ガンダムシリーズ最新作機動戦士ガンダム水星の魔女が2022年10月から日曜5時に放送されることが発表されました。

 

 

 

 

公式ホームページでは、主要モビルスーツ3機と、ガンダムエアリアルに搭乗すると思われる主人公の女性(名前不明)が発表されています。

 

ガンダムエアリアル

 

 

 


 

ガンダムルブルス

ベギルベウ

 

 

今作の注目ポイントはやはり、シリーズ初の女性主人公であることでしょう。

ガンダムシリーズでは、古くからエマ・シーンやルー・ルカなど、戦う女性の登場は多く、最前線で戦うキャラは必ずしも男性であったわけではありません。また、味方指揮官やラスボスクラスが女性であることも多々ありました。

しかし、女性の主人公はなかなか登場せず、シリーズ開始43年目にしてようやく女性主人公が登場しました。遅かれ早かれ出てくるとは思っていました。

なお、「機動戦士ガンダムポケットの中の戦争」では、作中唯一のガンダムに搭乗するのはクリスチーナ・マッケンジーという女性ですが、本作の主人公はアルという少年であるとされています。

 

ガンダム以外では、「トップをねらえ!」「輪廻のラグランジェ」「クロスアンジュ 天使と竜の輪舞」など、女性を主人公としたロボットアニメも数多くあります。ロボットアニメ全体で考えると決して珍しくありません。

 

今作、シリーズ初の女性主人公という方針にしたのは、ジェンダー配慮等ではなく、単にマンネリを避けるためと、需要の問題だと思います。

これまでのシリーズと被ってしまうことは避けなければなりませんし、近年は女性にもガンダムの人気があることや、戦う女性というのも珍しくなくなったことなどから決めたのかなと思います。

 

私は、ガンダムのテレビシリーズはほぼ履修済みですので、いずれにしても放送が楽しみです。

 

 

 

 

アニメ「平家物語」を終えて

 

 

 

 

 

これまでの記事

平家物語と琵琶法師(1話含む)

 

時代背景解説①(平氏・源氏・武士の成り立ち、地位の向上など)

時代背景解説②(天皇と上皇、院政)

時代背景解説③(平安末期の武士)

 

2話 3話 4話 5話 6話 7話 8話 9話 10話 11話

 

 

あくまでもキーポンによる見解です。

アニメのスタッフ及び、学者等の見解とは異なる場合がございますので、予めご了承下さい。

 

 

 

  1.平家とは何だったのか

 

端的に言えば、平家とは、「既得権益に闘いを挑み、武士による新政権を樹立した」家だったと言えるでしょう。

既得権益とは、それまで力を持っていた天皇家や、藤原氏などの貴族のことで、特に後白河法皇とは協調と対立をくり返していました。平家は保元・平治の乱によって武力でのし上がり、天皇家をも凌ぐ権力を獲得しました。かつて朝廷の権力者の座が蘇我氏から藤原氏に代わったように、安徳天皇から始まる平家中心の新政権樹立を目指していました。そのための都が福原京です。

 

 

  2.なぜ平家は敗れたのか

 

なぜ敗れたのかと言えば、味方をする武士が少なくなったからです。

ではなぜ味方する武士が少なくなったか。地方武士の心を掴めなかったからです。

地方武士にとって平家政権というのは、それまでの藤原氏の政権と大差ありません。上に立つ人が変わっただけで、自分たちの生活は何ら変わらないのです。平家以外の武士は相変わらず地位が低いままで、天皇や貴族に使われるだけの存在です。

それに対し、源頼朝は、1180年に大倉幕府という小規模な自治組織を作ります。これは、「武士の武士による武士のための政権」とも言える組織であり、地方武士の生活は幕府が保障してくれます。

平家が勝つよりも、源氏が勝った方が、地方武士にとってメリットが大きいわけです。

 

 

  3.平家物語のその後は

 

鎌倉幕府の成立はいつなのかは次で項目で考えますが、いずれにしても初期の鎌倉幕府というのは、朝廷をしのぐほどの大きな権力を持っていたわけではありません。初期の鎌倉幕府は、日本という国の中に朝廷から半独立状態の別の自治組織が登場したという意味合いで、まだまだ朝廷の方が権力は上でした。「日本という朝廷が治める国の中に、武士の自治区がある」これが鎌倉幕府でした。

