筋書き通りの人生を、あまり深くに物事を考えずに、ましてや、「死」なんていう実感の得られない事柄について思考せず、歩んできた人間は、そこで、人生初の漠然とした大きな不安の渦に、巻き込まれる。
死後の自分の魂の所在や、意識の問題、家族との別れの寂しさ。そして、残された時間の少なさからくる焦燥感。秒針の一刻一刻を刻む音が脳の内側にべったりと張り付いて離れなくなり、狂いそうな気分になる。
この大きな敵を前にして、日頃から、不安と対峙してきた人間と、そうでない人間では、耐性によって差が出る。
近代古典や純文学の文豪には、自殺で生涯を終えた方たちが数多くいる。「死」を前にパニックを起こすどころか、自分から「死」を向かえに行くことができた。
太宰治は、入水自殺を図ったし、
芥川龍之介は、ぼんやりとした不安から睡眠薬自殺、
三島由紀夫は、自衛隊の駐屯地にて切腹自決。
それぞれの自殺の理由は、ともかくとして、彼等は作家として、悩むという行為に慣れていたから、自分の今まで人生をよく理解できていたし、「死」にまとわりつく不安に打ち勝つことができたのだろう。
人生、悩み続けてなんぼでしょう。
人はいつか死ぬんだ。
いつか死ぬのなら、何も考えずに快楽だけに生きた方がマシなのかもしれないけど、自分は悩む人間に成長してしまった以上、もう別な生き方を目指すことは、不可能に近いかもしれない。それなら、とことん悩んで、せめて、死ぬときくらいは準備万端、落ち着いて逝きたいもんだ。
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