見出し画像

今年の抱負は、仕事を減らす、音楽を増やす、家族と友人を大切に。

 
池谷恵司
 

今年の抱負は、仕事を減らす、音楽を増やす、家族と友人を大切に。

とする。

あと4日で還暦だしな。

あとはいただいた命なので、他人と自分のために素敵なことをしていきたいと思います。

 

ことしはあまり短すぎるNOTEはやめようとも思っていますので、あとで追記するつもり。

「いまはもう、人生を語ろう」#01 音楽以前からポセイドンの目覚め

 

見出し画像

 

僕の音楽体験は、浜松だけあって幼稚園の年長、一年生、二年生とヤマハ音楽教室にいったことだった。が、この時は音楽にはほとんど興味が持てず、オルガンも買ってもらったのか、家にあったが練習は全くしなかった。当時は野球が大好きで、ヤマハが終わってからは野球ばかりしていた。

音楽に目覚めたのは、父の死に関係がある。父が僕が小学校の4年の時に亡くなり、母が実家にしばらく身を寄せることになった関係で小学校の時転校することになった。浜松城北小学校から浜松鷺ノ宮町学校に引っ越したのだ。僕の人生で転校はこの1回(後にまた城北小学校に戻るので言って戻って都合2回だ)だけだった。

転校って、やっぱりキャラクターに影響を与えるのだと思う。転校先の鷺ノ宮小学校にはトランペット鼓隊があった。それまで一切音楽には興味がなかった野球少年だったのに、僕はなぜかトランペット鼓隊に入りたいと思った。これはいまだに理由は謎だ。謎だとおもったことは明瞭に覚えている。夜、母の実家の離れのような部屋で家族三人で寝ていたが、トランペット鼓隊に入りたいと思った夜か、あるいは入って良いと言われた夜か覚えていないが、寝ながら天井を見て「ああ、不思議だな、なんでトランペットが吹きたいのだろう」と小学校5年生ながら、なんか不思議なものを感じたのだった。

そして無事トランペット鼓隊に入ってトランペットを吹いた。特段上手く吹けたわけではなく、下手だったと思う。今思えばアンブシュアもなにもあったもんではなく、ただ鳴るように小学生が適当に吹くのだから、上達できるようなアンブシュアが身につくはずはない。あまりよくないことだった。事実僕はその後中学・高校でアンブシュアの悪さに悩まされることになるのだった。

とはいえトランペットが吹けたことは嬉しかった。

が、また転校だ。一年半あまり母の実家に家族もろともお世話になった後、また昔の家に戻り、昔の小学校(追分小学校)に出戻ったのだった。

その当時戻った追分小学校にはトランペット鼓隊はなかった。でも僕はどうしてもトランペットが吹きたかった。それでどうしたか。ヤマハかじまち店でトランペットのカタログを穴が空くほどながめつづけ、結局お年玉を集めたお小遣いで、ヤマハのコルネットのカレッジモデルを買ったのだった。

 

画像
たぶん買ったのはこれ。YCR232

なぜかコルネットを買ったところが、我ながら渋い。当時コルネットの形に魅入られたのだ。当時の自分に今いってやりたいのは「お前、コルネット選ぶなんていいセンスしいてるぜ」ってこと。

でコルネットを買い、家で練習し(当時は牧歌的で家でラッパの練習をしても、近所から怒られた陸上をもらうことはなかったのだ)、ときおり浜松まつりで進軍ラッパを吹いたりしつつ、まずは小学校時代はラッパを吹く、ということろから、僕の音楽始まったのだ。

第1回終わります。

 

見出し画像

私にとってはたらくとは? 遊びではなく、仕事だからこそ、最高に楽しくて気持ちいい。

 
池谷恵司
 

というのをやっていたのを知った。終わってるけど、別にコンテストでかちたいわけではなく、書いておきたいので書いておく。特に子どもに伝えたいが、直接言うのは恥ずかしいので、ほかの人にはおめざわりかもしれないが、いつかこのエントリーをひょっとして見つけるかもしれないから、という動機で書いておく。

ライブの本番と同じように、そして野球で言えば公式戦と同じように、ヒリヒリするような緊張と、失敗したり上手くいかなかったときのリスクがある状況でこそ、上手くできたときの歓び、快感、そしてリワードが大きい。仕事はまさにそれで、遊びのように失敗しても笑って済ますことができるところには、真の楽しさ、歓び、快感はない。

だから、仕事とは、マジの場であり、一番楽しいことであり、またそれでほかの人の助けになったり、喜ばれたり、感謝させることは、一番の快感だ。

だから仕事しろ。

eyecatch

 

ウクライナ、ロシアで。言葉は嘘をつける。真実はどこにあるのか。

京都大学元総長、ゴリラ学者の山極壽一先生に伺った話が忘れられない。
「言葉は不完全なもの」「言葉は嘘をつける」
そのとおりだ。

ウクライナ戦争での報道は、どこまで真実なのか。
ロシア国内での報道はどこまで真実なのか。
両国ともに先方の報道をプロパガンダという。
我々日本では欧米諸国側の報道がそのまま
鵜呑みされた状態で報道されている。

結局僕たちは体験も場の共有もしていないので
すべて言葉と、電子的な映像でしか知らない。

たとえば第二次世界大戦中の日本人は、
徹底的な報道規制と、植え込まれた道徳規範の中で
どこまで真実を知っていたのか。

ひょっとして真実などないのだろうか。

 