そんな中、朝廷と幕府の立場が逆転する事件が起きました。承久の乱です。

後鳥羽上皇は、鎌倉幕府の実質的なトップであった北条義時討伐の命令を出しました。しかし、朝廷は敗れ、幕府が上皇を島流ししたり、皇位継承に口出したりするという時代になりました。承久の乱で幕府が勝った理由も、武士の心を掴んでいたからと言えるでしょう。幕府が潰れたら平安時代に逆戻りとなり、それは武士たちの望むところではないからです。

こうして、武士の世というものは始まり、建武の新政などの一部の時期を除き、武士が日本の事実上のトップに立つという時代になりました。武士の世は江戸幕府滅亡までの約650年間続きました。

 

 

  4.鎌倉幕府の成立はいつなのか

 

「鎌倉幕府がいつ成立したのか」という議論が近年白熱しておりますが、概ね1180~92年の間とされています。なぜ揺らいでいるのかと言うと、幕府というものの定義があいまいだからです。頼朝が「今日から鎌倉幕府を始める」と言って幕府が始まったわけでもなく、何を以って鎌倉幕府の成立と考えるのかが学者によって異なるからです。「いい国作ろう鎌倉幕府」とあるように、昔は1192年説が一般的でした。1192年とは、頼朝が征夷大将軍に任命された年です。「幕府の長は征夷大将軍であるから、頼朝の征夷大将軍任命を以って鎌倉幕府の成立とすべきだ」こういう考えが一般的だったんですね。しかし、鎌倉幕府の将軍はご存じの通り、源氏将軍は頼朝と2人の息子の3人しかおらず、その後は九条家や天皇家から来た実権のない形式的な将軍にすぎません。また、頼朝や2人の息子が健在のときであっても、鎌倉幕府に征夷大将軍が不在の時期はあります。現在放送中の大河ドラマのタイトルにもある通り、「鎌倉殿」という呼び方こそが鎌倉幕府のトップの呼び方であり、征夷大将軍というのは、朝廷から授かった官職であり、慣習として、鎌倉殿が征夷大将軍という役職を朝廷から授かるというものでした。つまり、将軍=幕府のトップというのは、後の時代の常識であり、この時代には当てはまらないことになります。

頼朝による小さな自治組織が出来たのが1180年、平家滅亡後頼朝の支配が全国に広がり、守護・地頭の設置を朝廷が認めたのが1185年、この辺りを鎌倉幕府の成立、鎌倉時代の始まりと考えるのが妥当かと思います。上記にある通り、幕府の支配が完全に朝廷を上回るのは承久の乱後の1221年のことです。

 

 

  5.平家物語の登場人物たちの子孫は

 

平家は滅亡したのだから、平清盛の子孫は現代に残っていないと考えていませんか?

実は、平清盛の男系の子孫が滅亡しただけで、女系、つまり、清盛の娘の子孫であれば残っているのです。

では、清盛の子孫で最も有名な現代人は誰かご存知ですか?

それは、現在の天皇です。

 

壇ノ浦の戦いから61年後の1246年、後深草天皇が即位し、さらに14年後の1260年、同母弟の亀山天皇が即位します。後深草天皇と亀山天皇はその後、それぞれ北朝、南朝の祖になって皇統が分かれますが、1392年に明徳の和約によって南北朝が合一され、その後は後深草の子孫である北朝系の天皇が皇位を継承します。つまり、南北朝合一以後の天皇は全員、後深草天皇の子孫にあたります。

後深草天皇の父方を遡っていくと、父は後嵯峨天皇、父の父は土御門天皇、父の父の父は承久の乱を起こし、平家滅亡時の天皇である後鳥羽天皇、父の父の父の父はアニメ「平家物語」にも頻繁に登場した高倉天皇で、その父は当然、後白河天皇です。

では、母方を遡っていきましょう。後深草天皇の母は西園寺姞子、母の母は四条貞子、母の母の父は四条隆衡、母の母の父の母は平清盛の娘(名前不明)で、その父は当然清盛です。

 

つまり、後深草天皇(亀山天皇も)は後白河の来孫であり、清盛の来孫でもあるということになります。後白河と清盛の孫である安徳天皇は壇ノ浦の戦いに巻き込まれて幼くして亡くなってしまいますが、2人が亡くなってから半世紀以上経ったころ、2人の血が再び交わり合い天皇に即位するのです。

