実は本能寺変がなければ、大変なことになっていたのです。


実は荒木村重の兵が高野山金剛峯寺にいたからです。

なぜ大変なことかというと、高野山金剛峯寺は空海が建てた寺だからです。それとともに信長が、比叡山延暦寺を焼いてしまったので高野山金剛峯寺が比叡山延暦寺と同じくらいの規模だからです。



あと、これは諸説ありますが実は信長は中国をねらっていてしかも天皇を追放してまで日本の国王になろうとしていたのです。


せっかくなので、高野山について触れたいと思います。



僕の名でもある真田幸村はじつは高野山の一角の九度山というところに謹慎処分をうけていました。なぜなら、1600年の天下分け目の関ヶ原の戦いに徳川方として参加しなかったからです。(三成方でもない)

このぐらいにしておきましょう。  




               以上真田幸村の歴史講座でした。




                 

源義経は知っていますね?

平家を一の谷から屋島それから壇ノ浦に追い詰めた源氏の大将です。

しかし、義経が朝廷から検非違使(今の裁判官?的な役割)を兄頼朝に無断でもらったということで、頼朝から追われることになりました。

なので、義経はもともと住んでいた奥州平泉の藤原氏を頼ることにしました。

そうしたら、結局頼朝にばれてしまい、頼朝が義経をだせと言われましたが、藤原氏は渡さずに義経をせめてころしました。

結局、藤原氏も頼朝にせめられてほろびました。

しかし、うえの説のほかにも義経がフビライハンになったという説や、義経が幕府を開いたなどいろいろと説はあるそうです。



                      以上真田幸村の歴史講座でした。

長篠の戦いで織田信長が鉄砲を使って武田勝頼に勝った戦いをみなさんは知っていますよね?

しかし、その織田信長が初めてだと思っているあなた!!

まちがってますよ!

実はいまの、和歌山県あたりに雑賀党というそういう武士?の集まりがあってその人たちが初めて鉄砲で3段撃ちをおこなったとされていたのです。

その、3段撃ちをみた織田信長がまねしたと伝えられています。 

                                


                        以上真田幸村の歴史講座でした。