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(高名の木登りは木から降りるときに注意する)
ついに下り坂、当然だが下り坂では体重がスピードに比例する。だから、体を小さくして抵抗を減らして今までのロスを挽回するのだ。
でも濡れた路面、ここですでに60キロ近いスピードだ。でもさすがyoko号はブレーキもロックせずに下っていくのであった。顔にうちつける雨か霧かわからない水滴が心地よい。一気に20人ほどごぼう抜きだ。
周囲は一面の霧、標高が下がるにつれてそれは足元にまとわりつきながらきえてゆく。速い、速い、ついに70キロ、でもスキー部出身の僕は下り坂でのスピードは結構平気なのであった。スキーのダウンヒルで110キロ出したこともあったのだ。(おりゃー、素人どもどけどけ)ってどっちが素人だ。
そろそろ下り坂も終わりにさしかかる。前方で声がする(あぶないよー、こけるよー)地元の人が走りながら声をかけてくる。見ると前方にはかなりの左カーブ直角に近いか・・。ここは危険なポイントらしい。その瞬間にバランスを崩す前の選手が見えた。完全に吹っ飛ばされる、しかも右手をついて転んでいる。(あーっ、あれじゃ鎖骨じゃすまないだろう)うずくまる彼のワキにフルブレーキでカーブに進入
何とか体をかた向けて通過する。
また他人を踏み台にして生き残ってしまった。ここでまた海辺の道に戻ってくる、あと6,7キロでランへのトランジット。何人に抜かれたかなあ。ただバイクは最後のランのため足は使わないようにしていた。もうどうでもいい。何とか完走しよう・・・・。前方にはすでにランに移行している選手がみえた。
(ここで降りて)係員の声がする。ここで降りなければいけない印の白線が引いてあった。予想外バイクも予定より早く完走だ。バイクから何とか降車、ペダルのビンディングも何とかはずれた。トランジットエリアでは水泳の時とは一変みんな僕のようなのんびりムードの人たちだ。
(そうだこの人たちと一緒にゆっくりゴールしよう)あとでわかった事だが、400人近くに追い抜かれていた。いよいよナイキのシューズに履き替え帽子をかぶりサングラスを拭いてランのスタート。多少股関節はがたがたいうが、太股が元気なだけ何とか歩かずに走り始めることができた。
ところがやはり体温の上昇が半端ではない。あっという間にゆでだこ状態、いかんせん湿度が高すぎる。最初の2キロ前にすでにアップアップになってしまった。もう少し発汗できれば何とかなるのに・・・。
1キロごとの給水所ではすべて水をもらって頭からかける状態、ぼーっとする意識もそれで少し回復する。あとは意地だ。沿道ではこの雨の中、島の人があるグループはハイタッチで、途中の集会所では走ってくるこちらのゼッケンを前もって確認して、通過に合わせて名前を読み上げて応援してくれる。人に応援されて走ることがここまで勇気づけられるとは思わなかった。
3キロを過ぎる頃からは体に明らかに変化が起こってきた。
(終わりははじまりのはじまり)
ランナーズハイという言葉がある。長距離走者がレースの途中ラリってしまうことを総じてよぶ。これは脳内覚醒物質が分泌するだのいろいろと説があるが、僕は以前から低酸素血症か高炭酸ガス血症がもたらすものではないかと思っていた。血液中の二酸化炭素濃度があがれば眠気が起きてくる、これが走るということと相乗効果(コラボとか変な言葉は使わないようにしましょう)を起こせばかなり涎だらだら状態になると予想していた。
それは事実だった、4キロくらいから気がつくと1キロ2キロとあっというまにチェックポイントがやってくる。気がつくとあと2キロ、入賞間近のf-1レーサーならピットから(easy)というサインが出てもいい頃だろう。
あれほど抜きつ抜かれつしていたのはなんだったのか、ゴール近くになると実力が同じくらいの選手が等距離をたもって走っている感じだ。
雨は相変わらずしとしとからだをうちつける。風は凪いできたがやはり向かい風だ。もう市街地なので地元の人が傘もささずに応援してくれる。周りにもそろそろ応援していた家族などと一緒に走り出す人もいる。
つくづく思った。タイムを計られて走るなんて20年ぶりだ。トレーニングっぽいことをしたのは10年ぶりだ。でもスタートしてからゴールまで誰かに見守られて泳いだり、こいだり、走ったりしたのは初めてだった。
スタート地点の港がそこまでやってきた。
確かにそこにはゴールラインらしきゲートがあった。
役員やボランティアの人が最大限のもてなしでひとりひとりを拍手しながら待っていてくれる。
どうしようかなと思ったが、サングラスとキャップをはずして、そのラインは時計を見ながらゆっくりと通過した。
でもその瞬間にまた何かがはじまるような気がした。そして1番目の愛人がそこにはいないことに気づいた。 さがしにいかなくちゃ
(もしかしたら、ドラマのようにシーズン2があるんじゃないか ?)
