ふるさと納税サイト「ふるなび」

 

こんにちは。Kいっちゃんです。まずは私のライフワークのご報告から。

 

これは、生成AIを活用して「人がまったくプログラミングをせずに開発した」アプリです。それは、私がブログで連載し、開発の過程をご紹介してきたゲームアプリのこと。そのアプリが、このたび無事アップル社の審査を通りリリースすることができました!(^^)b

 

App Storeからダウンロードして遊ぶことができます(無料で遊べます。iPhoneとiPadで遊ぶことができます)。下のURLをクリックするか、App Storeから「イジワル神経衰弱」で検索してダウンロードしてください。

 

生成AIを使えばあなたにもできます。

 

個人でもこんなアプリがつくれることを是非確かめてください。

 

 

では今回の本題へ。

 

Kいっちゃんは寄席が好きです。

 

落語も好きですが寄席はもっと好き。

 

相変わらず何を言っているのか分からない?

 

まぁまぁ(^^)。本日もヨロシクお付き合いください。

 

さて、浅草を訪れたのは2月某日。演芸ホール「昼の部」の途中から「夜の部」の最後までを堪能してきました。

 

お目当ての噺家さんまで時間がありましたのでまずは腹ごしらえを。

 

今日は浅草演芸ホール近くの「天藤(てんとう)」さんの暖簾をくぐりました。

 

ここは100年以上の歴史があるという天ぷら屋さんです。

 

案内されたカウンター席へ。注文したのは「天丼」。待つこと5分。さあ来ました。

 

 

 

まずは、どんぶりからはみ出し、強い自己主張をされている「海老」をほお張ります。

 

甘い天つゆ。ごま油の香ばしさ。匂いが分かりにくい私も、この「ごま油」が「ふわり」と鼻腔をくすぐる感じがいいですね。それから海老の食べ応えときたら、プリップリで大きさにも大満足(と、自分を納得させながら食べ進めます。二千九百円。ブログに載せようと贅沢しちゃったかな)

 

そして「キス」に箸をのばしたところで気づきました(おや、衣が柔らかい)

 

「茄子」ともう一本の「海老」を一旦どんぶりの蓋に移すと、今度は「小柱」と「イカ」のかき揚げが現れます。これも、しっとりとしていて柔らかい(これ、いけるわ)

 

箸が止まらず、どんどん、どんどん食べ進めます。

 

私がどんぶりのご飯を一心不乱に掻き込んでいると、何やら後ろのテーブル席からカタコトの日本語が聞こえてきました。

 

「おいし」、「おいし〜」。チラリと振り返って見ると、外国の方二人がうなずきあって、対面に座っていた日本人と思われる女性も「うんうん」と顔をほころばせ、みんな仲良く私と同じ天丼を食べていました。

 

嬉しい。外国の皆さん、日本に、浅草に来てくれてありがとう。私はこの店の関係者ではありませんが何かだ誇らしい。これからもうまく付き合っていきましょう。(^^)

 

あぁ来てよかった。

 

浅草演芸ホールに入ったのは午後2時半頃。チケットを買う時「立ち見だけどよろしいか?」と聞かれました。全然おっけー。ノープロブレム。ちょうど「二代目 林家 木久蔵」師匠の演目が始まったところでした。

 

噺の「まくら」はお父様の木久扇師匠のご家庭でのあれこれ(木久扇さん元気なんだ)。期待が高まります。


テレビに出演されている方はやはり気になります。

 

昨年は「林家 たい平」師匠、「桂 宮治」師匠、「春風亭 一之輔」師匠、それから講談師の「神田 白山」師匠の噺も聞きました。一之輔師匠と白山師匠は「新宿末廣亭」でもみましたがいずれも満席でしたね。

 

でも満席になるのは多分「テレビに出ている方が出演される時」だけ。「推し活」の観客もおられるようで、お目当ての師匠の出番が終われば、段々と人は帰り空席が目立つようになっていきます。ここにもタイパの波が押し寄せているのでしょう。


さて木久扇師匠の出番が来ました。

 

師匠は昭和12年生まれの88歳。初代笑点メンバとして55年の番組出演をつとめ、これまで5人の司会者を見送ったそうです。

 

この日は「立川 談志」師匠の懐かしい思い出を「とうとう」と語られていました。

 

木久扇師匠によると、談志師匠は落語だけではなく、日本のあらゆる芸事をどうやって残そうかと参議院議員に立候補されました。その考えに共感した噺家が揃って応援されたとか。木久扇師匠自身も選挙カーでマイクを握ったそうです(あの頃はスキャンダラスな報道だけに目が行っていたな)

 

