大震災から16年の月日が経った。
あの日、早朝からバイトで外に出ていた。
バイト先のおじさんが、“関西に親戚とかいないかぁ?大変なことになってるなぁ・・”と言い地震があったことを知った。 結局その日の仕事は数時間できりあげ、みな家に帰らされた。
小学校の6年間、兵庫県西宮市で過ごした。
思い出がいっぱいつまる、幸せな小学校生活。
最高に楽しかった6年間。
ニュースに釘付けで、死傷者の数がまたたくまに増えていくのにショックを受けていた。
友達は大丈夫だろうか。
震災後数日間、新聞の、震災による死者の欄を毎日チェックした。
毎日毎日増える死者の名前・・。
私は知っている名前が出ないように願っていた。
そして目に入った名前。
山口恵介(20)
一瞬気が遠のいた。 金槌で頭を殴られたような感じだった。
まさか山口君?
西宮に住む、近所の親友だった子に電話した。
・・・やっぱりあの山口君だった。
小学校2年生の時にはじめてバレンタインのチョコレートをあげた。
とても明るくて、面白くて、ひょうきんで、そしてとてもやさしい男の子だった。
いつもジョークを言って、周りを笑わせ、山口君がいるとその場が和んだ。
チョコレートをあげたとき、笑って受け取ってくれた。
ホワイトデイはマシュマロをもらえるか心配だった。 どこで会ったのかは覚えていないけど、山口君のお母さんがマシュマロを持ってきてくれ、それが嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。
マシュマロの大きさも覚えている。 どこにでも売ってそうな大きなマシュマロの袋。 大きなマシュマロをもらっちゃった。 何日も袋を開けられなく、食べれなかった。
ひょうきんな山口君は、遠足の集合写真などでもいつもおどけて写っている。
女子だけの集合写真の後ろに男の子1人写真に入って大きくピースしている写真は今でも覚えてる。
弱い人にも優しかった。 面白くても決して意地悪なジョークなどで人を笑わせるような人ではなかった。 しゃべり方も声も今でも覚えている。 穏やかにしゃべったり、大きな声でしゃべったり、話も聞いてくれた。 男友達にアドバイスなどもするような人だった。
その山口君が亡くなった。
地震のあと、建物の下敷きになり、はじめは声が聞こえていたけど、そのうち聞こえなくなったと彼女は言っていた。 そして数日後遺体で見つかったとのこと・・。 友達何人かが現場で野宿し何日も山口君の名前を叫んでいたらしい。
私は小学校卒業してすぐに神奈川県藤沢市に引っ越したのでそれ以来会ってもないし、話もしていない。
それでも名前を見たときは信じられなかった。
どうしてこんないい人が亡くならなければいけないのか。
どうしてこんなにも多くの人が亡くならなければいけないのか。
私の初恋の人・・・。
これから先、永遠に会うこともない。
山口君といつも一緒にいた友達が数人いた。
みなそれぞれおもしろい男の子だった。 いつもふざけあって、先生にも怒られていたけど、それでも先生やみんなの人気者だった。
その中のひとりが安田君。
安田君もいつも人を笑わせていた。 おしゃべりでおちゃらけていたけど、彼もとても優しい子でスポーツ万能だった。 小柄だったけどとても存在感のある子だった。
私の双子の姉から安田君がテレビに出てると聞いて、それで芸能界にはいったことを知った。
安田大サーカス、団長?
ほんとだ、安田君だ
テレビでもちょくちょく見るようになった。
小学校の時と全く変わっていないのに苦笑。 しゃべり方まで変わってない。
山口君も多分ああゆうふうにあのまま大きくなっていたんだと思う。
私の中では小学生のままの山口君。
安田君がお笑いタレントになるきっかけが山口君だという記事を読んだ。
安田君の仕事がうまくいっていないときに、山口君に、お前お笑いになればいいと言われたことがあるらしい。
震災後山口君が亡くなり、そしてそれがきっかっけでお笑いタレントを目指したらしい。
山口君はいなくなっても、こうやって人の人生を変えた存在。
彼も山口君の存在を一生忘れない。 テレビや雑誌で山口君のことを語っているので存在は広がっていく。
いつもブログでお世話になっているchocoさん がブログでしたように、亡くなった大切な人の存在を1人でも多く知って欲しく山口君のことをブログに書きました。
震災で多くの人が、愛する家族、親戚、友人、知人、ペットなど亡くした。
被災した方の多くがまだトラウマに苦しんでいる。
いまだに心に痛みを負っている人は数え切れないほどいるけど、その痛みが少しでも和らぐように、そしてなくなった多くの方々の冥福をお祈りします。