kdkd2011のブログ

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バスは何度目かの角を曲がった。それから緩いカーブ。記憶の通りなら、その先には橋がかかっているはずだった。けれど橋はいつまでたっても現れなかった。窓の外を原動機付自転車が追い抜いていく。過剰露光の古いフィルムを通して流すような世界。すべてが陽光の白色に溶けていく。ノイズ、それから風景の停滞。すべてのデータはデジタル化されていたので、僕たちが見るその手の風景は記録映像として残されたものだった。そうして、デジタルの海に放り込んでおけば情報を永遠に保つことができると何世代か前の人間たちは考えた。考えようによっては間違いではなかったのだが。そこに現れたのは、ボルヘスのバベルの図書館のような存在だった。実際に、情報の海からはあらゆるデータを取り出せそうでもあった。当然のこととして、取り出される情報の大部分は無意味なものではあったが、重要なものも数多くあった。時には人類の歩みにとって既存の認識を新しくする、根本的な事実がすくい出されることも少なくなかった。それこそが前の世代の人間たちが期待したことだったのだろう。事実は事実として保存される。この場合の事実とは、現実に存在したものとしての現象を厳格に指すのではなく、誰かの頭にふと浮かんだ虚構でもよい、広範な意味でそれを定義したものだった。第1の問題は、人々はそういった状況下で、価値の尺度を失っていったことにある。そして、第2の問題は、前者に比べれば卑近ではありながらより重要とも言えるのだが、我々は任意のデータを後世に残す方法を失っていったのだった。誰が海の一区画を区切り、そこに保存するべきものを止め置けるのだろう。

数分間が経っても橋は現れなかった。川は暗渠になっていたのだろう。記録のなかの川の上をバスはいつの間にか通りすぎていたわけだ。多くの川が土壌の保水能力の低下にともなって、地下を守られながら流れるようになったいた。しかしなぜなのか。世界の人口が明確な現象傾向に入っているにも関わらず、多くの土地が荒廃していった。それもまた、かつて存在した仮説に見合わないことだった。ここまで来る道でもいくつかの空白化した昔の街区を見た。空白化は小さな範囲を単位として起こることが多い。範囲の拡大は通常は起こらない。拡大を示唆する例も提示されてはいるが、それが空白による侵食を意味するのか、それとも空白の連続発生によるものなのかは、はっきりとはしなかった。さて、川はどこに行ったのだろうか。空白と暗渠に囲まれて、人は何かを記憶していることができるのか。ここでは、記憶を、少なくとも前の時代には確かにあった事実を投影したものとして考えた場合のものだ。

自分が降りるべき停留所の場所も記憶を当てにすることはできなかった。ほんの数年前と比べても周辺の風景はずいぶんと違っている。バスは砂塵をまきあげて走っていた。空白化の密度が高いその辺りの地域に住む人間は減り続けていた。それは人間に漠然とした恐れを抱かせた。我々はその目前にあって、自分たちの進む道を見ているのかもしれない、と感じた。人の減った周辺の地域も一種の空白化を思わせたが、かろうじて営業している商店や、生い茂る空き地の雑草にその違いがうかがえた。だから、僕のように、そういった地区に新しく部屋を借りることは珍しいことでもあった。

僕の職業は技師だ。それは珍しい仕事になってきている。そして、そういう仕事を選んだのは、僕の持つ懐古趣味とも密接に結びついているのだろう。今では、技術は過去にあったものを維持するために、主に使われている。世界の人口規模が文明の水準を保つために必要とするラインを下回っている可能性もあったし、もしくはぜんぜん違う、もっと根源的なものでもありえた。とにかく、僕は日々の仕事を通じて、過去を見続けていたのだ。

新しい家は古い地区のなかにあった。僕は空白化のことを他の人ほどには恐れない。自分の住む場所に及ぶのならば、当然のこととして困ったことになる。けれど、それは人間のコントロールの外にあることだ。そして、空白化は、それが生じる以前から、そこにずっと一緒にあったように僕には思えた。

新しい家は停留所からそれほど離れていないところにあった。南側に面した窓を開けて、僕はその家の賃料が驚くほど安かった理由を理解した。そこには空白があった。それは確かに、空白としか表現のしようがなかった。色彩を失った建造物。生命感の圧倒的な欠落。広漠。

しかし、そこには声があった。空白における声。重なり合い、ささやく、どれか一つに集中して聞き取ることはできなくても明白に存在する、幻聴とも違う声、声、声。