父が一昨日、倒れて入院した。今まで入院したことはなく初めての入院。へき地に住む私達は、救急車でヘリポートのある近くの病院に搬送され、ドクターヘリで大きな病院に搬送される事が多い。だが倒れた時、空模様が悪く、ドクターヘリは出動出来なくて、救急車で1時間少しの隣の県の医療機関に搬送された。肺血栓症、深部静脈血栓症肺血栓症(エコノミー症候群と呼ばれる)だった。
母と二人暮らし。母が救急車をすぐに呼び、早く処置をしてもらい、病院に向かう道中も処置をして貰いながら、そして病院に着いて的確な治療をしていただいたお陰で、父は命拾いをした。
母は、携帯電話を持っていない。父は、自分の携帯電話を持って家を出るように母に指示した様だが、救急隊員の方にそんなことを言っている場合ではない!と言われたので、ハンドバック一つ持って救急車に同乗したらしい。色んな書類を書き、父の処置を待つ間に遠くから来た母の帰る手段を心配して、看護師さんが娘さんに連絡とってくださいと言ってくださったので、公衆電話から私の携帯電話に連絡をして来た。「ジイが倒れて、救急車で総合病院に運ばれたから、連絡しておく。びっくりした。娘さんに連絡してくださいって言うから電話した。今、見てもらってるから様子が解ったらまた電話する。」とだけ言って電話を切った。たまたま、私の携帯電話の番号が書いてあるメモを持っていたから連絡が取れた。今の時代、スマホでの連絡手段が無いのは非常に不便だ。その後も困った。ちょうどお昼だったから、午後お休みをもらって、病院へ向かった。総合病院まで、自宅からナビで70キロ。思ったより遠い🌀病院に着いたら丁度母から電話が来た。「2階のICUの前の公衆電話から電話してる」と言うから、「では、二階に向かう」と伝えて電話を切ったが、二階に行き、場所を聞くと「この病院にはICUはありません」って…違う病院でしょうと🏥( ̄◇ ̄;)
その病院までナビで8キロ強。次の病院に着く頃、再び母から電話。「おめえ、どこにいるん?全然来ないけど⁉️」「向かった病院が違うんだよ」「総合病院は、一つしかないだろ?」…とすったもんだがありましたが無事母に会えた。
ICUに着くと、父はベットに酸素マスクをつけていましたが、話も出来て、息をすると苦しいと言うが母いわく、「先生は家には帰れますって言うから、死ぬようなことはなさそうだ」と。母の素早い行動が良かった。朝から調子が悪かったので、当初は母の運転で、近くの病院で診察へと着替えの用意をしていた時に倒れのだと言う。本当にラッキーだった。翌日には一般病棟に移動出来て、歩行は禁止だが、ベットの上なら動いて良いとの事。食事もとれる。テレビも見れて、いつもの様に小言も言えている。携帯電話も気になる様子。本当に何も無かったかのよう。76歳。いつかは来るであろうこんな日は、突然やって来た。でも、急死するようなことがなく、又いつもの様に話が出来て、家に帰れると言う事にただただ感謝。まだまだ長生きしてもらわなくては…娘達も同じ様に考えています。曾孫の顔は見せられるか分からないけど、じーちゃんの好きなラーメン🍜まだ食べに連れて行って無いからと言ってます。
まずは一安心。

明日、母と病院に行く。母は病院までは運転は無理そうだから。