Das Ende 2007年10月記
ついに下り坂、当然だが下り坂では体重がスピードに比例する。だから、体を小さくして抵抗を減らして今までのロスを挽回するのだ。
でも濡れた路面、ここですでに60キロ近いスピードだ。でもさすがyoko号はブレーキもロックせずに下っていくのであった。顔にうちつける雨か霧かわからない水滴が心地よい。一気に20人ほどごぼう抜きだ。
周囲は一面の霧、標高が下がるにつれてそれは足元にまとわりつきながらきえてゆく。速い、速い、ついに70キロ、でもスキー部出身の僕は下り坂でのスピードは結構平気なのであった。スキーのダウンヒルで110キロ出したこともあったのだ。(おりゃー、素人どもどけどけ)ってどっちが素人だ。
そろそろ下り坂も終わりにさしかかる。前方で声がする(あぶないよー、こけるよー)地元の人が走りながら声をかけてくる。見ると前方にはかなりの左カーブ直角に近いか・・。ここは危険なポイントらしい。その瞬間にバランスを崩す前の選手が見えた。完全に吹っ飛ばされる、しかも右手をついて転んでいる。(あーっ、あれじゃ鎖骨じゃすまないだろう)うずくまる彼のワキにフルブレーキでカーブに進入
何とか体をかた向けて通過する。
また他人を踏み台にして生き残ってしまった。ここでまた海辺の道に戻ってくる、あと6,7キロでランへのトランジット。何人に抜かれたかなあ。ただバイクは最後のランのため足は使わないようにしていた。もうどうでもいい。何とか完走しよう・・・・。前方にはすでにランに移行している選手がみえた。
(ここで降りて)係員の声がする。ここで降りなければいけない印の白線が引いてあった。予想外バイクも予定より早く完走だ。バイクから何とか降車、ペダルのビンディングも何とかはずれた。トランジットエリアでは水泳の時とは一変みんな僕のようなのんびりムードの人たちだ。
(そうだこの人たちと一緒にゆっくりゴールしよう)あとでわかった事だが、400人近くに追い抜かれていた。いよいよナイキのシューズに履き替え帽子をかぶりサングラスを拭いてランのスタート。多少股関節はがたがたいうが、太股が元気なだけ何とか歩かずに走り始めることができた。
ところがやはり体温の上昇が半端ではない。あっという間にゆでだこ状態、いかんせん湿度が高すぎる。最初の2キロ前にすでにアップアップになってしまった。もう少し発汗できれば何とかなるのに・・・。
1キロごとの給水所ではすべて水をもらって頭からかける状態、ぼーっとする意識もそれで少し回復する。あとは意地だ。沿道ではこの雨の中、島の人があるグループはハイタッチで、途中の集会所では走ってくるこちらのゼッケンを前もって確認して、通過に合わせて名前を読み上げて応援してくれる。人に応援されて走ることがここまで勇気づけられるとは思わなかった。
3キロを過ぎる頃からは体に明らかに変化が起こってきた。
(終わりははじまりのはじまり)
ランナーズハイという言葉がある。長距離走者がレースの途中ラリってしまうことを総じてよぶ。これは脳内覚醒物質が分泌するだのいろいろと説があるが、僕は以前から低酸素血症か高炭酸ガス血症がもたらすものではないかと思っていた。血液中の二酸化炭素濃度があがれば眠気が起きてくる、これが走るということと相乗効果(コラボとか変な言葉は使わないようにしましょう)を起こせばかなり涎だらだら状態になると予想していた。
それは事実だった、4キロくらいから気がつくと1キロ2キロとあっというまにチェックポイントがやってくる。気がつくとあと2キロ、入賞間近のf-1レーサーならピットから(easy)というサインが出てもいい頃だろう。
あれほど抜きつ抜かれつしていたのはなんだったのか、ゴール近くになると実力が同じくらいの選手が等距離をたもって走っている感じだ。
雨は相変わらずしとしとからだをうちつける。風は凪いできたがやはり向かい風だ。もう市街地なので地元の人が傘もささずに応援してくれる。周りにもそろそろ応援していた家族などと一緒に走り出す人もいる。
つくづく思った。タイムを計られて走るなんて20年ぶりだ。トレーニングっぽいことをしたのは10年ぶりだ。でもスタートしてからゴールまで誰かに見守られて泳いだり、こいだり、走ったりしたのは初めてだった。
スタート地点の港がそこまでやってきた。
確かにそこにはゴールラインらしきゲートがあった。
役員やボランティアの人が最大限のもてなしでひとりひとりを拍手しながら待っていてくれる。
どうしようかなと思ったが、サングラスとキャップをはずして、そのラインは時計を見ながらゆっくりと通過した。
でもその瞬間にまた何かがはじまるような気がした。そして1番目の愛人がそこにはいないことに気づいた。 さがしにいかなくちゃ
(もしかしたら、ドラマのようにシーズン2があるんじゃないか ?)
