2004年10月28日 木曜日。

 昨日、あんな目で見つめられて堪えたのに、私は今、Tのところへ行こうとしている。私はどうしたいのだ? 自分のことながらよくわからない。廊下を歩きながら、ふと思った。本当は私は、Tのあの視線の理由をわかっているのではないかと。 

 休憩時間に課を覗いた。Tが鼻をかんでいた。

「風邪? 」

「えっ、ああ」

「まあ」

「この辺は皆(風邪を)ひいてるよ」

「……うつされちゃう」

 私は小さな声で呟いた。Tは寝不足の顔をして話を続けた。

「まあ、それもあるけど。夕べ、夜中に子どもがずっと泣いていたので、そのせいで……」

「T先生、顔がヘン! 」

「んん」

「夜泣き? 」

「うん。ワクチンを打ったのだけど、それが何処か調子悪いみたいで。起きてると元気に遊んでいるんだけど、多分泣いているときは寝ぼけてて、完全に起きていないんだと思う……」

「ワクチン、て、ある年齢で打って免疫を付けていくっていう……? 」

「そう」

「お子さんは今一歳半? 」

「そう。一歳半」

「私は子どもがいないからよくわからないけど、何か適応しないところがあったのかも。お子さんのお名前は? 」

「……子」

「えっ」

「……に、子と書く」

「ああ、変わってる。今、“子”をあまり付けないですよね。○○子って、どこかで聞いたことがある。何かで聞いたことが……」

「アニメの〇〇〇に出て来る」

「あっ、そう? 」

「もう、でっかいよ! 」

 Tが片手を垂直にして、このくらいだよと自分の子どもの背丈を示した。私は心の中で、○○子って、ホントに素敵な名まえ、Tの子どもにぴったりだと思った。(*)

「T先生はここ(この会社)までお家からどのくらいかかるんですか? 」

「んん、40分くらいだね」

「ああ、じゃあ、そんなに朝早く、でもないんですね」

「うん。でも嫁さんは朝早いから大変」

「えっ? 奥様もお仕事されているんですか? 」

「いや。毎日朝早く起きて弁当、作らなきゃならないから……」

「ああ、女の人はねえ……」

 この後受験の話をした。

「まあ、資格試験だからね。そのための勉強をすればいいわけで、頑張ってください」

 こう云ってTは書類を手にすると足早に課を出て行った。この日このとき、Tはいつになくよく喋った。きっと私と話したかったのだ。もしかしたら、パーティーでも話したかったのだろうか? 

 昨日の、あの視線、T自身は何も気づいていないみたいだ。

 

 

 

 2004年11月1日 月曜日。

 廊下でTを呼び止めた。Tは喫煙室へ向かっていた。

「T先生、先週、私のこと、何か気にしていたでしょ? 」

「えっ? 全然? 何もないよ! 全然、無いよ」

 私はTの顔を見た。咄嗟に、本当に何もない、そういう顔をした。どこから見ても本当に何も変わったところはない。私の思い違いかと思ったほど、普通だ。でも私は続けて尋ねた。

「会社がお休みだった日の、次の日(のことなんだけど)……」

「全然! 」

「私、毎日、ここへ来ているわけじゃないから、すぐ訊けないから」

「喫茶室へ続く廊下の角を曲がった。自販機コーナーを過ぎて中庭への出入り口前まで来た。

「でも、私、顔を見ればわかるって、前に(以前)言ったでしょ」

(つづく)

 

 

 

 

 

 * 心の中では感激していた  それなのに、私はとても失礼な言い方をしてしまった。本当は「何て素敵な名まえなんだろう、Tの子どもにぴったりだわ」と感激していたのに。

 

 

 

    

 

 

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