オーストラリアに来て2年が経って感じたこと

社会的側面

僕はオーストラリアに来て2年の月日が経ち感じたことを率直に書いていきたいとふと思った。

文化、経済、社会とその場の環境を取り巻く大きな3つの要因に分け、今回は社会的な側面で感じたことを書いていきたいと感じる。

 

人間関係

まず社会についてだが、人間関係の重要性が大きく関与してくると感じる。日本では現在一人カラオケや一人焼肉などが流行っているが、オーストラリアで一人で行動している人は用事の行き帰りの時以外にはほとんど見かけない。それぐらい日本は排他的なコミュニティの形成の仕方をすると考えられる。これは日本が異質なのだろうと最近考えている。これは日本ほど一人で生きていける豊かな国はないのであろうと考える。これは人間関係というのはだれしも面倒なことが付き物ではあるが、オーストラリアでは、それをしなければいけない事情が多く混在しているように思う。住居、仕事、ステータス、恋愛、このような領域で人間関係は大きく関与してくる。恋愛を例に出すとすると、オーストラリアの恋愛は日本よりもはるかに原始的な恋愛を行っているように感じる。容姿で言えば肉体的に大きく、筋肉質で、守ってくれる物質的な包容力を兼ね備えており、そしてなおかつ周りの人からも好かれている人が恋愛的にモテている。これは当たり前のことかもしれないが、日本のような顔面だけのルッキズムではない。さらにはオーストラリアではグループデートや彼氏と彼氏の友達と彼女の3人の構造を目にする機会が非常に多い。これは人間関係としても自分以外の人にも良好な人間関係を築けるかどうかを見ていると推測できる。つまりはこういったところでも人間関係の良好さが大きく影響してくるのだ。全体的に日本よりもはるかに人間性を求められるため、その点で仕事につきやすいかどうか、恋愛市場で上に行けるのかどうかが決まってくるので、貧富の格差は非常に大きいと感じる。

 

 

コミュニケーションの取り方

次にコミュニケーションの取り方について書いていこうと思う。これは日本と大きな違いはない。先ほども言った通り横のつながりが大事であるためにチャットをする機会は多いだろう。対面コミュニケーションに関しても食やビールを通して行うためそこまで大きな違いはない。大きな違いとしたらコミュニケーションをよくとるといったとこだろう。感謝を伝えられることは非常に多い。思ったことを口に出すのがこちらの文化として非常にしみついているのだろう。一方で言いすぎて口論になるような場面もあるがいい点悪い点あるのかもしれないが、日本よりも深い人間関係を構築する必要があるオーストラリアでは大事なのだろうと感じる。そもそもオーストラリアの人口は2720万人程度で日本の5分の1程度、さらには各都市で分ければ500万人になる。オーストラリアに来て感じることは非常にスモールワールドであるということ。都会だが田舎のようなつながりがある。人口密度で言えば世界193か国中世界192であり、一人一人の重要性がいかに高いかもわかるだろう。人間関係というものに対して損得勘定という言葉をあまり使いたくはないが、実際のところ損得勘定がなければ大人になってから、人は面倒な人間関係を乗り越えてまで人と仲良くなろうとはしないだろう。これは恋愛でも言えることだ。メリットデメリットの話だけではなく、ギブアンドテイクでいわゆるテイカーになってしまう場合はこちらで人間関係をうまくすることは非常に難しいだろう。よく日本人や英語を話せない人が英語を話せる人を募集しているがあれはれっきとしたテイカーになってしまうが故、その人にとって自分が何ができるのかを考える必要性がある。つまりこちらでは何か自分がギブとして与えられるもの、例えば知識、スポーツの技術、文化の話、政治の話など自分がギブできるもの、これはその人柄がよければいい所にいる人を楽しくさせることができるとしたらそれもギブの一種だろう。つまり、オーストラリアにきて知らないことが多い中、そして実力的に不利な状況でどのように自分が他人に対して付加価値を与えることができるのかを考えることの重要性を感じた。