しろくま君です~

またまたです・・・。

栗原電鉄時代に国鉄から乗り入れはあったのか?というとありました。
栗駒山などへ観光アクセスとして乗り入れがあったそうです。
たとえば

栗駒フラワー号

 キハ23による仙台発栗駒駅行運転でした。
しかし、スイッチバッグが石越駅構内で2回あり、時間がかかったのでしょう。

また、ほかにもありました。


「残雪号」くりはら田園鉄道職員から話では、盛岡駅~岩ヶ崎駅(後栗駒駅)のキハ55による準急で運転されていた。

 
キハ10形による運転。
快速かは不明である。

ほとんど気動車で乗り入れていた。
それは東北本線は交流2万ボルトにたいして、栗原電鉄は直流750Vだったため架線の違いなので、石越駅構内はホームとヤードの一部は非電化だったため、気動車が主だった。

それに関わって、栗原電鉄へ車両取り込みなどはあったそう。

 M17形の取込作業。
DB101旧塗装時代のころであった。国鉄の石越駅側にいて、甲種回送による取込作業しているところだった。
485系特急電車が見えることだから国鉄側の石越駅とわかる。

そして、元福島交通5300形の取込作業もあった。

 JR側まではDE10による輸送し、栗原電鉄からはやはり、DB101による取込作業を行われた。

 貨物輸送はすでに廃止され、ヤードも撤去され、すでにJRとの連絡は途切れていた。
そのため、仮線として復活させて。取り込んだと。KD95の取込作業の時でも同じ方法だった。  

もし、石越ヤードがそのままだったらどうなったのだろうか、またスイッチバッグみたいなほうほうはしないで、仙台駅法に行き来できる施設だったらどう変わっていたのだろうかと思っていた。

ありがとうございました!!