父が危篤状態に陥り3日経ちます。

僕は体が弱いので日中は病室にいて夜は帰っていますが、姉と母は交代で夜も付き添っています。
発熱や痛み・呼吸不全など色々な症状で日に日に弱っていき、食事も水分もとれず、意識も飛び飛び。
僕らに出来ることは、もうなるべくそばについていることだけ。

そんな朧気な意識の最中であっても、「ご苦労ちゃん」「飯食ったか?」「(疲れてるだろうから)早く帰れ」と僕らを気遣う言葉を発しようとする父に、もう涙しか出ない・・・。。。
父が今朝、意識混濁と呼吸不全を来し、救急車で病院へ運ばれました。
パルスオキシメーターの値が95以上が正常なところ80近く、酸素吸入でようやっと90までいきました。

医師によると、がん細胞が全身に無尽蔵に広がり、肝臓や腎臓の機能も失われてしまい、多臓器不全の状態だとのことで。
今週くらいまでで・・・・・・か、もしステロイド剤が奏功すればもう少し保つか・・・あるいは。。。

この状況にあっても、母は涙をみせません。
父が不安がるといけないから、脆い人だから、ときっと必死でこらえているのでしょう。
だから僕らも最後の最後まで、父に笑顔で接しようと決めました。

父の病状が日増しに悪くなってきています。

木曜日に検査が待っているのですが、それも乗り切れないのではないかと思ってしまうくらいの弱りようで、だからといって母も僕も姉も、すぐに受診させようともしない。病院へ連れて行くのが負担になり、連れて行ったら疲れてそのまま…とならないか心配なのです(家族の対応としては正しくないと思いますが…)


現状では悪液質で腹水が溜まり、食事もわずかしか取れていない状況です。介助があれば自力でトイレや入浴はできますが、前のように家事をしたり料理をつくってくれることは困難で、眠りこけるようになりました。


僕は積極的な介入やケアをすべきだ、と考えて父にあれこれやる方ですが、母は父に寄り添って、父から何かしてほしいと言われない限りは何もしない方でそばにつくのみです。どちらが正解か、は言えないのですが、これまでの経過を考えると僕は先走りすぎ、母(父も)はこれ以上は危険な事態になるまで何も手を打たず我慢し続けるタイプ。

父にとって、やれるうちにやれることをにやってみるのがいいのか、かえって自然に任せ寂しがらないように寄り添うのがいいのか、もしこれが終わったら、どちらに転んでいても後悔する気がします…。「あんなことをやらなければ」「あのときこうしていれば…」という具合に。


僕が勉強したなかで、現状の父に出来る医療は、針を刺して腹水を抜くこと(それでも2日も経てば元に戻ってしまう)や、ステロイドを大量投与し一時的に食欲増進や倦怠感の改善をさせるか、という方法です。

しかし、腹水穿刺は外科的な処置でもある上に血圧低下なども招き、それが引き金で急変する恐れもあるように思えたり、ステロイドの大量投与は、一時的な改善は見込めるものの今度はステロイドの副作用(感染や消化管潰瘍など)で最終的に命を落とすかもしれない、というどちらも諸刃の選択肢です。


担当医の先生がどう考えているか、実際のところ父には本当にそのふたつしかないのかはまだわかりません。もし抗がん剤やアルブミン点滴・栄養療法などでまだ改善が見込めるのであれば、それにすがりたい。。。

でも、本当にそのふたつしかないのなら、僕ら家族は選択に非常に苦しむことになります。

「あんなことやらなければ」「あのときこうしていれば」

しかし、これって結果論からくる苦悩であって、そのとき正確な予測なんて誰にも出来ないし、どちらにしても誰も悪くはないはずなんですよね。

悪意をもってよくない選択をさせようって意図があれば話は別ですが、少なくとも僕も母も父のことをよくなってほしい、という思いで行動を決めようとしている。どちらに転んでも、ならせめてその時納得した方向を進めばいい、そう整理をつけようと思います。


また、末期がんの患者さんの余命予測は難しく、目安になる値や兆候は科学的にあるのだそうですが、余命3か月の方が1か月経たずで亡くなったり、4か月を超えて頑張ったり、また突然の事態になることも、多々あるのだとか。

このため、僕らは(特に姉は)どの時点で仕事を休むか・何かあった際に駆けつけられるのか、とても苦しむことになります。僕は職場の理解があるのでまだいいものの、姉は多忙で仕事終わりも遅く、また人間関係でつらかったり理解がないこともあり、現在でも苦しいのにこれからは…考えている僕が参ってしまいそうなくらい。

母にいたってはずっと父に寄り添って人生を生きてきたので、父を失ったとき、母が悲痛になるのを僕はどれだけ見ていられないか…。病気になったり気持ちが落ち込んでどうなってしまうか、ふと頭をよぎる度に僕が今からもう悲痛です。


色々やってくれた父ではあるのですが、家族にはちゃんと愛情を注いでくれ、ずっと家族の中心であったことに間違いない分、これだけ胸が痛い。しかし、それは父への愛の裏返しであることも思うと、父が僕らにとってどれだけ大切か・誇らしかったかの証拠でもあるのです。