譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村 訳,昭和10年) 

495〜496頁


仏子よ、菩薩大士に十種の魔業がある。

十種とは何んであるか?

菩提心を忘失してもろもろの善根を修めるのが第一の魔業である。

悪心をもって布施し、怒心をもって戒をたもち、悪性・懈怠の衆生を捨て、乱心・無智の衆生を軽視し嫌悪するのが第二の魔業である。

正法において心に慳悋のおもいを生じ、教化に堪うる者があっても教を説かず、もし財利・恭敬・供養を得れば、教化に堪えぬ者にも法を説くのが第三の魔業である。

もろもろの波羅蜜を聴聞することを悦ばず、たとえ聴聞しても実行せず、たとえ実行すといえども多く懈怠を生じて深妙の無上菩提を求めないのが第四の魔業である。

善友を遠ざけて悪友に近づき、二乗を欣求(ごんぐ)して受生を悦ばず、ひたすら離欲寂静の涅槃を志求するのが第五の魔業である。

菩薩のもとにおいて瞋恚(しんい)のこころを起し、憎悪の眼をもってこれを眺め、その欠点を説き短所を曝いて、彼の有する財利・供養を無くするのが第六の魔業である。

正法を誹謗して聴聞することを願わず、たとえ聞き得ても讃歎せず、もし法師あって法を説くとも謙下して恭敬することが出来ず、みずから「自分の説は正しい、彼の説は誤っている」と言うのが第七の魔業である。

世間の論をまなび 、文筆を善くし、楽(ねが)って二乗の浅義を説いて大乗の深義をおおい、雑語を説き立て、教化に堪えぬ者に対して甚深の法を説き、菩提を遠離して邪道に安住するのが第八の魔業である。

すでに解脱をえ、すでに安穏を得たものに、つねに楽って親近し、これを供養し、いまだ解脱を得ないもの、いまだ安穏を得ないものには敢(あえ)て親近せず、教化しないのが第九の魔業である。

我慢を増長して謙虚のおもいなく、もろもろの衆生をおおく悩害し、正法の真実の智慧をもとめず、その心弊悪であって教化されがたいのが第十の魔業である。

仏子よ、これを菩薩大士の十種の魔業とする。

菩薩大士はよろしく速かにこれを遠離して仏業を求めるがよい。


(旧字体、旧仮名遣いは改めました)