分譲マンション情報誌の紙面に大きな変化が現れている。以前は紹介物件の完成予想CGパース図ばかりだったのに、最近は竣工写真がとても多い。竣工前に完売する物件が減り、完成在庫が多くなっているということだろう。でも、住宅は一生に一度の大きな買い物なのだから、実物をきちんと見て購入するという本来の姿に戻ったと考えれば、それはそれでいいように思う。
その一方で、一部の週刊誌や新聞には、「分譲マンション暴落」、「不動産不況突入」というエキセントリックな見出しが飛び交っている。新築分譲マンションの供給戸数は減少し、在庫物件数は増え続け、確かに不動産業界は厳しい時代をむかえようとしている。でも、以前からその傾向はあったし、昨年来の建築費の高騰と不動産マーケット状況を考えれば、おそらく不動産業界の誰もが予想していたに違いない。重要なことは、この状況をどう読み、それをいかに新たな住まいづくりにつなげていくかだろう。
いまの不動産市況を、単純な好景気、不景気という視点からだけではとらえきれない。いわゆるグローバリゼーションのなかで、日々報道される世界経済の動向に加え、待ったなしの地球環境危機がその背景にあるからだ。結局は、私たちのいまの暮らし方に直結していて、その上でこれからの分譲マンションのあるべき姿を問い、考えていくべきだろう。
たとえば、いま都内を走る自動車が減っていて、渋滞が緩和されているという。タクシーの運転手さんが実感をこめてそう言っているから確かだろう。もちろん、ガソリンの高騰の影響である。郊外ファミリーレストランや大型量販店の駐車場に空きが目立ち、温泉旅館へのドライブ旅行者も減っているらしい。
でも、地球環境のことだけを考えれば、それは喜ばしいことに違いない。私たちは、日々の生活の中で、公共の交通機関をなるべく利用して必要以上に車を乗り回さなければいいだけのことである。今回のガソリンの高騰は、そんな当たり前のことをあらためて私たちに気付かせてくれた。
食料危機問題も、しかりだ。地球全体を見渡せば、飢餓と貧困にあえぐ国もあれば飽食に明け暮れる国もあり、人類はもろく危ういバランスの中で生存している。食料自給率が低い現代日本で飽食に生きる私たちは、「砂上の楼閣」の上にいることを忘れてはいまいか。
たとえば、毎朝テレビのワイドショーをにぎわす食料品の表示偽造事件だ。うなぎも牛肉も鶏肉も、暴利を求めず「うそ」をつかなければいいだけのことである。それは、人間の食料となったすべての生き物への冒とく以外のなにものでもない。また、形の悪い野菜は捨てられ、コンビニの売れ残り食品は捨てられ、その量たるや膨大なものだという。
そうした不自然を不自然と思わないほうが不自然である。いまや、それを市場経済や流通機構だけの問題にしていたら、現代日本を支えているエネルギーや食料の「砂上の楼閣」は、あっという間に崩れ去るだろう。
問題のすべては、「商品」の実態や現実の姿を見ようとしないブランド志向の強い消費者側にある。そう考えるべきだろう。「商品」は消費者に購入され始めて「商品」になり、「商品」を「商品」たらしめているのは私たち消費者自身だからだ。
分譲マンションも「商品」である。しかも、あらゆる「商品」を消費する生活の拠点である。分譲マンションは、ここ十数年大量供給され続け、住まいとしての性能も向上し続けてきた。しかし、いつの間にか分譲マンションは、住まい手の回りにあふれかえる耐久消費財の中に紛れ込んでしまったかのように思えてならない。供給側も住まい手も、分譲マンションを耐久消費財のような感覚で売買してはいまいか。
確固たる不動産として、さらに価値ある社会資産としての分譲マンションこそが、いまの不動産市況に求められている。それを、スクラップ・アンド・ビルド、あるいは使い捨て文化から脱却した新しいタイプの都市型住居といってもいい。それは、消費者である住まい手が、住まいから不要な耐久消費財を一掃することから浮上してくるだろう。
自分の家の中をあらためて見回してほしい、家の中に不要なモノがはんらんしてはいまいか。自分にとって、本当に必要なモノはそれほど多くはないはずである。それは、たわいのないことかもしれない。でも、消費者である住まい手が自らの暮らしのありようを見直すことが、いま一番求められている。そうすれば、「商品」としての分譲マンションのありようもおのずと変わるはずだ。
そして、価値ある社会資産としての分譲マンションづくりへの手掛かりとなり、厳しい不動産市況を乗り越える第一歩にもなるに違いない。それは、悲鳴をあげている地球からの要請だといったら、いい過ぎだろうか。
出典:朝日新聞