どれだけちゃんと書けるか不明だし、まとまりのある文章になるか不明だけど、今日書かなきゃいけないと思うし、何年か経った後でも読み返して今日のことをちゃんと思い出せるように書き留めたい。
どっから書こうかなー。
2011年10月26日
父親から来た昼のメールがこの4ヶ月の始まりだった。
「美智子のことで話さなきゃいけないことがあるから、至急折り返しをくれ」
電話で末期の膵臓ガンだったということが精密検査で分かったとのこと。
会社で昼飯食っていた時だった。
その後、アポに行かなければいけなかったんだけど、
正直全く内容を覚えてない。何を話してたのかも。
そのまま実家へ帰宅し、その日に実家で3人で久しぶりに会った。
あっけらかんとしていた母に呆気を取られながらまだ信じられないという気持ちで
この日を終えた。
翌日、病状を確認するため、会社を休み病院の先生の下へ。
そこで見た母の体中に広がったガンのCT画像、先生の言葉を慎重に選んで伝えてくれている姿から
どれだけ状態が悪いのか良くわかった。
この日告げられた残された時間、余命2~3ヶ月。
もって年内でしょうということだった。
病院では毅然と振る舞えていたけど、
病院を一歩出たら緊張感が切れて何だが止まらなかったのを
今でも覚えている。
もう理性でどうにかできるレベルじゃなかった。
昨日まで考えもしなかった。母がそう遠くない間に亡くなるなんて。
その日はあまりにも感情の起伏が大きくて、夜に電話で話してた人に対しても感情を抑えることが出来なかった。
翌日に会社の部長と話して冷静に今後の過ごし方を相談でき、すべて僕の意向を組んでくれて本当に感謝している。
11月2日から家族4人で旅行に行くことにした。といっても父親の実家の諏訪へ。
最高の思い出にしようと弟と決めていた。
常にみんなが笑って過ごし、残された4人の時間をみんなが素敵な時間だったと思える期間にしようと。
写真もたくさん撮った。笑っている写真たくさん撮れた。元気な姿をたくさん残せた。
入院前日の11月8日は母と二人での時間だった。
入院生活の為の買出しをして、その後は大好物の生姜焼きを作ってもらった。
11月9日~は病院での入院が始まった。
入院する初日、必ずまた実家に帰ってこれるのをみんなで目標に頑張ろうって気持ちと、
また帰ってこれるのかっていう不安な気持ちが混ざっていた。
今から振り返るとあっという間の入院生活だった。
正直、病院での思い出は良い思い出より辛い思い出の方が多かった。
12月に一時、退院できる週に脳梗塞を併発し、
寝たきりの生活になってしまってから自分の力で体を起こせなくなり、
ご飯もほとんど食べられなくなってしまった。
その中でもクリスマスや大晦日のイベントを家族で過ごす時間を持てた。
最初は年内がいっぱいですって言われたけど、2012年の瞬間を病室で母と二人で迎えられた。
年明けて、昇進の報告を部の11人のみんなが病院まで来てくれて報告してくれた。
誕生日にメインクライアントから大型発注をもらったことを報告したらとても安心してくれた。
そして1週間後。
25日の水曜日、父親と今後のことを含めてアポ後に集合。
その足で会社に帰る前に二人で病院にお見舞いに行こうと行ってきた。
そしたら、、
酸素マスクをつけた母がいた。
????
もう喋っている内容がむちゃくちゃだった。
先週の日曜は普通に会話できていたのに、
何を喋っているのかわからなくなってしまった。。
先生と話せた。
「今日、明日で覚悟してください」
ガンと宣告を受けた翌日依頼だと思うけど、
一目もはばからず病院の廊下で泣いてしまった。
もうその時は翌日に控えたコンペのことなんてどーでも良くなっていた。
仕事なんていつでも出来る。コンペに負けたからって命を取られるわけじゃない。
母親の命より優先する仕事なんてない。
サポートしてくれた先輩には本当に感謝している。
部の皆、チームメンバー、プロジェクトメンバー、会社でも一番多くのスタッフと仕事しているから
迷惑をかけた人の数はハンパないけど家族の時間を優先させてくれて本当に感謝している。
そこから寝ずにずっと、手を握って一緒の1分1秒を刻んだ。
夢と現実の中で行ったきりきたりをしていたのか、
体が痛いから向きを変えたいと言ったかと思えば、
もうろうとした意識の中で「みんなで楽しい話をしよう」って言い出したり。
いつも周りに気を遣う母らしい。
昨日はしゃべることも出来なくなってしまた。
呼吸と一緒に苦しそうに唸っていた。
先生から言われた昨夜を乗り越えようと弟と一緒にパワー送りまくった。
眠さなんて忘れてた。
寝ている間にもし最期の瞬間が来たら一生後悔すると思った。
そして今朝、急激に呼吸が乱れてきた。
弟は泣きながら、戻ってこいって声をかけ続けた。
僕は急いで父親に連絡すため、病室を出た。
そしたら、父親も偶然病院に到着した。
心電図が病室に運ばれた。
どんどん低下していく心拍数の数字を見るたびに涙が止まらなかった。
まだ行かないでくれって気持ちと、
もう頑張らなくていいよって気持ち。
弟から変わってもらって、
手を握り声をかけた。
「あとは安心してよ。ちゃんと頑張って生きていくから。教えてもらったとおり、一生懸命生きていくから安心して」
30台まで落ちていた心拍数が80まで回復した。
もうそれで十分だった。
しっかり伝えたいこと、最後まで伝えられた。
何一つ後悔ない。
父親から一人一人、母親に声をかけた。
最後に弟が母親に
「いい家族だね」って感じのことを声をかけたその時、
最後の力を振り絞った母が大きく頷いた。
みんながしっかり見た。
今、頷いたねって。
僕をこの世に産んでくれてありがとう。
本当にありがとう。
本当に大好きだったよ。
本当にありがとう。
これからも一生懸命頑張るから見ててね。
啓敏
あなたがつけてくれたこの名前の通り、
ひろく大らかな心で人の心をさとすことのできるような人として
努力してきます。
ちゃんと大切な人を大切にします。
約束しっかり守ります。
また会える日まで元気でね。
これからは我慢しないで美味しいものたくさん食べてね。
お疲れ様。
素敵な時間を、素敵な家族をありがとう。
あとは男3人で頑張っていきます。
本当にありがとう!!!!
一番好きな母の写真を載せます。
なんて可愛いんだ、全く。
天国では元気でね!