また、亀山天皇の孫には、鎌倉幕府を滅ぼすことにはなる後醍醐天皇がいます。壇ノ浦の戦いから約150年後、清盛の子孫である後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅ぼすのです(そのときの将軍も後深草の孫の守邦親王なので、形式的なトップはどちらも清盛の子孫)。

そして、1246年から現在までの約800年間、後白河と清盛の両方の血を引く人物が天皇を務めているです。平家は滅びてしまいましたが、清盛の子孫というのはその後の日本や世界に大きな影響を与えているのです。

 

一方、平家を亡ぼした源氏を見ていくと、滅亡に追いやった源頼朝や源義経の子孫は現代まで続いておらず、鎌倉時代で途絶えています。こうして見てみると、どちらが歴史の勝者かわかりませんね。歴史の見方は1つではなく、視点によって色々な見え方があるのです。

 

 

 

  6.アニメの構成について

 

アニメ「平家物語」では、平家のうち、特に徳子に焦点を当てていました。徳子は、平清盛の娘として生まれ、高倉天皇に嫁ぎ、安徳天皇の母になったところまでは絶頂でした。しかし、夫である高倉、父である清盛が相次いで死亡し、都を追われて行きついた壇ノ浦で母時子と、一人息子の安徳天皇を目の前で失い、自殺未遂をして生き延びます。かつて中宮という身分であった者でありながら、仏門に下って余生をひっそりと過ごしています。徳子の人生は波乱万丈で、まさに平家の栄華と没落を象徴するような存在であったと思います。

また、徳子以外では序盤では重盛、重盛没後は重盛の3人の息子も重要な人物として焦点を当てていました。維盛、資盛、清経の3人は、清盛の権力掌握後に生まれ、幼少期に平家全盛を迎えています。元服後に都落ち、滅亡を味わい、いずれも20代で死亡しています。彼らもまた、平家の栄華と没落を象徴するような存在であったと思います。

アニメでは彼らに焦点を当て、彼らとオリジナルキャラクターのびわを絡ませることで、平家の主導的立場だった人たちではなく、巻き込まれることによって栄華と没落を経験した人物たちの心情をうまく表していたと思います。

 

約15年をたったの11話にまとめた作品としては非常によくできていたと思いますが、やはり話数が足りなくてやや駆け足になってしまったことは残念です。大河ドラマと同じように1年放送であったなら、より詳しく描かれていたと思われます。

 

今回で平家物語関連の記事は終わりますが、私としても、アニメ作品を1本丸々感想や解説を書くといったことは初の試みになりました。

初めての挑戦ではありましたが、多くの方から好評をいただき、励みになったことが、最後まで続けられた要因だと思います。

 

今後、解説を書けるような作品に出合えればまた挑戦したいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

アニメ「平家物語」11話解説

 

 

アニメ「平家物語」の11話が放送されました。10話の最後に壇ノ浦の戦いが開戦となり、11話は主に壇ノ浦の戦いを描いた話でした。

 

 

  1.壇ノ浦の戦い

 

壇ノ浦の戦いは最後の見せ場ということもあり、アニメでもかなり詳しく描いてくれました。

寿永4年3月24日(1185年4月25日)に壇ノ浦(山口県下関市)で平家軍と義経軍が戦いました。屋島を放棄して彦島の拠点にいた平家でしたが、彦島のすぐ近くの壇ノ浦で両軍がぶつかりました。棟梁の宗盛ではなく、弟の知盛が指揮をしていました。

序盤は海上での戦いに慣れた平家が優勢でした。しかし、潮の流れが変わると戦況は一転し、義経軍が一気に勢いをつけます。これに乗じて平家軍でも寝返りが発生し、勝敗は決定的なものになります。

 

  2.安徳天皇入水

 

安徳天皇は、三種の神器を身に着けた祖母の時子に抱かれたまま壇ノ浦の激流に身を投じ、死亡しました。「浪の下にも都の候ぞ(波の下にも都はございます)」は有名な一節です。安徳天皇は数え8歳、満6歳4か月でした。時子がなぜこのようなことをしたのか。それは、「安徳天皇と三種の神器の奪還」という敵の目的を達成させないためです。

 

