君はいま、余裕のある行動をしているだろうか?
手紙ではなく、メールでする。
メールがあるせいでずいぶん「便利」で「貧しい」世の中になったよな……
家の電話にではなく、携帯電話にする。
携帯電話のせいで、ずいぶん「便利」で「貧しい」世の中になったよな……
いまや、恋愛のスタートも終わりもラインでするそうだが、本当か?
ここまで人付き合いが性急になってしまうと、当然のようにオレたちの心にも変化が生じる。
心に余裕がなくなってくるのだ。
「余裕のある心と、いつもいっぱいいっぱいの心では、同じ事が起こっても、違った影響を受けます。不愉快にさせること、しゃくにさわることなんて、世の中ごろごろ落ちている。腹を立てない人も、すぐ怒る人と同じように、そんなことに遭遇している」
と笠和尚。
とにかく世知辛く慌ただしい生活を送っていると、知らず知らず、心には「ムカムカ」が溜まってしまう。マグマのように。
そのマグマは些細なことがきっかけとなり、噴火してしまう。
とくに都会に住んでいるオレたちは、意識的に、心に余裕を持たせるようにしなければならない。
余裕をもった行動をしなければならない。
それはつまり……
手紙(メールではなく)を書いてみたり
階段(エスカレーターを歩くのではなく)を歩いたり
拭き掃除(自動掃除ロボットではなく)してみたり
料理(デリバリーではなく)をしたり
怒りが爆発する地雷は、いまやいたるところに隠れている。
いつも慌ただしく生きていると、隠れている地雷をぜんぶ、踏んでしまうだろう。
余裕をもって生きていれば、地雷を回避できるだろう。
もし、地雷を踏んでしまったら?
足を出したり、手を出したりしてしまっては、一巻の終わりだ。
相手が詐欺まがいのことをしてこようが、加害者になるのはこちら、そうすると、罪人として裁かられることになってします。
殴らない、蹴らない。
暴言も吐かない。
「クソガ!」とか「ブッコロスゾ!」ではなく、
その代わり……
笠和尚のアドバイスを最後に。
相手にも「仏」がいる。自分の怒りに気づかせてくれたその「仏」へ、
クソッタレな相手へではなく、その「仏」へ
「ありがとう」と手を合わせてしまいましょう。
「てらてつ!」アナウンスです。
三田の龍源寺の哲学教室、四月は22日にあります。
午後三時から、無料です。
鎌倉でもやっています
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A bientôt !