Das Ende 2007年10月記
港湾内の駐車場がバイクへの乗り換えエリアだ。首の骨をぽきぽき鳴らしながら、(わきの下がすれていたいなあ)とか思いながら、みんななんかクリーム塗ってたのはこのワキずれ予防だったのと気づきなるほどなあとか思ったりしていた。
水泳は何度か1500メートルを泳いでいたので、スポーツクラブで前後の体重を量り、750gほど脱水することをつかんでいた。(この量をしっかり補給すべきなんだ、これがポイントだろ)とまたしたり顔。
うちの配偶者が死ぬほど化粧品を買っておまけでもらったローヤルゼリー入りのドリンクを750cc準備しておいた。自分の自転車をおいた場所の下にボトルに入れておいておいたのだが折からの雨のせいかこころなしか増えているような気がする。
僕は一仕事終わってまあ一休みというような感じで、すわりこんでいたのだが、相変わらず周りはあわただしい。せわしなく着替えて水をくわえながら自転車を転がしていく。
take it easy・・・とかいいながら水を飲む。おかしい水をほしがってないのだ。なぜか飲みたくない。なぜだ??
やっぱり何か体に異変があるのか。
とぼとぼと自転車を転がして丘の上の河童がレースに復帰。7分間着替えと水分補給と休息に当ててしまった。(他の人は1,2分)
気温24度、湿度100%、雨、水温の低さとともにこの気象条件が計画をおおいに狂わせていくこととなる。
雨はあいかわらず降ったりやんだり,ついに湿度は100%という表示にかわった.気温24度,逆にもう少し気温が高い方が湿度が下がって楽になるはずだ.
バイクに乗ってよろよろと走り出す.この頃からは後ろから抜かれ放題,何しろスイムで飛ばしまくってるのでマラソン大会で最初の学校内一周で力尽きてるお調子者の子供状態.みんな速いなあ,と思っても仕方がない,ここから先は未知の世界,オーバーペースは禁物だ.
それでも時速20キロ以上はゆうにでているが,路面は雨ですべりそう.何しろyoko号と雨中のデートははじめてなのだ.(普段雨の日乗らないから)泥よけもついてないので路面の水が背中にタイヤの跡どうりにまっすぐにはねてくる.
まわりにも自転車からはがれ落ちたゼッケンのシールだとか,紙コップだとかが散乱し,時折,横風が雨と一緒にびゅーっと吹いてくる.(こけないようにいこう)これだけが合言葉になった.
もう一つ困ったことがあった,何しろ汗をかかない,湿度が高すぎて蒸発できないのだ.普段サウナで隣の人にぎょっとされるくらい汗かきの僕は,体内にこもる熱と戦い始めた.ジャージの前を開け少しでも熱を逃がそうとする,風はわざと受けるようにしてみた.(そうか水が飲めなかったのではなくて汗をかいてないんだ)スイムの時からの謎が解けたが時すでに遅し,余分な水分は腎臓でろ過され膀胱に貯まり始めていた.
10キロが過ぎる,もう無理はしないでおこう.ペースダウンも積極的にやってみる.(なんだこいつ)というような感じで追い抜いていくほかの選手たち,でもそれにはある明確な理由もあるのだった.
ほぼ島を一周するバイクのコースはこれからあるイベントを迎えるのだ,(山登り)これがある限り大腿四頭筋は温存しておかなければならない.そうだ,無理はできないのだ.
