に機能していない。少なくともある一時期にはそのような状態であったようだ。)
幾つかの驚くべき組織の実情が暴露されているわけだが、とりわけ私が衝撃を受けたのは、「二重基準と御都合主義」という章に記述されている、マラウイとメキシコの兄弟達の直面していた政治上の中立の問題に関するダブルスタンダードについてのものだった。
以下、同著を読もうと(楽しみに)している方にとっては所謂「ネタバレ」的な内容となる可能性があるので、ご注意いただきたい。
大まかに説明するとこうだ。1960年代から1970年代にかけて、アフリカのマラウイのエホバの証人たちは、同国を一党支配していた「マラウイ会議党」の「党員カード」を購入することが聖書の教え(否、統治対の教え)に反するという理由でこれを拒否し当局から厳しい迫害を受けていた。エホバの証人は、イエス・キリストが「私が世のものではないのと同じようにあなた方(キリストの弟子たち)も世のものではありあせん」と述べ、また自分自身が世俗的な政治上のポジションに就くことを否定されたことから、この世の中に存在するありとあらゆる政治・政府に関与することを拒んでいる。選挙に立候補もしなければ、投票もしない。彼らが支持するのは「神の王国」の政府だけだからだ。
上のキリストの教えを遵守するのはよいとして、問題は、マラウイ会議党の党員カードを購入することがはたしてキリストの教えに反することになるのか、ということだ。著者は、同国にはマラウイ会議党一党のみしかないこと、したがって同党政権からの命令はいわばクリスチャンがローマ13章で従うことが進められている上位の権威からの要求であること、こういった点を考えると、党員カードを国民の義務として購入することがどれほど政治上の中立の問題に抵触するというのか、という点を指摘している。無論、エホバの証人の個人個人が自己の良心に従ってこれを拒否するというのであれば、それは立派なことだ。しかし、この指針は同国のエホバの証人支部ひいてはNYの世界本部で安穏と椅子に座っている統治体によるものだった。
上で述べた統治体の主張・指針が、揺るぎない、聖書の記述を土台とした、首尾一貫したものであればそれで良いのだが、同じ性質の他の案件については全く逆の指針を打ち出したことがあった。
やはり1970年代に、メキシコのエホバの証人たちは、「軍務修了証明書」の取得に関する問題の扱い方に関する指示を統治体に仰いだことがあった。この「軍務修了証明書」というのは、一定の年齢に達した者(男子のみであったかは分からない)が一年間軍務に服することで発給を受けることのできるもので、メキシコでは広く一般的な身分証明書のような役割も果たしており、これを取得することで生活上様々な利便があったようだ。事実、これがなければパスポートの発給を受けることができなかったようだ。しかし、この証明書の発給を受けるということは、同時に軍に登録され、有事の際に軍務に服さなければならないのだが、それまで、そのような招集を受けたエホバの証人はいないとのことだった。
当然、エホバの証人はキリストの教えに従い軍務に就くことはできない。しかし、軍務修了証明書は入手したい。そこで、メキシコのエホバの証人の間で広く行われ容認されていたのが、“しかるべきところ”に一定の金銭を渡し、便宜をはかってもらい、証明書の発給を受ける、という裏技だった。要は賄賂である。賄賂を贈ることそのものも、これがキリストの追随者として受け入れられる行為かどうか甚だ疑問なのだが、問題はもっと確信に迫っている。つまり、統治体は、この問題をどう扱うべきかという同国支部の質問に対し、平たく言えば「みんながやっていて、その方が都合が良いなら、別にとやかく目くじらを立てなくてもよい」という立場をとった。別に実際に軍務に就くことなく、便宜のためにそのような証明書があった方が良いという理由で取得するなら、それは特に中立の問題に抵触するわけではなく、役人に金銭を渡してそうすることが広く行われている「習慣」であれば特に問題視することはない、というのだ!
メキシコの問題に関して上のような論理を駆使するのであれば、何故マラウイの党員カードの問題について、全く真逆の論理によって同国の兄弟達の身に危険をもたらし、死にさえ追いやるような指針を打ち出せたのだろうか。
著者は、この現象を「キリスト教を規律の形で扱う権威構造によく現れる産物だ」と表現している。つまり、組織構造の上層になればなるほど、実状やそれに伴う末端の感情などに無頓着になる。「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてんだ!」という台詞の示唆する教訓もしっくりくる。
この本で注目すべき箇所はまだまだあるが、この記事で紹介した部分が、私の覚醒にかなり貢献したのは間違いない。