乱文の長文になります。
12月30日(金)18:00~フジテレビで放送されていた『わ・す・れ・な・い~東日本大震災・命の記録~』を何の気なしに見ていたが、途中で見ていられないくなってしまった。
2011年3月11日におこった、大災害。私の住んでいる関東地方でも体験したことのない激しい揺れだった。瓦が落下したり、数日間のライフラインの寸断はあったが、内陸に住んでいるので津波の被害にはあわずにすんだ。
10月に仙台に旅行に行った際に、被災から半年以上たっている
名取市(閖上)
岩沼市(二の倉・相の釜・仙台空港)
といった 被災地を訪れて被害を目の当たりにしてきた。
基礎だけが残った住宅地の跡・打ち上げられたままの船・1階部分の戸や窓のない家
そして、偶然その時に、同じ場所を訪れていた人々。
ある一軒の基礎だけしかない家の前で線香を手向けていた県外ナンバーの車で来ていた女性。(友だちの家だったのか?親戚か?実家か?)
知人と住宅地だった場所を歩きながら、精一杯状況を伝えている人。
テレビの映像を見ているうちにその時の光景を思い出してしまった。
それと同時に、この時の気持ちを忘れないように自分で書いた詩。
それがとってもうすっぺらいものに感じてしまった。ただの記号の羅列だよ。
やっぱり、言葉で伝えるには限界があるようだ。映像には勝てない。
どんなに、実際に見てきても言葉に置き換えることで、真実ではなくなってしまう気がする。
今回の震災で忠実な現在(いま)を未来(あした)に伝えていくことが必要だと感じた。
壊れたものは、もとには戻らない。直したものは似て非なるものだ。と思う。
現在からの変化を未来に伝えていくことが現在を生きている者たちの責務だと思う。
そんことを感じた年末でした。