こんばんは。
ケイです。
投稿2回目は僕の最初のお気に入り選手であり
バスケットとNBAに興味を持つきっかけとなった選手
デリック・ローズについて語ろうと思います。
僕が渡米して大学生活をするにあたり最初に一緒にルームシェアをしていた友達が
大のバスケ好きであり中々の強豪校に属していたバスケオタクでした。
その友達と当時毎日のように2Kで遊んでいてその頃に初めてバスケに出会い
だんだんと魅力にハマっていきました。
その頃ほぼ全盛期だったデリック・ローズは史上最年少でMVPを獲得し
まさにスーパースター選手として輝かしい成績を残していました。
彼の凄さといえばまず俊敏でドリブルしながら駆け抜けても誰も追いつけないスピードと
全身バネのようなジャンプ力が合わさった豪快なダンクに、
試合終盤でのクラッチタイムの強さが素人目から見てもかっこ良かったのを覚えています。
人柄でいうととても真面目でお祭り騒ぎのオールスターゲームでも一人
無表情で静かに整列しているのを覚えています。
そんな彼でも一度もチャンピオンリングを手にしていないのが驚きですよね。
やはりその当時にはヒートのビッグ3だったレブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、
クリス・ボッシュや全盛期は過ぎていたものの強豪セルティックスにプレーオフ1、2回戦で
敗退していました。
その頃にデリック・ローズに悲劇が起こるのは言うまでもなく皆さんご存じかと思います。
彼のスピーディーなプレイスタイルに体がついて行かず前十字靱帯を断裂してしまい、
復帰するのに約1年かかりそれで復帰したにもかかわらずその次には膝のけがが重なり
あの頃のローズは戻ってきませんでした。
その後生まれた地でもありホームでもあったシカゴから
トレードでニューヨーク・ニックスに行くこととなったローズは背番号を25に変更し
半沢直樹顔負けの逆転人生を描くこととなります。
ニューヨークではブルズで死線を共にした最優秀守備選手のジョアキム・ノアと
その頃ニューヨークの顔でもあったカーメロ・アンソニーと共に主力として
チームを牽引するまでに復活を遂げました。
その後クリーブランド・キャバリアーズを経由し
ミネソタ・ティンバーウルヴスにトレードされることとなり
そこでまた過去のローズを彷彿とされるプレーをしたのです。
なんと全盛期のMVPの時代でも成し遂げられなかった
一試合50得点という大記録を打ち立てるのです。
その頃のプレースタイルは過去のスタイルとは異なり
巧みなクロスオーバーや様々なステップで華麗に敵をよけレイアップをしたり
オフボールでスクリーンやピックアンドロールを活用しミドルジャンパーを決めたり
とても器用に何種類もの得点手段を持つスコアリングポイントガードへと変貌していました。
その試合後ローズは観衆やチームメイトの前で人目もはばからずコート上で涙するのです。
その理由は過去の栄光から様々なバッシングや失意であふれたファンからのコメントや
自分のふがいなさから出た涙だったとコメントしています。
その後ローズはデトロイト・ピストンズに移籍し今ではオールスター級の選手へと
復活を遂げました。
怪我を克服し誰よりも真面目にトレーニングを積みカムバックしたローズは
映画にもできるようなストーリーの人生を歩んでいる選手の一人だと思います。
これからも彼のプレーを1秒でも長く見れるよう心から祈っているし、
まだまだ彼のプレーが見られることにとてもわくわくしています。
MVPの時期にも出来なかった優勝を是非手にしてもらいたいです。


