前回投稿から、かなり時間が経ってしまいました。実際、とりたてて書くような話題もなかったので、思い立って今回ブログを書いています。
さて、最近疑問に思ったことなのですが、生徒に文法問題の指導と読解問題の指導を並行してしていた時のこと。文法問題の時に、パターン化をしたがっていた。例えばこの単語が来たら絶対にこれみたいなやつ。このとき使っていた問題集は、飯田先生の問題集(https://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E6%96%87%E6%B3%95%E5%9F%BA%E6%9C%AC300%E9%81%B8%E2%80%95%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E5%8E%9F%E7%90%86%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%82%93%E3%81%A7%E7%A3%90%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%BF%9C%E7%94%A8%E5%8A%9B%E3%82%92%E8%BA%AB%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B-%E9%A7%BF%E5%8F%B0%E5%8F%97%E9%A8%93%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E9%A3%AF%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%A4%AB/dp/4796110828)。
以前紹介した通り、飯田先生は根本原理を大事にされる方である。その考えが反映されていて、掲載されている問題の中には、単に暗記している生徒がひっかかりやすい問題というのがところどころにあるような参考書である。
確かに多義語や多機能語というものが存在していて、それを覚えるのは大変なことである。
つまり、なにが必要かというと文構造を理解することである。
最近、大学の研究で、文型を再分析していて、文構造を理解する大切さというのが、身に染みてわかる。はっきり言って、空欄を埋める問題や、並び替えの問題というのは、慣れればできるものであると思う。しかし、その”慣れる”という過程において、やみくもに慣れるか、文構造に基づく分析(少し言葉は堅いが…)をするかで、慣れる速度は変わってくるだろう。
やみくもに慣れる場合でも、とてつもない量の英語に触れることができる環境(英語圏、留学生や外国人だらけの場所)にいれば、話は違うが、基本的には高校生は、そのような環境にいることが極めて稀である。
ちなみに、ある程度の年齢から、言語を習得するには、文法の理解が必要であるとされている。その限度は、だいたい小学生ぐらいとされている。つまり、習得するかは別として、高校生が英語を学習する際には、文法の理解が必須となる。
このような言い方をすると、某NステージやUグレード、Sランブルのような”文法書”と呼ばれる、文法問題集を完璧にすればよいと考える高校生がほとんどだ。本当の意味での”文法書”とは、高校生レベルで言えば、Forestやロイヤル英文法のようなもので、分からない時にその原理を調べられるもののことを言う。はっきり言って、ここを履き違えている人が多い。ここで”人”としたのは、それが生徒に限った話ではないからだ。
まず、この誤解を解くのに、最低4コマはかかる。質問対応のような授業では、確実にこの手法は使えない。あと、文構造に関することを教えられない人が力を持っているような環境においても、使うことができない。時間がかかるということは、結果がでる速度が極めて遅い。
その点個別指導だと、その生徒に合わない場合を除き、文構造の訓練を積ませることができる。実際問題、有名私立(MARCH、関関同立レベルぐらい)になると、文構造の理解は、できるに越したことはないし、旧帝大レベルになると、必須になってくるだろう。
ただ、一つ問題があって、文構造の訓練は時間がかかるので、集団授業でする際には、工夫をする必要がある。
長々と書きましたが、結論としては、現在主流となっている音読至上主義やアクティブラーニングは私としては大歓迎である。しかし、そこに文構造の訓練を加えることでさらに英語教育はよくなっていくのではないかと思う。