安徳天皇は、歴代で最も短命な天皇であり、また、至上唯一の戦場で死亡した天皇でもあります。数え8歳で崩御したため未婚であり、現在までのところ、最後の未婚の男性天皇となります。

安徳天皇と共に沈んだ三種の神器のうち八咫鏡と八尺瓊勾玉は後に源氏軍によって発見、回収されましたが、天叢雲剣については、現在でも所在がわかっていません。現在の天叢雲剣は、その後伊勢神宮から賜ったものです。結果として時子の目的は達成され、義経は「安徳天皇と三種の神器の奪還」という目的を達成することができませんでした。

 

なお、安徳天皇の最期を見届けた平知盛もその後入水し、平知盛に続いて資盛らも入水しました。

棟梁である宗盛は捕らえられて京に送られ、処刑されました。

 

↓安徳天皇が祀られている赤間神社(平家一門14名の墓もある)

 

 

  3.徳子入水

 

母に当たる時子と、子に当たる安徳天皇が目の前で入水したことにより、徳子も入水を決意し飛び込みました。

しかし、徳子は救い上げられ、びわによる説得を受けて生きることを選びました。びわによる説得は非常に熱いものでした。このアニメ最大の見せ場の1つであったと思います。史実ではびわはいませんが、その場にいた人に救い上げられて説得を受けたとされています。

 

 

  4.その後の主要人物

 

平徳子

帰京して長楽寺(京都市)にて出家します。没年には諸説ありますが、壇ノ浦の戦い後約30年生き、約60歳で天寿を全うしたとされます。崩御後は中宮として京都市北部の大原西陵に埋葬されます。なお、壇ノ浦の戦い後は誰とも結婚することはなく、高倉没後は常に独り身でした。

 

後白河法皇

後鳥羽天皇の後見として院政を行い、頼朝の活躍によって守護・地頭の設置を認めることになります。今では一般的に守護・地頭の設置を認めたことが鎌倉幕府の始まりと言われています。1192年に数え66歳で天寿を全うしました。崩御後は、生前住んでいた法住寺の中に御陵が作られました。

 

源義経

治承寿永の戦いの功績が認められますが、官位が与えられたことや都で人気があったことから頼朝の脅威となり、敵対することになります。最終的には育ての親である奥州の藤原秀衡とその息子の泰衡に匿われますが、逃げ切れなくなって1189年に自害します。

 

源頼朝

鎌倉を中心に坂東武者たちの自治組織を作り、そのトップである鎌倉殿になり、朝廷からも自治を認められます。1199年に落馬によって死去したとされますが、真相は定かではありません。

 

後鳥羽天皇

安徳天皇崩御により存命する唯一の天皇となりましたが、幼少であり、実権は祖父の後白河が握っていました。後白河崩御後は関白の九条兼実が実権を握りましたが、後鳥羽が成長すると対立し、兼実は失脚します。1198年に幼少の息子為仁(土御門天皇)に譲位して上皇となると、治天の君として権力を持ち、土御門、順徳、仲恭の3代に渡って院政を敷きます。1221年に承久の乱を仕掛けると敗れて実権を失い、隠岐に流され、1239年に崩御します。

 

びわ

史実では、琵琶法師は盲目の法師であると伝わっています。エピローグのびわは母と同様に髪も眼も白くなっていました。平家が滅亡したことで先を見通す能力だけでなく、視力も失っていたと考えられます。びわに関してはオリジナルで詳しくはわかりませんが、そういう家系なのでしょう。

 

 

遂に平家滅亡

 

 

 

最終話を迎えましたが、アニメ「平家物語」関連の記事はこれで最後ではありません。

もう1回更新します。

 

アニメ「平家物語」10話解説

 

 

アニメ「平家物語」の10話が放送されました。同日に放送された11話については後日アップします。

10話は当初は3月17日に放送される予定でしたが、地震と津波の影響により放送が予定より一週間遅れとなりました。

これにより、放送日が3月24日になりました。

3月24日と言えば何の日でしょうか。

 

 

そうです。私の誕生日です。

はい違いますね。いや、違くはないんですけど、ここでは違いますね。

 

旧暦3月24日は、壇ノ浦の戦いが行われた日です。

暦の違いはありますが、奇しくも実際の壇ノ浦の戦いとアニメでの放送日が同じ日になりました。地震がなければ重なることはなかったので奇跡的ですね。

 

