human22のブログ

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人間は死ぬ間際になれば、どんな澄ました顔をしている者でも、仏教の道で悟りを開いた者でも、内心では、パニックに陥るに違いない。
筋書き通りの人生を、あまり深くに物事を考えずに、ましてや、「死」なんていう実感の得られない事柄について思考せず、歩んできた人間は、そこで、人生初の漠然とした大きな不安の渦に、巻き込まれる。
死後の自分の魂の所在や、意識の問題、家族との別れの寂しさ。そして、残された時間の少なさからくる焦燥感。秒針の一刻一刻を刻む音が脳の内側にべったりと張り付いて離れなくなり、狂いそうな気分になる。

この大きな敵を前にして、日頃から、不安と対峙してきた人間と、そうでない人間では、耐性によって差が出る。
近代古典や純文学の文豪には、自殺で生涯を終えた方たちが数多くいる。「死」を前にパニックを起こすどころか、自分から「死」を向かえに行くことができた。
太宰治は、入水自殺を図ったし、
芥川龍之介は、ぼんやりとした不安から睡眠薬自殺、
三島由紀夫は、自衛隊の駐屯地にて切腹自決。

それぞれの自殺の理由は、ともかくとして、彼等は作家として、悩むという行為に慣れていたから、自分の今まで人生をよく理解できていたし、「死」にまとわりつく不安に打ち勝つことができたのだろう。

人生、悩み続けてなんぼでしょう。
人はいつか死ぬんだ。
いつか死ぬのなら、何も考えずに快楽だけに生きた方がマシなのかもしれないけど、自分は悩む人間に成長してしまった以上、もう別な生き方を目指すことは、不可能に近いかもしれない。それなら、とことん悩んで、せめて、死ぬときくらいは準備万端、落ち着いて逝きたいもんだ。


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「漂流する者」と、「悩む者」


人間はこんな感じで二通りに分かれると思う。

「流れに身を委ねて、深くは考えずに、要領よく生きる者」と、

「心の中で壁にぶつかり続け、その度に、手探りで道を探し続け、孤独に悩み続ける者」だ。


とある小説の中でも、

「学生は大きく2通りに分かれる」とある。

「その場凌ぎの快楽や楽しみに興じて、楽しければそれでいいと考える学生」と、

「自分が何者かであることを必死に求めるタイプ」だ。

そして、前者は社会に興味こそは示さないが、最終的には社会に溶け込んでいく。言ってしまえば要領がいい。


確かに、その通り。

講義には真面目に出席するも、

理想と現実のギャップから、自分という人間の存在価値を疑い続け、

いつも卑屈なマイナス思考の渦の中を堂々巡りしていて、

時には孤独から、その渦に他人を巻き込みつつも、自分以外の人間を疎ましく思う、俗物を嫌悪する学生よりは、講義の出席もほどほどに、合コンの段取りやサークルのために大学へ来て、学生生活を楽しむだけ楽しんだ学生の方が、早くに内定を確保して、その後の社会生活にも上手く適応して人生を謳歌しているように感じる。


私は、真面目な学生かどうかは別にして、どちらかと言えば、悩める者の方ではあるとは思うが、

後者の、人生の中で上手く漂流している学生を、羨ましいと思うことは多々あっても、

妬ましく思ったりすることは、決してない。

もはや、23年間を生きてきた今の自分にとっては、そういう生き方は、

あまりにも現実離れしてしまっているのか、さもなくば、嫉妬したところでどうしようもないと諦観しているのか、どちらかであるように思える。


しかし、私も、彼らも、生きている限り、やがて訪れる死という宿命には抗えなくて、

これは皆が平等に抱えている共通の点だ。


これもまた、最近読んだ別の小説の話だが、

死を目前に控えた人間の心理について書かれた物語がある。

人は死を自然と意識するようになると、その足音は、止まることなく近づいてくるそうだ。


それまで、死に対する恐怖とは無縁に暮らしてきた人間が、

急にリアルな影を帯びて死が迫ってきたときに、果たして、

残り限られた人生をまともに全うできるのか。

きっと、焦りや、孤独、恐怖が綯い交ぜになった感情が堰を切ったように溢れ出てくるはずだ。


そして、その感情を抑え込み、平静でいようと、苦悩するその問題は、きっと、

「悩む者」が日頃から抱えてきた問題と似ているのではないかと思う。


死ぬ寸前になって、初めて苦労するくらいなら、今の生き方だって悪くないんじゃないかな、と思う。

思えないかな。思いたい。

大学5回生


履修登録の締切を勘違いしてしまい、週一の通学となっている。


シーズン的には、皆、スーツに身を包み、就活真っ只中といった感じ。


真っ只中といっても周りは皆4回生。4回生が焦っているくらいなのに、5回生の自分は何もしていない。


この5年間で一人も友達が出来ず、ずっと置いてけぼりの大学生活だったな。

その時々の都合で近くなったり遠くなったりする中途半端な友達ならいらないけど、

それでも流石にきつかった。

授業が空くと、一人で、パソコン室にいるか、図書室で本読むか寝るかしかない。

1周でも欠席すると、テスト前にノートを調達する術がない。


何が楽しくて大学生やってるのか分からなかった。

何故、自分に友達ができないのか、漠然と考え続けてきた。

自分を客観視して分かったつもりになったことを色々試してみたけど、結局同じことだった。

周りが自然にできていることが、自分にはできない。

漕いでも漕いでもオールは見当違いに水を切るだけ。

完全に言葉通りの置いてけぼりだった。


そして、今も、周りの就活の波に乗れず置いてけぼりを食らっている。

友達ができなかったのも就活をしていないのも自分の問題で自分が悪いんだけど。


でも、自分はこの程度で終わる人間であってほしくはないな。

今までのことが、何かの間違いであってほしい。

絶対ではないけど、ちょっとした切り札ならある。まあ、もう記事にして書いたことだけど。

長い間、考え悩みぬくことで発見できたかもしれないことだ。

だから、大事にしていきたい。安易に決めたくない。妥協はしたくない。


切り札のことを考えるだけで、大学生活がどうとか、今、一生の仕事を見つけなければとかどうでもよくなる。


自分に自分の強い考えがあるなら、焦ることはないはずだ。


キャリアが転機を迎える時というのは、何かが始まる時ではなく、何かが終わる時。

始まりは終わりで終わりは始まりなんだ。