と書くものもあるようです
今回DDの稽古が始まる頃のブログにも書きましたが、
歴史には諸説あるもので、
「史実」と言われているものも
実際のところそうではなかった、
という説も並んで存在します。
池田屋で沖田総司が吐血してなかったー、とかね
世間的には小説、脚本、映像化されたもののイメージが強いですよね。
本当のところはどうかは分かりませんが、
池田屋で階段落ちしたのは北添、だとか
さらには幼少時代から「神童」と呼ばれ、直心影流居合術の達人であった北添。
「北添が居合で扇を斬ると、扇が落下する前に刀が鞘に収まっていた」
なんてエピソードもあるとか。
「おーい龍馬」で北添を初めて知ったアタシとしてはただのこきたねーガキンチョのイメージしかなかったんですけどね
でも池田屋に集まった面々はそれなりに戦える人たちだったわけで、あえてピックアップする必要はないわけです。
それよりもその時代は、今作は、新撰組の強さを出すべきなので。
それに池田屋の階段落ちが本当ならきっと一撃でやられてますしね
宮部鼎蔵を中心に集まった個性的な攘夷志士たち
。
いつからだろうな。
この作品の中で
北添のやるべきことは非常に明確になっていた。
まず、望月を見ていればいい、ということ。
もともと集まった攘夷志士たちは寄せ集め。
違う藩の人間とそう易々と打ち解けるはずもなく。
もちろん時間の経過とともに同じ道を歩む同志となっていくわけですが
土佐藩の同志である望月は特別だった。
見ているといってももちろん“肉眼で”見ているわけではない。
なんなら“飼ってる”感じに近い。
“放牧”
望月には望月の信念があって、
その中で、何があろうと必ず北添のところに戻ってくる望月は気持ち悪くもあったが笑、それ以上に愛らしかった
池田屋に行く前の望月の本音を聞くときは特に、全てを受け止めようとずっと見ていた。
北添にとっても信頼できる唯一の男だった。
沖田総司に斬られ、刺され、蹴り飛ばされた望月を受け止める北添の左手に、全てを込めた。
そして、もう一人。
蜜。
この作品のオリジナルキャラクター。
実際の北添にももしかしたらこんな幼馴染がいたのかもしれない。
蜜には北添の背中を見せようと心に決めていた。
蜜を輝かせるためには
北添が前を向いて進んでいく様を見せる必要があった。
決して蜜に“合わせる”とか“向き合う”とか
そういうことではない当時の男の、
北添の想いは全て背中で語ることにした。
蜜がいたから北添は生きられた。
北添が輝いていたとしたら
それは全て、蜜がいたからであろう。
この望月と蜜という2人がいたからこそ
この2人と走り抜けたからこそ
北添佶摩は魂燃やして風になれたのだと、
この作品の
風として北添佶摩を昇華してあげられたかなって思います。
一緒に北添をつくってくれた
石井ちゃんと汐里に感謝。
そして実在した歴史上の人物。
北添佶摩。
2ヶ月間、ありがとう