しろくま君です~
だいぶ寒くなってきましたね・・・。
10月に入ったと思ったらもう11月に入ったのですよね・・・、あっという間に。
そろそろ秩父夜祭の時期が間近になっています。さきほどユネスコ勧告に無形遺産として「山・鉾・屋台行事」として構成されているうち、秩父夜祭が入っているのが登録勧告されたそうです。
ほぼ登録決定と考えてよいでしょう。
また、今年は久しぶりに秩父夜祭開催が週末(2011年以来、5年ぶり)なので、それに加えてかなり混雑が予想されます。
秩父市といえば、秩父鉄道があり、これから秩父夜祭輸送に急ぎそうです。
久しぶりに鉄道写真のフォルダを整理したらなつかしい写真が出てきました。
父親の友人から譲ってもらったものです。
その写真は波久礼駅~樋口駅間の波久礼よりで撮ったとわかります。
なお、“急行秩父路”でなく、“急行狼狽”として運転されていました。
その3000形はJR165系から改造車の3000形でした。
これは、自社製の300形置き換えのために新前橋所属の165系3編成を購入し、自力で秩父鉄道広瀬川原信号所まで回送されました。それ以降、自工場にて、前面整形を中心に改造されました。
なお、今は亡きの165系“パノラマExprssアルプス”の中間先頭車や、165系“シャトル舞浜”とほぼ同じ顔をしたもの、非貫通のうえ、種別表示がなくなり、補助灯のついた、愛称表示窓の着いた顔になり、今まで黄色カラーだったが、ホワイトボディに、青を強調した窓及び帯、ブラックエッチングを塗られたで登場した。
秩父鉄道としては新しい風が吹いたように新鮮な印象、登場したのは1992年だった。
ちょうど、元東急7000系だった2000形も搬入されたばかりだった当時でした。しかし、不運ながら踏切事故を秩父夜祭日に起こしてしまい、夜8時まで不通が続いたため国道はパニックのうえ、搬入したばかりの2002Fの顔がめちゃくちゃになったの、記憶していた。
話し戻して・・・
165系改造の3000形は1992年4月に登場し、それにあわせてダイヤ改正し、スピードアップしたうえ、冷房サービス導入を開始した。(当時には冷房車はなく、1000形も、2000形も非冷房車でした)
寄居駅に停車中の3000形。
1編成ずつに登場させると、300形鋼体車組み込み編成は休車になった。
2編成目が出来上がると、300形アルミ編成も休車になり、10月にさよなら運転を行い、しばらく波動用として残ったが3編成目ができると廃車になった。
そのより、ダイヤ改正により急行運転の増発できるようになった。
以降、愛称は差し込み式だったため、“急行狼狽”をはじめ、様々なヘッドマークを表示して運転されていた。
しかし、165系から改造だったと言え、JRは既にほぼ全部引退している(しなの鉄道は除く)1960年以降製造だったため、車体の陳腐化が目立ってきたため、新しい急行列車をさがしていたところ、西武鉄道新101系に白矢が立ち、3編成を購入し、1編成名は自社工場で改造したもの、2編成以降は再び西武鉄道へ戻し、武蔵丘工場にて改造して入線させた。
新急行として登場した6000形と今は無きの1000形。
それにより、置き換えが始まり、2006年10月28日付さよなら運転し、引退した。
“ファイナルラン3000形”を掲げた3000形。
元国鉄同士の車両(165系と101系)
いまは元東急と都営、西武であふれている。
三峰口よりは赤地でした。
資料として撮ったものでしたがなぜか、熊谷寄りは撮っていなかった・・・。
あのころは本当に全盛期だったと感じました。
ありがとうございざいました!!