譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年)
905頁


 善男子よ、とは言え、自分は唯(ただ)この菩薩の「衆生を教化する法門」を知っているだけである。かのもろもろの大菩薩のごときは、無量無辺の菩薩の所行を究竟し、ことごとく種々の性海のうちより起り、種々の正直なる身心を諸根海に満たしめ、一切もろもろの大願門を具足し、無量のもろもろの三昧門を修行し、無量の神力を具足し成就し、無量の智慧の行を修め、種々の智慧に入って、諸法の光明あまねく一切を照したもう。かような功徳の行を自分はどうして知ることが出来、説くことが出来よう。

 善男子よ、この道場において自分を去ること遠からぬところに、寂静音と名づける一夜天がおわして、百万阿僧祇の諸天の眷属に囲繞(いにょう)せられながら、宝幢蓮華蔵の獅子座に坐しておられる。御身かしこに赴(おもむ)いて問うがよい「菩薩は如何(いか)ようにして菩薩の行を学び、菩薩の道を修むべきであろうか」と。』

 時に善財童子は頭面に妙徳救護衆生夜天の足を礼し、幾度(いくた)びとなく右にめぐり、ねんごろに見上げ見つめて辞去せられました。


(旧字体、旧仮名遣いは改めました)