Facebookで、「戦争プロパガンダ10の法則」というものを知った。
怖ろしいほど、今の状況にピッタリだ。

 

ニュースを見ていても、まさにこのままなんだが、プーチンだけを悪魔のような人物とすることは、本当なのだろうか。
真実は後年の分析が明らかにするのだろうが、わかりやすい「悪魔」のような指導者って、本当にいるのだろうか。

「戦争プロパガンダ10の法則」

1.われわれは戦争をしたくない
2.敵側が一方的に戦争を望んだ
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ
4.われわれは偉大な使命のために戦う
5.敵はわざと残忍な行為に及んでいる
6.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7.受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8.芸術家や知識人も正義の戦いを支持
9.我々の大義は神聖なものである
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

戦争プロパガンダ10の法則(草思社文庫) [文庫]
  1. We do not want war.

  2. The enemy alone is to be blamed for the war.

  3. The enemy is inherently evil, resembling the devil.

  4. We defend a noble cause, not our own interest.

  5. The enemy commits atrocities on purpose; our mishaps are involuntary.

  6. The enemy uses illegal weapons.

  7. We suffer small losses, those of the enemy are enormous.

  8. Artists and intellectuals back our cause.

  9. Our cause is holy, it has a sacred character.

  10. Whoever doubts our propaganda, is a traitor.[7]

見出し画像

子どものいのち、民間人のいのち、兵士のいのち

池谷恵司
 

ウクライナ紛争によるロシア軍の無差別攻撃、その惨状は正視に耐えない。正直って精神的に耐えられないぐらいだ。
よく新聞などで報道されるのが民間人の死者??名(うち子ども??名を含む)というもの。罪もない無垢なこどもたちの命が失われるのは耐えがたいことだ。激しい怒りにかられる。はやく戦争を終わらさなくてはならない。
ただ、ふと思うのは、子どものいのちがけが特別なのではなく、同じように大人のいのちだって大切だし、ウクライナの兵士のいのちだって、かけがえのないものだ。そして同じくロシア兵のいのちだって、かけがえのないもの。ウクライナ軍が前線してロシア軍を撃破しているとも聞くが、これはウクライナ兵がロシア兵を殺害しているということだ。
子どものいのち、民間人のいのち、兵士のいのち。そこにちがいがあるのだろうか。兵士のいのちなら失われていいのだろうか。

ローランドカークに土下座して謝りたい

池谷恵司
 

https://m.media-amazon.com/images/I/51tLCyGaq2L._AC_.jpg

ローランド・カークは、盲目のサキソフォニスト。サックスとか笛をまとめて3本吹く人。そのくらいのイメージしかなかった。
まともに聴くことなく、ゲテモノ扱いしていた、と告白しておく。
(ライブハウスなどでサックスを2本吹く芸、というのを数回目撃していたことの悪影響もあった。)

画像

ところが、大友良英さんのジャズ・トゥナイトのローランド・カークの特集を聴いて、もう、まったくもって恐れ入ったのだった
初期のチャーリー・パーカー的なフレーズの素晴らしさ、バラードの歌いかたの素晴らしさ、その後のコルトレーン的な世界も素晴らしい。溢れ出る涙は、驚くほど。

管楽器奏者にとって、一人で和声(複音)を出すというのは、決して叶わぬ夢なんだが、それを真摯に追求して、その結果3本のホーンを一人で吹くという域に達したローランド・カークには本当に恐れ入る。複音のフレーズは一人の人間が吹いているわけだからタイミングはバッチリ。しかもどういうことか、別のメロが吹けたりもしていて、技術的な難易度の難しさは想像できないほどだ。
でもそれは本質ではなく、そこで描かれている音楽が、信じられないほど美しく、優しく、セクシーなのだった。溢れ出る涙、という曲のソロなんて、信じられないほど美しい。

これから、じっくりと聴いていける幸せを感じつつ、とりあえず今までの自分自身の至らなさ、聴きもしないで勝手にイメージだけで決めつける浅薄さを詰りたい。そしてローランド・カーク先生に土下座したい。

 

見出し画像

遠い海の向こうで戦争が始まっていることが苦しくて仕方ない。

 
 
 

第二次世界大戦もしらないし、朝鮮戦争も知らないが、物心ついてからいつも、どこかで戦争や紛争があった。小学生の頃、家の前の大学でデモがあったのも覚えている。
しかし、いつも戦争はどこかの話だという感覚があって、正直に吐露すれば、戦争にリアリティを感じることもなければ、心を痛めることもなかった。

いよいろアラカンとなり、年をとったからだろうか、それともSNSの進展、ウェブで能動的に情報が得られるようになったからだろうか、大国ロシアが直接軍事行動しているからかもしれないし、第三次世界大戦、核戦争が間近になっているからかもしれない。
このウクライナ紛争、戦争は精神的な重圧がすごい。あまりに辛すぎて精神的なバランスを崩してしまいそうだ。人が秘めている狂気、殺意、怒り。

「こんなことが起きるのか」。漫画や小説、映画でしか見たことのないことが起きている。そんななか、普通に仕事していたり、買い物に行ったりできることが不思議な気がしてくる。僕はこの事態の収束のためになにができるのか。それを考える時だけが、正気でいられる気がする。
なにかしたい。