弱音(たぶんいつもどこかで思ってる) | しららさんちの日常

しららさんちの日常

ミニチュアダックスそら(2021年死去)とトイプードルのアクア(2023年死去)、猫の清麿(2014年死去)と小雪、2012年に618gの超低出生体重児で生まれた子供との日常の記録

落ちてます。たまには外に吐き出すのもよいかなと、ブログに綴る。
誰かに向かって、でも、「誰か」でしかなくもかけるのが、ブログ。
だから、いいかなと…。

もうすぐ新学期です。
宿題も順調?(←九九はどうした?状態なので…)。
宿題ならやるようになったけど、勉強はしたがらず逃げまくる子ども。

本当は、1年生の内容で出来てないことを宿題が終わったら、やらせたかったのに(←というか、実は親的にはこっちの方が重要だった、だって理解出来ん範囲のをただやっても身にならんから、2年生の内容の宿題は微妙…なんだもの)。

逃げてやらない、そのおかげで…
字を書くのが一行日記の時だけ。

…文字書き方忘れてるんですけど!

…。
不安である。あと数日で学校が始まってしまうのに。

親の心配なぞわからぬ、いや…わかろうともしない子。言っても耳スルーがよくわかる。
そして、やだー!といって逃げていく。

心に溜まりに溜まっていく固まり…。

吹き出てきます。
将来への不安も。
学習障害、発達障害を持つ子を育てることへの…投げたくなる気持ちも。

普通の子を育ててる人が羨ましい。
将来への不安が、普通の将来への不安であることが羨ましい。

哀しい…。

持てないと思ってた、我が子。可愛いいのです。
でも、色々と出てきます。
色んなことが。

空気の読めない子。
実は色々あります。どう対処したらいいのか、想定外すぎて、実は頭の中がパニックだったこともあります。

よく、人懐っこくて可愛いよねーと他のお母さんたちに誉め言葉な感じに言ってもらいますが、
そうかなぁーとか、いやぁ…なんて笑って返しますが、本音とっても複雑です。

なんせ、あれは、そんな可愛いだけのものじゃない…とわかっているから。

人様のママでも、その子が側にいても、遠慮もなく、膝に座ったり、抱きついたり、話しかけたりするのはどうなんだ…。
注意を引こうとするのも。

うちの子が膝に乗ってて、そのママの子が隣で何度言えない顔で見ている。
…のを、側で見てる私。私が側にいるのに、来るわけでもない我が子。

これを最初に見た時、顔がひきつってしまいました。
そして、頭まっしろ。どう対処すればよいのか、想定外すぎて理解出来なくて、浮かばなかったのをよく覚えている。
そのママも困惑してたよね、いやだって、理解の外だもの。対処に困ってたのはわかってました。
が、固まっちゃったよ、私(態度や言動に出てたかはわからんけど、頭の中は目の前の光景にパニック状態)。

本人はアクアが私の側にいると、割ってはいるくせに、だ。
なぜ…。それは他の子のママですよ…。隣にそのママの子がいるんですよ…。

アクアを例にして、話したことは、もちろん何度となくあります。
が、わかってない…というかわからないようで…。

やれることは、しそうな時、しつこくいきそうなときは(話しかけるなというのも、ですが…それ以上は…である)、気がついた時は、掴まえて止めて不自然じゃない感じに引き離す、ぐらいしか出来てません。

他に他のお母さんがいて、わたしも話したりしてると、ハッ!ということも…。

なので、「人懐っこくて~」のやりとりには、引つり笑いしか出ません。未だに…。

学校や学童のママ達とは、世間話は普通にするけど、疎遠ぎみ。
会いたくなくて、保護者会前は、憂鬱にとりつかれます。

それでも、平気な顔しています。
色んな不安も憂鬱も、話してる人にみせることはありません。
みぃの問題を言っても、深刻そうな顔まではしたことがないかもしれない。

そして、たまに、こうやって落ちて、1人泣いてることがあります。

泣いたところで、深刻そうにしたところで、現実は何も変わらないのは、自分のことでもよくわかっている。
だから、落ちる時は1人で落ちる。
人前で出しても、結局現実が変わるわけでないので、困らせるだけ。

落ちるだけ落ちたら、あとは上がるしかない。
だから、時々、こうなっては上がるを、繰り返して生きてきたし、
生きていくのでしょう…。