坂を登るときに必要な力は(mgsinθ)という数値で表される。mは体重、gは引力、θは坂の角度、sin(正弦関数)は90度が最大だから、どうでもいいけどさかををのぼるつらさは体重に比例するって事だ。
よたよたと坂を登っていく、両サイドは牧場、折からの雨は霧にかわり草を食べてる牛たちが何かの使いのように見えてきた。
(馬っていうどうぶつはいつも人ををじっと見るけど、石垣牛さん、なんでこっちをみてるの、牛は黙々草を食べるもんだろう)
(誰も教えてくれないだろうけど、あんたもうすぐ肉になるんだよ・・・、そうだよ俺は自転車乗ってるよ、なんでそんな苦しそうなのっていう目で見るなよ)
もう半分ラリってるみたいだ。
もう終わりだと思った登り坂は、ちょっとの平らな部分があるだけでさらに続くのであった。
やまない雨もないだろう。明けない夜もないだろう・・・。だから終わらない坂道もないはずなんだ・・。
この登り坂は何か別のゴールに向かっているのじゃないか。
サインθは限りなく1に近づいていくような気がするのであった。 2007年9月記
水泳は何度か1500メートルを泳いでいたので、スポーツクラブで前後の体重を量り、750gほど脱水することをつかんでいた。(この量をしっかり補給すべきなんだ、これがポイントだろ)とまたしたり顔。
うちの配偶者が死ぬほど化粧品を買っておまけでもらったローヤルゼリー入りのドリンクを750cc準備しておいた。自分の自転車をおいた場所の下にボトルに入れておいておいたのだが折からの雨のせいかこころなしか増えているような気がする。
僕は一仕事終わってまあ一休みというような感じで、すわりこんでいたのだが、相変わらず周りはあわただしい。せわしなく着替えて水をくわえながら自転車を転がしていく。
take it easy・・・とかいいながら水を飲む。おかしい水をほしがってないのだ。なぜか飲みたくない。なぜだ??
やっぱり何か体に異変があるのか。
とぼとぼと自転車を転がして丘の上の河童がレースに復帰。7分間着替えと水分補給と休息に当ててしまった。(他の人は1,2分)
気温24度、湿度100%、雨、水温の低さとともにこの気象条件が計画をおおいに狂わせていくこととなる。
雨はあいかわらず降ったりやんだり,ついに湿度は100%という表示にかわった.気温24度,逆にもう少し気温が高い方が湿度が下がって楽になるはずだ.
バイクに乗ってよろよろと走り出す.この頃からは後ろから抜かれ放題,何しろスイムで飛ばしまくってるのでマラソン大会で最初の学校内一周で力尽きてるお調子者の子供状態.みんな速いなあ,と思っても仕方がない,ここから先は未知の世界,オーバーペースは禁物だ.
それでも時速20キロ以上はゆうにでているが,路面は雨ですべりそう.何しろyoko号と雨中のデートははじめてなのだ.(普段雨の日乗らないから)泥よけもついてないので路面の水が背中にタイヤの跡どうりにまっすぐにはねてくる.
まわりにも自転車からはがれ落ちたゼッケンのシールだとか,紙コップだとかが散乱し,時折,横風が雨と一緒にびゅーっと吹いてくる.(こけないようにいこう)これだけが合言葉になった.
もう一つ困ったことがあった,何しろ汗をかかない,湿度が高すぎて蒸発できないのだ.普段サウナで隣の人にぎょっとされるくらい汗かきの僕は,体内にこもる熱と戦い始めた.ジャージの前を開け少しでも熱を逃がそうとする,風はわざと受けるようにしてみた.(そうか水が飲めなかったのではなくて汗をかいてないんだ)スイムの時からの謎が解けたが時すでに遅し,余分な水分は腎臓でろ過され膀胱に貯まり始めていた.
10キロが過ぎる,もう無理はしないでおこう.ペースダウンも積極的にやってみる.(なんだこいつ)というような感じで追い抜いていくほかの選手たち,でもそれにはある明確な理由もあるのだった.
ほぼ島を一周するバイクのコースはこれからあるイベントを迎えるのだ,(山登り)これがある限り大腿四頭筋は温存しておかなければならない.そうだ,無理はできないのだ.
坂を登るときに必要な力は(mgsinθ)という数値で表される。mは体重、gは引力、θは坂の角度、sin(正弦関数)は90度が最大だから、どうでもいいけどさかををのぼるつらさは体重に比例するって事だ。
よたよたと坂を登っていく、両サイドは牧場、折からの雨は霧にかわり草を食べてる牛たちが何かの使いのように見えてきた。
(馬っていうどうぶつはいつも人ををじっと見るけど、石垣牛さん、なんでこっちをみてるの、牛は黙々草を食べるもんだろう)
(誰も教えてくれないだろうけど、あんたもうすぐ肉になるんだよ・・・、そうだよ俺は自転車乗ってるよ、なんでそんな苦しそうなのっていう目で見るなよ)
もう半分ラリってるみたいだ。
もう終わりだと思った登り坂は、ちょっとの平らな部分があるだけでさらに続くのであった。
やまない雨もないだろう。明けない夜もないだろう・・・。だから終わらない坂道もないはずなんだ・・。
この登り坂は何か別のゴールに向かっているのじゃないか。
サインθは限りなく1に近づいていくような気がするのであった。 2007年9月記