娘は不登校で


中学2年から

時々学校をお休みしていた


学校に行っても


体調悪いみたいです

早退するので

迎えに来てくださいと

学校から連絡があったり



朝起きられない

頭が痛い

お腹が痛い


そんなしんどそうな娘を見る事が

多くなっていた



まずは中2の夏休みから

クラブに行かなくなって


私は最初は

サボりたいだけなのかと


問い詰めた


やると決めたら

やり通せ


そんな

昭和ど根性精神を持ち出して

話をしていた



だけども話をするうちに

ポロポロ溢れる娘の涙をみて



私ができる事は

娘を無理矢理

クラブ活動に参加させる事ではないな


そう気づき


先生に事情を話し

クラブを休部にしてもらった


そこから始まった

中学2年の二学期も


だんだんお休みする日が増えた


娘を起こす時

私の心臓がキリキリ痛む



今日はどうかな?

学校行くのかな?

また頭痛いっていうのかな



いやいや

しんどくても学校は

行かないとでしよ


勉強どうするんだよ


というように


思考がグルグルして

とにかく朝が辛かった


私自身が不安に押しつぶされそうだった


その頃の夫は

不登校に免疫もなく


学校行かない人間はカスだ


なんていう人だったから




誰にも

心のうちを相談できず



私も

娘も

苦しかった頃でした



中学2年の三学期に

娘がコロナにかかり


長い期間お休みすると


そこから

パッタリ

行かなくなった



コロナの後遺症なのか

頭痛も全く良くならず



そこからは

完全不登校になったのです



中学3年生になり

春の暖かさもあってか


たまに

遅刻して

学校に行く事もあって


そうなると

私はものすごく期待してしまって


これで不登校も終わる

うちの子が不登校になるわけないもんね


と思う反面


もしかしたらまた

行きたくないって

言うんだろうなと


娘を信頼してない私もいた



そして5月の修学旅行を

ものすごく楽しんで

帰ってきた次の日から


パッタリ学校に行かなくなった


その心のうちは

わからない


何を思って

何を感じて


学校に行かないのか

もとい

行けないのか?


そんな中学3年生のはじまりで


不登校を


自分事として

捉えてなかった私だけど




娘と向き合う事

娘を理解する事


そして

1番大事な


自分自身に向き合い

自分を大切にする事を


不登校を通して

考えさせられたなと


つくづく感じながら



昨日卒業証書をいただきに

私だけが


中学校に向かったのです




中学校に着くと

もう涙腺がおかしくなってきた


あれ?

なんでだろ?


ヤバいヤバい


泣くもんか

頑張れ私



そのまま校長室に通されて


校長先生

担任の先生

学年主任


そして私


卒業証書の贈呈がはじまった



私に向かって

校長先生が

卒業証書を開いて

渡そうとしてくれた


そこに書かれた

娘の名前を見た瞬間


私の涙腺は崩壊した



自分でも驚くぐらい

泣いて

嗚咽するくらい

泣いて



校長先生は

卒業証書を持ったまま

どうしていいか

わからなかっただろうな



だけど


受け取れないくらいに

泣いてしまった私がいた


今まで

私の心の中で


涙のダムが出来上がり

ずっとずっと

たまりにたまっていた


泣かないで

耐えるんだと



それが


卒業証書を見て


決壊したのだ


久しぶりに思いっきり泣いた私は


なんだか少しスッキリした


帰り際

玄関まで

送ってくださった

担任の先生は


『おかあさんも沢山辛い思いをして

たいへんでしたね。頑張られましたね』


と声をかけてくれた


私は


『不登校があって私はとても色々なことを

学びました。色々ありがとうございました』


素直に言えた


特に学校に恨みもない


辛くて悲しいのが

不登校だと思っていた私もいない。



先生達も大変だろうな。

なんて思いながら


卒業証書を写真にとって

娘に送って


私は仕事に行った


夜は

夫くんが


『卒業おめでとう』と言いながら


めちゃくちゃ美味しいイチゴを

買ってきてくれた


【紅ほっぺ】という名のイチゴは


不登校が理解出来なかったパパが


精一杯

理解しようとした証


そりゃ美味しいはずだ



とりあえず

卒業

おめでとう