9話で清経と敦盛を失った平家ですが、重衡は捕らえられて鎌倉に送られました。南都焼討の責任は自分にあると伝える立派な大将でした。また、維盛は戦から逃げ出して出家し、びわと再会しました。その後、弟の清経同様に入水自殺をしました。

 

  1.和平交渉

 

平家が後白河法皇と和平交渉をするという話がありました。

後白河の目的は安徳天皇と三種の神器の奪還ですので、平家と和平交渉をする意思がありました。安徳天皇と三種の神器を取り戻し、安徳天皇から後鳥羽天皇への譲位を正式に行うことが狙いでした。しかし、清盛が「頼朝を討て」という遺言を残したことがきっかけとなり、平家はあくまでも徹底抗戦することになります。清盛の遺言さえなければ和平交渉もあり得たので、死してもなお清盛が平家の命運を左右することになります。

 

 

  2.義経と静御前

 

 

義経と静御前が京で出会いました。義経は一の谷の戦いの後は頼朝の代理として京で後白河に仕えていました。後白河は義経を気に入り官職を与えますが、それが後に頼朝との対立のきっかけになります。

アニメは平家滅亡までしかやらないので、出会いだけで終わっていますが、後に静は義経の妾になります。この時代、正妻か妾かを決める基準は家柄であり、どれだけ寵愛を受けていたかはまた別の話になります。

義経は平家滅亡後に頼朝に追われることになりますが、静と共に吉野(奈良県南部)に逃れます。このとき静は義経の子を妊娠していましたが、静が頼朝に捕らえられた後、お腹の子は生まれてすぐに殺されています。その後静は解放されますが、それからのことはよくわかっておらず、各地に伝説が残っています。

 

 

  3.屋島の戦い

 

この時代、平家は屋島(香川県高松市)に拠点を持っており、そこにびわも訪れ、資盛や徳子らと再会しました。

寿永4年2月19日(1185年3月22日)、義経軍がその屋島を襲いました。一の谷の戦いから約1年後のことであり、源氏側に海上での戦に長けていた武士がいなかったことが、ほぼ1年間大きな戦がなかった理由と言われています。

 

この戦で活躍したのは那須与一です。那須与一は弓の名手で、平家の扇の的を打ちぬいたと言われています。

 

戦いに敗れた平家は屋島という拠点を失い、瀬戸内海を西に渡って彦島(山口県下関市)に行きました。

 

  4.壇ノ浦の戦い

 

寿永4年3月24日(1185年4月25日)に壇ノ浦(山口県下関市)で平家軍と義経軍が戦いました。

10話は壇ノ浦の戦いの開戦で終わりましたから、詳しくは11話で書きます。

 

いよいよ壇ノ浦の戦いまで来ました。

平家政権の是非、京の政権運営を巡る争いから始まり、平家都落ちを経て安徳天皇と三種の神器を巡る争いに発展した治承・寿永の戦い、いわゆる源平合戦ですが、壇ノ浦の戦いを以って終結しました。棟梁の宗盛らは壇ノ浦で生き延び、捕らえられますが、今後は戦後処理となり、敗軍の将は死罪となることが確実ですので、これにて平家滅亡とされます。

 

 

平家滅亡まであと0日

 

アイドルランドプリパラカフェに行ってきました。

 

前期はそらみスマイル、後期はドレッシングパフェで、ドレッシングパフェ推しなので、後期を待っていました。

 

 

↓外観

 
 
↓店舗前
 
↓店舗内掲示
 
 
 
 
 
↓注文メニュー
 
フードもドリンクもドロシーのメニューを選びました。元々お好み焼き好きなんで嬉しいですね。とろろは普段食べないので久々に食べました。
 
↓購入グッズ
 
ドロシーのアクスタを買いました。
 
↓ドロレオ
一緒に行った方がレオナ推しなので、ランチョンマットでドロレオで揃えました。無事に推しを入手できたのでラミネートもして保存しました。
 
コースターもドロシーと交換してもらえる見込みがついたので、概ね満足のコラボカフェとなりました。
 
最近は余裕で予約が取れてしまうので店舗が続くのかどうか不安になってしまいますが、マンボーも終わりそうなので無事に続いて欲しいです。
私もまた気になるコラボカフェがあれば行こうと思います。