無心。
なじみのある言葉ですよね。
で、この漢字をそのまま読み下すと、「心を無くす」。
ん?心を大事にすることがあっても、心を無くすことなんてできるんですか?
うむむ。
言葉の定義はとても難しい。名前をつけても、その名前に翻弄されてしまうことがしばしば。
「スミレ」という名前がついた花を、私たちは「スミレ」としてしか見られません。
「仕事」なんてのも、到底、仕事にはならない仕事をしている人たちもいます。たとえば、パチンコ。たとえば、女遊び。身を持ち崩すことが多い遊びが仕事になってしまうなんて、凄いですよね。
閑話休題。
無心です。英語では、「無心」ってどう訳されているんでしょう?
調べて見ました。
どうやら、「nomind」「mindless」「innocence」などと訳されることが多いです。
直訳すると、やはり「nomind」なんですねぇ。でも、「無心」って心がなくなってしまうこととは、絶対、違いますよね?
「無心」と「無邪気 (innocence)」も、似ているようでどうも違います。「無邪気」には、罪のない、純真な、という意味がありますが、「無心」にはありません。
そこで、「フレッシュマインド」。
これ、実は、「無心」を永井和尚がこのように読み解かれているんですね。
では、無心ってどんな状態なのでしょう?
永井和尚はおっしゃいます。
無心とは、心がないことじゃありません。心から余分な雑念がすっかり抜けきってしまうことです。
人生は、選択の連続。その選択を自分の思い通りにできればよいのですが、なかなか難しいことです。
取捨選択しようとしても、そこには種々様々な雑念、外的要因が働いてきます。同期よりも……仲間よりも……家族のために……支援者のために……。
雑念は心を動けなくさせます。頑固にしてしまいます。
でも、そんな自分以外の要因に縛られることも、人間ってあるんですよね。
いまのあなた、どうですか?
縛られてしまっていたら、いっしょにリフレッシュしましょう。
本来、心は自由です。エネルギーが湧き出るところなんです。
それが無心。
そんな心には、ありふれたものでも常に新鮮なものとして映ります。普段見逃してしまっていたちっぽけなものが、愛しく思えるようになります。
そのような心の状態が、無心、つまりフレッシュマインドなんです。
でも、私たちはそんな心を、自分自身で縛ってしまいます。
もちろん、そうしてしまうには様々な要因があります。
けれど、縛っているのは私たち自身。
ここから目を背け、自分自身以外に依存すると、それは「逃避」や「麻酔」になってしまいます。そこで見える「無心」は、麻薬の効果と同類のものです。
フレッシュマインドのために私たちができることは、「心が縛られてしまう場」と「心がリフレッシュできる場」の両方を持つこと。
常に自由で活力に満ちた心でいたいものですが、そんな超絶な人間にならなくてもいいんです。
秘訣は、「行ったり来たり」。
仕事場も家も大変なんですよね。そこで自由気ままにふるまうことなんて、だれができるでしょう。大貴族だって、殿様だって、国王だって、現場は不自由なものです(きっと)。ならば、現場を離れてリフレッシュする場所を作る。
家でもなく仕事場でもない、第三の場所。
海でも森でも、公園でも、スポーツジムでもいいと思います。お寺もサードプレイスの役割ができますね。
お寺で哲学 てらてつ。
開いています。
フランス思想、いっしょにお寺で学びませんか?