関わったご本人にしか分からない貴重な話でした。木久扇師匠の面白おかしなキャラクターを通して、かの談志師匠がどういう人物だったのか、一般には知られていない一面を見ることができました。

 

さて私、kいっちゃんは落語が好きだと言いました。

 

私が好きなのは「大人の噺家さん」。平たくいうと「ご高齢」の噺家さんのこと(若手の噺家さんも大人ですが、「エイジハラスメント」という言葉がある中で表現が難しく、ここではそう呼びます)

 

その魅力は落ち着き払った姿勢と語り口。若い師匠の張りがあって迷いのない演技もいいですが、やはり「大人の噺家さん」はいい。

 

今日の公演では、たとえば「古今亭 志ん輔」師匠です。

 

火の用心の夜回りのために、番小屋に集まった旦那衆が酒盛りを始めてしまい、そこに役人が現れる「二番煎じ」という噺。酒を呑み、煙草をふかしながらシシ鍋に舌鼓をうつ。それぞれがなんとも味わい深い仕草じゃないですか。町人と、ちょっと偉ぶる小役人との「酒の飲み方の違い」には、当時の庶民の姿が浮かび上がってくるようです。

 

「柳家 小里ん」師匠も良かった。

 

酒を呑まないと約束した親子。父親は息子の留守中につい酒に手を出してしまい、酔っ払って帰ってきた息子とのやり取りが始まります。だらしのない息子を諌めようとするだらしのない父親(親子酒)。こんな二人が、当時どこにでもいたのだろう、と想像をかき立てられます。

 

それから「春風亭 一朝」師匠の枯れた語り口。

 

「言葉を知らない」と思われたくないがために、「おなら」を家宝だと言い張ってしまう和尚さんの「天失気(てんしき)」という噺。桐の箱に入った家宝の「てんしき」を和尚から勧められたお医者の先生が、恐るおそる箱を開ける場面がおかしい。

 

特に私が好きなのは、酒を呑んだり、うどんや蕎麦、団子を食べたりといった食事の場面です。はじめて「舌鼓を打つ」が何か実感したのは寄席でのことでした。

 

以前、若い噺家さんが、蕎麦屋での出来事を話されていました。

 

それは、この噺家さんと、その師匠が近所の蕎麦屋に入った時のこと。師匠は店に入るとお客の多さに落胆します。それはなぜか。答えはお客が「大人の師匠の蕎麦の食べ方」をさりげなく見ているから。

 

江戸での蕎麦は粋な食べものとされています。「つゆ」には「ちょっとつけて」ズバッと飲み込むのが決まりだとか。ところがこの師匠「どっぷりつける」のがお好きなようで、お客に見られていると、思うように「どっぷりと」ができない。

 

この師匠はまるで「落語の世界に住んでいる」ようじゃないですか。

 

威勢を張る人間のやるせなさ。それを表現できる師匠方には憧れますね。

 

また、私、kいっちゃんは落語以上に寄席が好きです。

 

私は、寄席に来るとできるだけ前の席に陣取ります。理由は師匠方の顔がよく見えるから。

 

みなさんは高座の「昇太師匠」や「たい平師匠」が緊張されているとは信じられますか?

 

これはあくまで私の観察による推測ですが、師匠の多くはおそらく緊張してあすこに座っています。間近にいる300人の観客の「視線の圧力」は相当なものなのでしょう。

 

演者が緊張されていることは話し方から分かります。人は緊張すると喋り方が早くなる。自分が緊張していることに気づき、言葉が先へ先へと出て行ってしまいます。

 

そして何も私、kいっちゃんは、そんな師匠たちを意地悪く見つめるために前の席に陣取る訳ではありません。

 

そう。「私は大いに笑う」のです。面白ければ声を出して、多少面白くなくても無理をしてでも笑うのです。すると師匠方はノってきます。ますます、どんどん、乗ってきます。

 

師匠!気づいていましたか?「そのノリ」私のおかげですよー。違うか?違いますね。大変失礼しました。(^^)

 

とにかく私が言いたいのは「観客のみなさん遠慮せずに笑いましょう」です。そうすることで寄席はますます盛り上がり、笑ったご自身に楽しさが返ってきます。

 

「笑わせてみろ」などとは間違っても思いません。それは相手に必ず伝わります。これも演者の近くで見ているからこそ分かること。師匠方は喋りながら観客の表情を一人ひとり冷静に確認しています。

 

たった「3千五百円」で自分がどれだけの事を求めようとしているのか、kいっちゃんは自分のセコさに気づくのでした。

 

噺はネットではなく生で、「今そこにいる」演者の方とこの場を共有したい。

 

そんなわけで、これからもジャンジャン寄席に通おうと思うkいっちゃんなのでした。

 

ふるさと納税サイト「ふるなび」