ずっと生きづらさを抱えて生きていました。
「HSP」ってご存知ですか?
Highly Sensitive Person (ハイリィ センシティブ パーソン)の略で、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質を持った人」のこと。
まさにそれに当てはまり、酸素のない水の中で必死に口をパクパクさせている金魚のように、私はこの現実社会を生きていました。
昔から特に人のエネルギーや感情には敏感でした。
いつも人の顔色を伺って生きていました。
それはこの気質に相まって、育ちの中で植え付けられた観念でもあります。
社会の枠組みや常識という観念に縛られ、蟻地獄に飲み込まれているような息苦しさがあり
『私、何のために生きているのだろう?』と、ずっと思っていました。
そんな蟻地獄から私を救ってくれたのは
娘の不登校でした。
それは15年以上も前のこと、まだまだ不登校に理解のない厳しい時代でしたが、私たちは学校に戻らない選択をしたのです。
当時娘はまだ9歳でした。
そして娘の不登校をきっかけに、心理カウンセラーや保育士の資格を持っていたこともあって、不登校や引きこもりの支援団体に所属し、カウンセリングや家庭訪問支援のボランティアを始めました。
その後私たち親子はあるフリースクールにご縁を頂き、娘はそこに通うようになったのです。
既存の教育から外れた自由な教育の一つであるフリースクール。
そこでは社会の常識や枠組みを超え、育ちの多様性、個性のあり方を学び、自分の将来は自分で自由に選択して良いのだということを知りました。
そしてそのスクールで教育相談員として異例の採用をされ、なんと我が子と共に学校生活を送るというミラクルなご褒美を神様から頂きました。
幼児から高校生まで一同に介するその居場所で、子ども達から、娘の『けあき』という名前と掛け合わせ、『けあママ』というニックネームをつけられました。
ある保護者の方から
「人の心をケアするママ・・けあママにぴったりですね!」
と言っていただき、子ども達はもちろん、スタッフや保護者の方からもそう呼ばれ親しんでいただきました。
それが「KEAmama」の由来です。
娘の不登校をきっかけに、身動きの取れなかった私の人生が急速に動き出しました。
人生が変わるきっかけは、一見不運や不遇と言われる出来事からです。
それでもこれはきっかけに過ぎず、過酷な人生の中で困難や試練を一つずつ超えてきたこと、その度に起こる奇跡や人との出逢い・・・
それがこの事業を始めるまでに至る、全ての糧となっています。
伝えたい念い(おもい)は溢れかえり、ひっくり返したおもちゃ箱のようになっています。
もどかしさを感じながら、それでも真っ直ぐに伝えたい念いがある。
いつも心の中にあるマザーテレサの言葉です。
【私達の行いは大海の一滴に過ぎない。でもその一滴がなければ何も生まれない・・・】
大海の一滴になると誓ったあの日から月日は流れ、そして今も変わらずここにあります。
飽くなき挑戦を、残りの人生をかけて。